言葉の使い
源太郎はテレビを見た。暴言や暴力をふるっておきながら自分の事しか考えていない上に表にメンタルがと言い訳ばかりを吐く政治家もいる。ばらされたらそうなるのも知っておくべきだろう。後付けの言い訳を考えているのも大変なのだろうか。冷や汗をかきながら話す姿は見苦しいのだ。法も憲法も違反しても何もないのなら何のための法とかなのだろうかと問いたくなるのだ。彼は気を落ち着かせるために冷蔵庫から缶ビールを出した。絵を描くにも発想がなければならないのだが、沢山作りすぎて疲れたのだ。テーブルに缶を置いた。
「絶望というのは希望がある前提があるから言えるのだとすると今は呆れがあっているのかもな。叫んでも叫んでも無視するなんてことは裏切りとかではないな。詐欺師だ。ペテン師だ。もともと自分たちの事しか考えていなかったんだ。上面しか見せてなかったらいいと思っていてもいずれも見えてくるのだ。」
彼の澄んだ目に映るのは穢れを綺麗だと主張する集団だった。マスコミを批判してもかえって来るのは倍だろう。圧力に屈しているのが正しいのだろうか。違うはずだ。誰が正しい道を戻すためにも戦わないといけないのに逃げて流されているだけだ。
「政治家は自分の可愛さしか目につかないのだろう。だから自分の名前に様なんてものがつけれるんだ。それに新聞を買っているから余計なことをかくなっていうのはどうだろうか。失言して言葉だけの撤回して批判浴びたら反論して過ちを認めようとしない見苦しい姿を世間に見ているのだ。俺たち、私たちは自分たちの事しか考えていませんよ、それがどうかしたのですかというようにしか見えないのだ。」
彼は手のひらにあった飲み干した缶を潰した。吐き出したいのだが聞く耳のない政治家にはうるさいだけなのだ。ノイズとしか思えてならないのだろう。自ら導いた道をまた人の所為だと騒ぐのだろう。無責任が大量にいる限り続くだろう。
「侮辱されたとか忖度させるための言葉を吐いたのだ。その言葉の重さもわからない言葉の使い人などいらない。人を死に追いやる事もできるのもわからないのだ。」
絵でも人を動かすことができるのは知っている。それで救えるのならと考えるが、どうも政治家というのは違うと言い張っているのだ。国民のためという言い訳を言いながら都合のいい法案だけは早めに通す。理解なくても関係なく通す。戯言とかではなくこれが真実に過ぎないのだ。繰り返すのは・・・。




