悪役令嬢とヒロインの日常
ーーある悪役令嬢の独白ーー
兄様、兄様、大好きです。
だから、どうか攻略なんてされないで下さい。
私は最近流行の転生者らしい、それもべたべたに使い古された乙女ゲー悪役令嬢などという立場だ。
それに気づいたのは、よくある階段から転げ落ちたからでも病気で倒れたからでもなく、大好きな兄様とのお茶会の時間であった。
記憶の洪水に耐え切れなくて倒れるでも寝込むでもなく、唐突にやってきたその前世の記憶に私はあくまでも冷静に今後を考えた。あの性悪なヒロインから兄様を守らなければ、と。
私の兄様は侯爵家の世継ぎの君、アンドリュー・ド・パロス。煌めくプラチナブロンドの髪と翠石を嵌め込んだかのような瞳も眩しい麗しくも逞しい世の令嬢たちの憧れを一身に集める存在だ。
私の前世でプレイしていた乙女ゲー『華と嵐』におけるメイン攻略対象であった。
その妹である私も兄様と同じ色合いで華奢で儚げなザ・美少女で世の殿方から熱い視線を集める存在であるが、ゲーム内では兄に近づくヒロインの暗殺を謀った罪で修道院送りとなる悪役令嬢であった。
頭脳明晰でやさしく性格が良く非の打ち所の無いはずのヒロインは、自分に寄せられる好意にどこまでも鈍感に振る舞い、複数の男性を侍らせる。その様はどこかあざとく、兄を諌め守るために奮闘する悪役令嬢は哀れで、過激な手段に訴えざるを得ない状況に無理矢理追い詰められたようにしか見えなかった。
思えば、ゲームを進めながらも華奢で儚い雰囲気の悪役令嬢に私は同情的だった。
だからだろうか、この身体に転生してしまったのは……。
これから先の未来で兄の恋を邪魔することは私にとって良いこととは言えないだろう。だけれども私は全力で抗ってしまうだろう。
だって、全てを知ってしまった今だって、私は兄様が好きで好きでたまらないのだから。
全ては一年後学園に入学した私の前に、一つ上の先輩にあたるヒロインが現れる時から始まるのだ。
私の絶望的な戦いが……。
と、思っていた時期が私にもありました。
「レディ・ベローナ、ひっ、久しぶりだねっ」
頬を染めたデレデレな表情の人物が鼻息荒く近寄ってくるのを私はため息と共に見つめていた。
「あの、久しぶりではないかと……今朝も私の部屋に侵入……コホンッ、訪問してくださいましたでしょう?」
「あ、ああ、そうだったかな? これを君にあげたくて慌てて飛んで来たんだ。ほら白くて可憐で美しい君のような花だろう? 受け取ってくれるよね?」
目の前に差し出された白く小さな花をびっしりつけた一輪の花を受け取り、それを差し出した人物の顔をチラリと一瞥する。
美しい顔をうっとりと蕩けさせた目の前の女性はキャロライン・ド・ルボラン。
彼女は今年突如社交界に現れ、鮮烈なデビューを果たしたルボラン侯爵家の令嬢だ。今年まで身体が弱くて田舎で療養していたという尤もらしい理由付けはされているが、実は転生者の彼女の中身は日本の普通の女子高生というのがゲームの設定であった。
そして彼女はこれからたくさんの攻略対象者を手玉にとるはずのヒロインだ。
私の白っぽいプラチナブロンドとは違う色味の強い豪奢なブロンドの髪と力強い濃いブルーの瞳。背がスラリと高くいつも仕立ては良いが飾りを一切排除した独特なデザインのドレスに身を包んでいる彼女は凛とした雰囲気がどことなく騎士を想像させる。
レベルの高い攻略対象者達が次々に彼女に骨抜きになっていくのも頷ける、理知的で華やかな圧倒的存在感の彼女。
彼女との出会いは学園の門を潜ってすぐだった。ヒロインの顔を思い浮かべながら門を潜った私の目の前に張本人が待ち構えていたのだから最初はそれは驚いた。
彼女は不自然に私に話しかけ、私を見つめ、私に見惚れ、感嘆のため息を漏らし、自然を装って髪を匂い、私の身体にベタベタと不必要に触れた。
そう、疑うべくもなく彼女は普通ではない関心を私に抱いていた。
イケメンのゴチャ盛り・平凡な女子高生から華麗な侯爵令嬢への転身・現代日本の知識で領内改造チート生活、など流行も願望もてんこ盛りな華と嵐は世の女性から、いや充実した内政に関わる内容からも男性からも絶大な支持をうけていた。
悪役令嬢である私とは全くの初対面であるはずの彼女が私を知っていたとなればそれは彼女が私と同じゲーム知識を持つ転生者であることを示すのではないだろうか。
そしてその結論に辿りついた私は更に嫌なことに気づく。
彼女の中身は本当に彼女なんだろうか?
