断罪、そして逃亡
伯爵以上の上位貴族と王族が通う学園の卒業式は、大変美麗で、盛大なものでした。
在校生や、お祝いにいらした保護者を含めてざっと千人はおりますかしら。
三年間、社交界のノウハウを叩き込まれ、世を渡る知恵をつけ、立派な紳士となった殿方には学園の印章が入ったカフスボタンが、立派な淑女にはブローチが学園長の手から一人一人に贈られました。
そして引き続き学園長から長い祝辞。国王陛下のお使者から祝辞。その他諸々のお偉い方から祝辞を一言ずつ。どうせ言い回しを変えるだけで、皆さん同じことしかおっしゃらないのですから、ご挨拶はお一人にまとめていただきたいわ。
長く退屈な時間を、完璧な淑女の態度で乗り切り、終わってからがいよいよ本番。
保護者やお偉い様にはご遠慮いただいて、在校生と卒業生、そして先生方だけのお別れパーティーが開かれます。
お別れと言っても、狭い世界で生きている貴族どうしです。ここを卒業したって今後も顔を合わせずにはいられませんが、何事も形式が大事なのです。
それに―――世の中、思いもかけず永久の別れとなることも、ままあることです。やはり折々にご挨拶はきちんとしておきましょう。
式の時よりラフで露出の少ないアフタヌーンドレスに着替え、卒業生はそれぞれ事前に決めているパートナーと共に会場入りします。
婚約している方どうしは暗黙の了解でペアとなります。
ですから、私のパートナーはユリウス殿下となるはずでした。
けれど、部屋まで迎えに来てくださったのはダイヤモンドのようなあの方ではなく、オブシディアンのように黒く鋭い、彼の側近でした。
「まさかルドルフ様にエスコートいただけるとは、思いもいたしませんでしたわ」
逞しい彼の腕に手を添えて、素直に漏らした感想は、きっと嫌味に聞こえたことでしょう。
なぜ殿下がいらっしゃらないのかと。
かのお人とは乳兄弟でもあらせられる、ルドルフ・ブラッドフォード様は、とても険しいお顔をされていました。
「・・・申し訳ございません。殿下はラティーシャ様のために、特別なご用意があるとのことで。会場まではどうか私でご辛抱を」
なんて、殊勝なことをおっしゃっているけれど、辛抱が必要なのはご自分のほうでしょう。きっと、私と口を利くことすら不快で仕方がないのね。今にもこちらの首の骨を折ってきそうな、殺気をかもし出していますもの。ああ怖い。
「とても楽しみですわ」
ふふ、と笑ってしまったら、さらに殺気が濃くなりました。
あぁあぁ怖い。早く会場に着かないかしら。
*
丁重かつ物騒なエスコートにより、私はどうやら最後に会場へ辿り着いたようです。
飾り花でいっぱいに装飾された広間に足を踏み入れた途端、談笑が止みました。皆さん、不穏にざわめいています。
赤い絨毯の敷かれた道の先。
私の視界の真ん中に、なんとも堂々として、ユリウス殿下とルアナ・キャトリー伯爵令嬢がペアで立っていました。
いえ、ルアナ嬢は少々不安げな様子でしょうか。けれど殿下は、確固たる意思をお持ちのようです。
非常に情熱的な眼差しで、私を睨んでおられます。こんなにも熱い視線を殿方に向けられるのは、初めてのことではないでしょうか。私、焼け焦げてしまいそう。
――なんて。
おふざけはこの辺で。さあ、計画の総仕上げです。
ルドルフ様から離れ、私は一人で、二人の御前に進み出ました。
「殿下。おそれながら、状況をご説明願えますでしょうか」
私と殿下の婚約は入学の半年前に決められ、すでに公の事実。
学園での殿下のパートナーは常に私。卒業すれば自動的に結納となるはずでした。そして私は未来の王妃。
なのに、卒業の日に殿下がお手を取られているのは妾腹のご令嬢。
侯爵令嬢たる私は、全力で泥を顔面にぶつけられた上、口や鼻の穴の中まで丁寧に砂利を擦り込まれている気分なわけです。
これだけでもかなりな仕打ちですが、どっこい、それだけでは済みません。
私は自慢の吊り目を爛と見開き、待ちます。
さあっ、さあ! おっしゃるならば今です殿下!
