おいでおいで
翌朝蛇の目の老婆は家の中へは
一歩も入ることもなく、自宅付近を歩くだけだった。
タケシを含め勇とも話し合いの結果
焦ってまで成仏させることは危険も伴うとの事になったので様子をみることになった。
『なんか拍子抜けした感じだなぁ~』
『何謂ってるんだよ。早く仕度しないと置いていくぞ?』
『そんな事謂うなよきょんきょん』
『早くするピヨッ!』
『いやんピヨ吉ぃ』
『『……』』
『…無言で攻めるの止めてくれ…』
取りあえずだが、いつも通りに出勤が出来た。ただ…蛇の目の老婆は少しずつではあるが会社まで着いてきていた…。
「ぐふふ…」
会社へ到着すると
恭祐とタケシは車から降り
大きい自動ドアから中へ入った。
いつも通り事務の女子が笑顔で迎えてくれる。元気な挨拶をしてくれるのでタケシはそれに応える。
『おはよう』
『おっはよー!』
『おはよう御座います。今日も一日無理なく頑張って下さい』
『ああ。有り難う』
『きょんきょんクール過ぎ』
別に気取っていた訳では無いのだが
残念な事にタケシの突っ込みが入ってしまい、苦笑いをする恭祐。
また勇はポケットの中で何故か同意するように頷いていた。
『あの…お昼の予定は…その…御座いますか?』
二人のうち、一人が恭祐へ話し掛けてきた。少し赤面している。
彼はネームプレートを確認すると“安堂香苗”とあった。
『さぁ…まだ判らないけど…』
『もし、都合が良かったら昼食…ご一緒しても…』
『…?構わないけど…』
『有り難う御座います!』
そういうと、勢いよく頭を下げ席に戻って行った。
しかし何故何だろうと思いながら右手で後頭部へやる。
まさか…自分とタケシが視える事が
此処でも噂されてしまっているのか?
一瞬、脳裏に浮かんだがそれは無いと確信があった。
そう…此所へ来て最初の出来事…あの時
他言無用でお願いしたからだ。
『あ、今日は集合写真を撮るとか謂っていましたので御確認お願いします』
『判りました。さ、行くぞタケシ?』
『ほーい。しかしお前モテるな?』
『自覚してないぞ』
『成実なら“そーだろう?”って突っ込むのに…』
『俺は成実じゃない』
『はいはい』
エレベーターまで着くと扉が開くのを待つ。その間同じように利用する社員が後ろや隣に列を作った。
扉が開くとタケシは“開”のボタンを押し
全員入るのを待ち、確認すると指を離した。中は少しではあるがごった返している…。
『やぁ、恭祐君おはよう』
隣に立つ山野が声をかけてきた。
彼は“ありがとうの少年”が好いていたもう一人の先輩社員だ。
小島も一緒なのかと訊くともう出社して
いるとの事だった。
『しかし今日のエレベーターは混んでるね』
『ピークの時間ですしね…こんなになるなんて初めて知りました』
『恭祐君とタケシ君はいつも早いからね。今日はたまたまだよ』
そんな話をしていると自分達が、降りる階で扉が開いた。
『こうやって中で会うのもたまには良いもんだね?そうだ、タケシ君、部長は?』
『今日はこいつの家からなんで別々なんですよ。もう来てる筈ですよ』
『あ、そうか…休みの間二泊してきたんだよね?』
『お土産、恭祐が持ってますから向こうで渡しますね』
『個人には三つ程と…あ、後アルコールが…それは帰りに山野さんと小島さんへ…』
『こいつ、俺の彼女に叱られちゃいましてね?面白かったですよ?』
『何か謂ったかタケシ?』
恭祐は一番指摘されてもらいたくない事をタケシに謂われてしまった。