女であることを理由に彼女は堂々と私の寮の部屋に押し掛ける。
友好を深めるために、と風呂にも押し入られた挙句強引に背中を流されたこともある。
そのときの舐めるような視線やねちっこい手つきを思い出した私は身に迫る危機感にブルリと震えた。
ーーあるヒロインの独白ーー
貴女にあえるなら触れられるなら
俺は何でもするだろう。
そして、その全てを俺だけのものにする。
だって、貴女は俺の妻なのだから。
俺は転生者だ。
前世も俺は自分で言うのもなんだが、マメな男で付き合っている女性への愛情をたっぷり示すナイスガイだった。しかし何故かどの女性とも結婚に至ることなく、数名の女性から理不尽に訴えられるという不幸に見舞われた。不幸な経緯を経て、俺は亡くなった両親から受け継いだ古い屋敷で一人生活していた。
唯一の財産として残された畑を耕し、土の状態や作物の実りをチェックしたり天候を気にかけたり、黙々と農作業をするばかりの人生を送っていた孤独戦士な俺にその幸せな出会いは突然訪れた。それはその当時流行に流行った乙女ゲー『華と嵐』のオープニング画面でのことだった。
華奢で可憐な最高の嫁に出会った俺のその後の時間は、畑仕事以外は全てゲームに捧げられた。
そして明日は収穫もあるからゲームは程々にしようと嫁との逢瀬を惜しみつつPCの電源を切り就寝したのが前世における最後の記憶だ。
結局俺はゲーム内で見つけた嫁を夢に見たまま死んでしまったのだろう。
それはそれで本望ではあるのだが、唯一の心残りは死後、俺の秘密の趣味が親戚共の視線に晒されたであろうことだ。
まぁでもそれも些細なことに思えるほど、今の俺は幸福感でいっぱいだ。
なぜなら、俺は焦がれに焦がれたゲームの世界に転生していたのだから。
眠りについたはずの俺は気づけばだだっ広い庭にぽつんと佇んでいて、テーマパークのようなその見事な庭で一番最初にしたのは半端無い違和感を感じさせる自分の全身チェックだった。
感じていた違和感の正体はあっさり判明した。俺は女になっていた。
それも細身で出るところは出ている若く美しい肉体だ。
女になったショックを受けるなんてこともなかった俺はしばらく揉んだり揉んだり揉んだり触ったりして楽しんだ。いやどこをとかそんな無粋なことなど俺は言わない。察してくれ。
そして身に纏っている仕立ての良い女物の制服が見覚えのあるものであることに気づいた。
これは、華と嵐に出てくる女子高生のヒロインが異世界転移してくる最初のシーンではないだろうか。
そうして見渡してみれば今いる場所もオープニングでみた侯爵家の庭と同じ風景であった。
俺ヒロイン?
そこに思い至った俺は歓喜した。
いや、ちょっと待ってくれイケメンに囲まれてウハウハしたいなんて変態な希望は俺は持っていない。
そして内政チートきたこれぇぇぇっ、なんてことも思っていない。
俺は最高の嫁認定した最愛の女性のいる世界に来たのだ。
これから一年、何度もゲームをやり尽くし脳内に完璧に刻み込んだ内政チートで活躍しまくり、侯爵家にとって手放せない人材となった俺は侯爵家養女となる。そして薔薇色の学園生活が始まるのだ。
侯爵家の使用人たちが庭の異変に気づき駆け寄ってくるのを待つ俺の顔には堪えきれない笑みが浮かんでいた。
ああ、今日も俺の嫁は超絶かわいい。
あれから一年しっかりと現代チート知識を駆使し侯爵家にどっかり存在感を示した俺は、予定通り学園に編入を果たした。
そして俺は運命の嫁である侯爵令嬢ベローナ・ド・パロスと出会った。いささか強引で不自然感の否めない出会いであったのは否定しないが俺達は出会うべくして出会った運命の恋人同士。何の問題もない。
煌めくプラチナブロンドの髪からは良いにおいがしたし、翠石を嵌め込んだかのような瞳はキラキラと輝いていた。細くて白い身体は柔らかく最高の手触りで、不自然に思われない程度に気をつけて触れた瞬間など、感嘆のため息を零してしまった。
ぎゅっと抱きしめれば最高の抱き心地だろうと思ったが、流石に初対面でそこまでしてはいけないと紳士な俺はギリギリ踏みとどまった。さすが俺。
それから毎日のように俺は可愛いベローナの部屋を訪問し、プレゼントを贈り親睦を深めた。
特に朝の訪問は一番の楽しみといえる。中身おっさんの俺だが、今現在の俺は超絶美人の侯爵令嬢だ。今日も堂々と嫁の部屋に入り込み、その寝顔をたっぷり堪能する。無防備な頬や唇に時たま俺の唇が触れてしまったりするのはただの嬉しい事故で故意ではない。俺は紳士だ。
昨夜などは丁度風呂に入っていた嫁の背中を流してやろうと、優しく気遣いのできる俺は風呂に入り込んだ。壊した鍵は後で愛の仕込み付きで直しておいたので問題は全くない。
嫁は可憐なかわいい笑顔で迎え入れてくれたし、柔らかな裸体を出来る限り隠したりして恥らう姿は想像以上にエロくて俺を喜ばせた。背中を流すと俺が言えば最初は遠慮して断りの言葉を口にしていたが、嫁も望んでいたのだろう、最後には無防備に真っ白な背中を向けてくれた。そして俺の手が触れる度に敏感に震え、時たま歓喜の涙目で俺の顔をチラチラと見つめてくれた。全くけしからん破壊力だ。俺をデレ死させようとしているのか。そうに違いない。
小悪魔な嫁の新たな一面に気づき、惚れ直したりする俺の毎日は幸せに満ちていた。
ある日、俺達の前に嫁の兄が現れた。たしかメイン攻略対象だったはずのその男は兄思いの嫁の気持ちを利用して邪な視線で嫁の顔や身体を執拗に眺め、いやらしい手つきで頭を撫で回し、その美しい真っ白な頬に穢れきったその唇を押し付けた。
俺はこのとき思ったのだ。この男を抹殺してやろうと。
でも、学園の寮に入って以来の兄との出会いを無邪気に喜ぶ嫁はかわいかった。嫁が悲しむだろうし闇討ちで数発殴るくらいで許しておいてやろうと心の中で訂正をいれた俺は神のごとく鷹揚な心の持ち主だと思う。俺の成分はほとんど神で出来ている。間違いない。