消えない色
おじさんとおばさんが仲がいいのは町では知られた話だ。八木いや能勢千尋はパトロールでよく見ていた。相談するべきことは誰かにしたほうがいいといわれたのはおじさんの言葉だった。
「八木とかいう警察官は権力でうむを言わせると聞いたことがある。見合いの後ろくに会ってないのだろう。先走っているのは八木家という家庭だ。やめたほうがいい。生まれた子供も幸せにならないだろう。それはよく知っていることだろう。」
千尋は頬から雫が流れた。それはなんの感情なのかはわからなかった。それを見て誰も冷やかしを言う人はいなかった。客ですら。
「もし結婚させられた場合、子供を見てくれますか?八木家には知られてはいけない秘密があると噂で聞いたんです。何処かで知ってしまったら殺されるかもしれません。過去にも犯罪を起こした人と結婚するの事態嫌なんですけどもしもの時子供を守ってくれますか?」
「俺にできることならやってやるよ。慕っている人達が全力で守るはずだ。恩を感じていないと返そうだなんてしないだろう。」
おじさんは冷たい世の中になってしまってもよくしてもらった人は必ず返そうとする。そこまで悪くないといっているようだった。冷たいのは世の中だけではなく政府ではないかと思ってしまった。自己中心なのは大体が政治家とか偉そうな地位をもっている人達だ。金は出さないのに口はとことん出すのは無責任なのだ。それもすべてわかったフリばかりをしているのだ。政治家は自分で吐き出した息を再び吸ってしまおうとする。出て行ってしまったものを追うのは不可能であることは知らないのだ。辞めるとうわべだけで言ってそのあとの責任から逃れようとするのだから責任の重さも知らないままなのだ。逃げるのはやり切った後にしないといけないとただの遊びにしか見えない。人の金はいくらでも使うが自分の金は削るのはケチである。出せない金ならば出さなければいい。税金に依存しないとやっていけないと考えてしまうのも間違いなのだ。そうしなくてもできるやり方があるはずなのに狭い考えを押しつぶすのはただの都合の推し進めだ。海外と比較するのは同じであるように見せかける方法なのだ。何処が同じなのだ。それも思っていないのだろう。学歴だけがすべてではないのだ。考えが狭いのなら意味がないのだ。それかただの権力の依存をしたいだけなのか。偉そうにするほうがかっこ悪い。それしか自慢するものがないのだから。小さなプライドでしかないのに。知ったかぶりをするのは被害者が出るのだから。