苦笑いをしながらも彼を軽く睨み付ける。
『まぁまぁ、恭祐君。有り難く頂いとくよ。あいつにも俺から渡すよ』
『きょんきょん良かったねぇ?』
『何が…』
この時勇はポケットの中で頬を膨らませながら必死で笑を堪えていた。
しかし涙は我慢出来ない為、目からは小粒ではあるがホロリと出ていた。
『それじゃ、昼食が済みましたらあの自販機の所で待ってます』
『ああ。判った』
三人は自分指定席へ着く。
鞄からは出先でお勧めな所を見つけては
ノートへ書いた物をデスクの上へ出し纏める作業へ取り掛かる。
勿論店長達の写真も撮影済みだ。
『旅行先で仕事なんて恭祐らしいよなぁ~?』
『とか謂ってるタケシだってちゃっかり仕事していたじゃないか?俺一人じゃないぞ?』
『そーでしわ』
『おはよう。宮澤君、川野君』
声のした方を見ると、そこには鴨下が居た。明るい色に染めていた髪は落ち着いた茶色になっていた。巻いていたはずだが、ストレートに仕上がっている。
相変わらず綺麗な鴨下だと
二人は思わずにいられなかった。
『なぁに?…もしかして似合わないかな?』
『『…あ、いや…』』
『似合ってますよ』
『うん…いつもにまして綺麗…』
『タケシ緊張してないか?』
『だってこんな綺麗な人と席が近いだぜ?』
『うふふ…有り難う』
鴨下も自分のデスクへ鞄からパソコンを取りだした後、腰を下ろす。
ほんのり、髪の匂いだろうか…判らないが香っていた…。
「おいで…こっちへ…おいでぇ…」
蛇の目傘の老婆は三階の休憩所までやって来ていた…。丸いテーブルと椅子が喫茶店を思わせる。角には飲み物の自動販売機が置かれている…。
そう…恭祐がお土産を渡すのに指定した場所だ。老婆は中央に佇んでいる。
それを知らない男性社員が缶珈琲を飲むため小銭を右手の中で遊ばせ、音を立てながらやって来た。
老婆はそれを不気味な表情で見ている。
狙いをつけた…。
『さて、何の珈琲にするか…朝だし…これだな‼』
「おいで…こっちへ…おいで…」
『あ?』
彼は誰も居ない休憩所で声を訊いた。
回りを見るが、やはり誰も居ない…。
『気のせい…か…?』
「こっちへおいでぇ!」
今度は耳元でしかも大声で聞こえた。
『うわぁっ!』
カンッ!
彼は手に取った飲み物を驚きのあまり落としてしまう。男性社員は缶珈琲がコロコロと転がる先を見ていると、裸足で草履を履いた足があった…。
誰も居なかった筈の休憩所。
しかし今は“誰か”居る。彼の視線はその足から上を見ることを出来ずに、屈んだままの姿勢で止まったまま。
(何だ?こんな奴…うちの会社には居ないはず…草履なんて目立つ…そうだ…あの声…どうしても年寄の声じゃないか…)
するとゆっくり老婆が体を曲げ始めた。
ゆっくりと…。殆んどが白髪だが所々黒い髪の毛がある。頭の上で纏めていた髪をほどき、その髪の毛は徐々に足元へ降りてくる。
(おい…まさか…屈みだしたのか…?ふざけるな…)
「おいでなさい…おいでなさい…」
(やめろ…やめろ!それ以上は…)
もう少しで彼の目線までくる…。
皺だらけの顎と頬が見えてきた。
恐怖のあまり震えだしている。
そして鼻…。
『ッ!』
「おいでなさいなぁ…」
とうとう顔を見てしまった。
腰を抜かしてしまった為尻を着いてしまう。彼は怯えながらも両手両足を何とか動かしながら来た廊下まで必死に戻ろうとする。
『く、来るな…!』
やっと出た言葉だった。
彼の訴えも虚しく、老婆は手を伸ばしてきた…。
『うわぁぁぁッ!』