「ラティーシャ・アシュトン侯爵令嬢。私はここに、貴殿との婚約を破棄することを宣言する」
婚約破棄いただきましたーーっ!!!
私は胸を押さえ、跳び上がってしまうのを必死に堪えました。けれどおそらく、完全に歓びを押さえることはできなかったのでしょう、私と目が合った方々は、一様に怯え出しました。
そんなに不気味な笑顔になっていたかしら?
私が屈辱のあまり、おかしくなってしまったと取られたのかもしれません。
なんでも構いません。
最大の山場は無事に乗り越えられたのですから。
「破棄の理由に、心当たりはあるはずだな? お前は――」
「ええまったくその通りですわ!」
殿下がつらつらおっしゃる前に、さっさと白状いたします。無駄な時間を割くことは好みません。だって人生は有限なんですもの。
「殿下のお察しの通り、私は侯爵家の令嬢であり殿下の婚約者という立場にありながら、醜い嫉妬に駆られてなりふり構わず、ルアナ・キャトリー嬢に度重なる暴挙を働いて参りました。お茶会ではマナーがなっていないとわざわざ公衆の面前で辱め、ダンスレッスンではわざと足を引っ掛けて転ばせたり、夜会用のドレスを引き裂いたこともございます。彼女のお部屋にゴミをまき散らしたり、食事のお皿に蝙蝠の死骸を投げ込んだこともございました。また、オトモダチが複数人で彼女を囲んで脅かしていても、私は諫めもしないどころか、けしかけたことすらございます。かえすがえすもルアナ嬢には申し訳なく、我が身の醜悪さが厭わしいばかりです」
もしかすると、この供述をわざとらしい、嘘のように感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は事実しか口にしておりません。
真実、私はルアナ嬢を徹頭徹尾、一年間みっちりと、いびり倒して参りました。
証拠となる第三者の証言はいくらでもございます。それはもう、逃げも隠れもしない我ながら堂々たるいじめっぷりでしたので。
なぜそんなことをしたか? 理由は明白。私が主催した学園でのお茶会で、殿下が彼女にいたくご興味を抱かれていたからです。
本当はその時、学園に編入してきたばかりの彼女に平民の暮らしぶりを教えていただきたくて、私がお茶会にお誘いしたということは、今となっては誰しもに忘れ去られた経緯です。
私は彼女を一方的に醜く妬み、彼女は私のいじめに健気に耐え続け、今や見違えるほどのレディに生まれ変わった。そして殿下に選ばれた。
それが紛うことなき真実です。
「ラティーシャ様・・・」
目を伏せる、私を呼んだのはルアナ嬢でしょうか。彼女は白い指を殿下の腕に添わせ、もうやめませんかと、今にも懇願しそうでした。
正直に告白し、悔いているのならば、彼女は何をされても赦してしまうのでしょうか。
それはいけません。私にあなたの優しさは欠片も必要ないのです。いえ本当。
「あろうことか、私は彼女の命を奪うために、人を雇って襲わせたことすらございます」
ここで切り札を使います。
途端に殿下のお顔が最高潮に強張りました。
「やはり、あれもお前だったのか・・・」
「はい。申し開きのしようもございません」
ございませんが、ほんの少しだけ嘘が含まれております。
あれは二人の仲がだいぶ深まってきた秋の頃のことでしたでしょうか。王都に不慣れな彼女を案内するという名目で、お忍びデートを敢行した殿下たちの後をつけ、案の定、人ごみではぐれてしまった彼女を狙い、男装した覆面姿の私自身が襲いかかりました。
と言っても適当に棒を振り回し、彼女が迷い込んでしまった路地裏から表通りに向かって追い立て、殿下に見つけられるや脱兎のごとく逃げ去っただけですけれど。インパクトのある出来事が欲しかったのですよね。
でもあの時は、唯一お供でその場にいらしたルドルフ様に深追いされ、随分と冷や汗を掻かされました。
