【1】
人魚姫シンドローム
作 皐月 悠
【1】
私は人魚姫のお話が大好きだった。
アニメの人魚姫ではなくて、本で読み繰り返し中身を暗記してしまえるほどに読んでいる。何がそんなに私の心をとらえたのか、自分でもよくは分からない。覚えているのは、人魚姫の王子様を一途に愛したその姿に憧れて、結末がハッピーエンドではなかった事が悲しいのに、無理にハッピーエンドが用意されていなかった事が現実をあらわしているようで好きだったと思う。
「ちょっと、話聞いているの?」
「うん、聞いている」
友人の声に、私は彼女に視線を向けた。不満そうな表情を浮かべている彼女に、ごめんと苦笑を浮かべた。
黒板には好きな童話について、その理由を書きなさいというレポートの課題が白いチョークで書かれていた。レポートの課題を見てから、ふと人魚姫が好きだった頃の事を思い出していた。
「今日、飲みに行くって話でしょ?予定特にないから、行くよ」
「本当?いつも何か理由をつけて断るのに」
「私だって飲みたくなる事だってあります」
「そうなんだ」
「はい」
レポートの課題と、締め切りをノートにメモをして荷物をまとめた。彼女も同じように荷物をまとめていた手をとめて私を見る。
「飲みに行くの、楽しみにしているね♪」
「私も楽しみにしている」
そう返事をすると、私はリュックを肩にかけて教室を後にした。
私が彼女との飲みを断るのには、理由がある。
複数人で飲む事が苦手だからという事もある。でもそれは表向きの理由だったりする。本当の理由は、私は彼女の事が好きなのだ。友人としてではなくて、恋愛対象として好きだから彼女が酔った姿を見るのが困る。正直なところ、『どうしてくれようか、この可愛い生き物』または、『理性がためされている気がする』でもある。
それが今回、彼女との飲みに行く事にしたのには理由がある。
気ままな大学生活も、もう残り半年になってしまった。社会人になってしまえば、今までのように毎日顔をあわせる事もできなくなってしまう。どこかに遊びに行く事を誘う事も少なくなり、なかなか会う事もできなくなるだろう。
そうなる前に思い出を作っておきたいと思うようになっていた。
レポートを書けるような集中して作業できる場所を求めて部室に来ると、先客が気さくに声をかけてくる。先客の名前は新山ルカ、いつのまにかボーイッシュな女子大生で友人の一人になっていた。
「あれ、授業は?」
「次は一コマ後なの。そっちこそ、この時間に部室に居るなんて珍しいわね」
「んー…なんとなく、ここはお居心地がいいからね」
「そう」
リュックを置いて、ノートとペンを取り出してトントンとペン先をノートにつける動作をする。
真っ白なノートに初めの文字を書き始めるまでは、いつも迷ってこの動作をしてしまう。一文字を書きだしてしまえば、溢れ出してくるようにある程度書きたい事が出てきて突き動かされるようにペンが走るのに、いつもその最初の一文字がなかなか出てこない。
「課題は好きな童話について、か…」
「ルカの好きな童話はあるの?」
「そうだなぁ、忘れられない絵本はある。好きだけど、なんで好きだったのか上手く言葉にはできない。みんなが好きだと言っていたようなハッピーエンドでもないし、最後には主人公が星なる。でも、きっと子供心に現実なんてって思っていたのかもしれない。絵本の記述から、主人公がどの星なのかよく夜空を見上げて探した」
「ルカらしいね」
「そうかなぁ」
「そうね、そこでシンデレラなんて出てきたら少し違和感がある」
「何それ、失礼な」
「あら、褒めているのに。幸せな白馬に乗った王子様を待つような事をせずに、ルカの場合、自分で捕まえに行くでしょう?」
「それは…まぁ、そうですけど」
彼女の事が好きだと思っていても、私はルカに出会う事がなければ、自分の気持ちに対して一歩を踏み出してみようなんて考えもしなかっただろう。