幸い、お忍びお出かけ常習犯の私のほうが道に詳しかったようで、うまく撒くことができましたけれど。捕まったら間違いなく殺されていましたわ。
「それらの所業がすべて真実であるならば――」
「ええまったくその通りです」
殿下はもう私をお赦しになる気はないでしょう。十分にわかっているので、ちゃっちゃとエンディングへ向けて畳みかけて参ります。
「私は王太子の婚約者にふさわしくないばかりか、侯爵家の娘としても不適格。父は私を勘当いたすでしょう。すべての罪は私自身のもの。今この場にて貴族の資格を返上いたし、生涯、頭を垂れて生きて参ります」
ドレスの右ポケットから(本来はそんなもの付いていてはいけないのですが)、小さなナイフを取り出します。
そしてまとめていた金髪を解き、うなじの後ろでざっくりと、切り落としてしまいました。
腰までもある長い髪でしたから、一気に頭が軽くなります。
爽快です。
貴族の女性が髪を切るということは、その血の持つ資格も何もかもを捨て、修道女となることを意味します。もっとも、私は神にお仕えする敬虔さなど持ち合わせておりませんが。
ただ、この場で貴族であることを放棄した、ということを示せれば良かったのです。
私はナイフと髪をその場に捨て、今度は左のポケットから手紙を取り出し、お二人のもとへ歩み寄りました。
唖然とされていた殿下は咄嗟に、私から彼女を守ろうとしたようですが、ルアナ嬢が先に前に出ました。
なので私は彼女に直接、手紙を渡すことにしたのです。
笑顔で。
「ここに私の悪行の一切と、私に同調してあなたをいじめた者の名が書かれています。どうぞ殿下とお幸せになってください。私の他にも、殿下に言い寄る女性は数多おりましたが、殿下の人となりを正しく理解し、それを心から愛したのは、おそらくあなただけでした」
私自身は、殿下の肩書きと素晴らしい容姿に惹かれて群がる女性たちを、悪とは思えませんけれど。だって、それも含めてユリウス・ヴァン・フレイアという人間の魅力なんですもの。
外見で選ぶこと、ステータスで選ぶこと、あるいは心根で選ぶこと。どれで人を選ぶのが悪いということはございません。それらは入り口が異なるだけ。目指す先の愛は同じなのですから。
ただ、殿下は内面を見てほしいと願われていただけ。それも悪ではございません。そしてそれを叶え、愛に辿り着いた者が、たまたまルアナ嬢であっただけ。運命とは実にいい加減なもの。だからこそ出会いは大切にせねばならないのです。
「――それでは皆様ごきげんよう。永久にさようなら」
私は誰もが正気に戻る前に、颯爽と広間をあとにしました。
廊下を曲がったところでヒールを脱ぎ捨て、教室へ走ります。パーティーの日ですから、誰もいるわけがありません。
私はそこでドレスを無理やり脱ぎます。心配はご無用、中には平民が着るような微妙な茶色のワンピースを着ておりましたから。
私の席からコンパクトな旅行鞄、ツバ広の帽子、そして突いて歩くには大分長さが足りない杖を取り出し、ブーツに履き替え、急ぎ足で校舎を出ました。
門番のいる正面玄関を通るのは面倒ですから、ここは庭園奥の使用人通路を通ります。ふふ、この日のために逃走経路はばっちり確保しておいたのです。
私はワンピースのポケットから折り畳んだ紙を取り出し、空に掲げました。
それは夜の川に虹がかかり、白い妖精が幾匹も水面を舞っている、幻想的な一枚の絵でした。自分で模写したものです。原画には断じて折り目などつけられません。
私は、ずっと、この場所に行ってみたかった。
この絵こそが、私の運命。
真の自由を得るためには、すべての人に嫌われなければなりません。
ですから私は、悪役令嬢になったのです。
自らの務めを一つも果たさず、他人に押し付け、両親へ仇を返し、一人自由な旅へ出るために。
きっと私こそが、真性の悪女と言えるでしょう。