ココノロナカミ
ー…いっそう、居なくなってしまいたい。もう、こんな世の中は嫌…ー
会社の屋上で一人の女性が空を見ていた。
白い雲は空をゆっくりと流れる。
風は易しく彼女の髪を揺らす。
屋上で弁当を食べようと他の社員が集まる。
その中で彼女だけフェンス越しに下を見る。フラついたらしく、右手を目に当てる。
『上村さん?どうしたの?』
上村に気づいた野々花が声をかけてきた。
『医務室…行く?』
『うんん。大丈夫。少し目を回しただけだから…』
『…顔色、悪いわよ?』
『…大丈夫。ありがとう…』
そう言葉を交わすと、上村は屋上を後にする。階段を降りながら考え事をする。五階へ着いた事にも気付かず、四階へ続く階段へ進もうとしたとき、山のような書類を持ちながら上がって来る恭祐とぶつかった。
書類はバラバラと宙を舞い、二人は尻もちをつく。
『いたぁ…すみません…前が見えてなかったので…』
『いいえ、私こそボーッとしてたから…』
『怪我、無いですか?』
恭祐はそう謂いながら上村へ手を差し出す。上村は親切に手を出された事が初めてだったのか、戸惑いながらも彼の手を取った。
『ごめんなさい。書類、バラバラになっちゃって…私も拾うわ』
『…あ、ありがとうございます』
二人は一枚一枚、元に戻す。書類を手に取るとき恭祐は彼女の手首にリストカット痕をみてしまう。
傷は少し新しい。
『…仕事、もう慣れた?』
上村は見られた事に気づいていないらしい。
『はい。少しづつですけど』
『そう。明日で1ヶ月ね?そうそう!
貴男、仕事してるから気づかないかも知れないけど、女子達に人気あるのよ?』
『俺が?』
『ええ。学校でもそうだったんじない?』
『そんな事無いですよ。同期の川野の方が人気ありました』
『あの子も可愛いわよね。あ…』
上村は最後の一枚を取る時
左手首を咄嗟に隠した。
すると、恭祐が上村の目を見て謂う。
『…あの、間違えた事は絶対にしないで下さい』
『宮ざ…わ…』
上村は左手首を恭祐が掴んでいることに
気づく。彼女は動く事なく恭祐をじっとみる。
彼の目は真剣だった。
恭祐の目は透き通る様な目をしている。
最後の一枚を恭祐は受け取ると、挨拶を交わし別れた。
ーあの子は私の何かを感じたの?
私の考えが判るの?ー
上村は恭祐の姿が見えなくなるまで
彼の背中を見送る。
恭祐が角を曲がり、見えなくなると
昼食を購入するため、近くのコンビニへ
行くことにする。
財布と携帯が有るとこを確認すると
そのまま階段を降りた。
コンビニに着くと
サンドイッチと紅茶を籠に入れ
レジに向かう。
会社へ戻らず、店の前にある
ベンチに座り昼食をとる。
まだ、掴まれた左手首に恭祐の手の温もりを感じていた。
『期待してもいいの?』
一人の友人として、自分を見てくれるか?
そんな期待をもちながら
上村は勤める会社へ向けて発していた。
『恭祐、それ終わったら昼にしようぜ?』
『ああ。あっ…』
『どうした?』
『弁当…忘れた…』
『…おい…』
タケシは恭祐の仕事が終わるまで
自分の仕事も終わらせる事にした。
どうせなら外で食べようとタケシが謂う。
数分後、午前中の仕事を終わらせ
二人もコンビニへ向かう。
目的地へ着くと、先程ぶつかってしまった
上村がベンチに座っていた。
『…あ、さっきはありがとうございました』
『あら…。いいのよ。私が悪いんだから』
『ん?何かあったの?』
『別に…』
『貴男達も此からお昼?』
『はい。実は…弁当忘れちゃいまして…』
『あははは。急いでたのかしら?』
『昨日、遅かったので…』
二人は、暫く上村と話すとコンビニの中へ
入り、食べ物と飲み物を買う。
タケシは仕事で使うのか、文具コーナーへ
移動すると、ボールペンを手に取る。
恭祐は外へ視線をずらすと上村はまだベンチに座っている。
傷の事も気になっていたので”眼”を使ってみる。
うっすらだが、鬼の形の黒い影が視えた。
きっと、彼女の心の隙を狙っているに違いない。
鬼は、恭祐に気づく。
出来れば教えたいが四月に入社したばかりで、そんな事をいきなり謂われたら
彼女はどう思うだろうか?
何か、きっかけが有ればいいのだが…。
時間はあるのか?
また、自分に刃物を向けたりしないだろうか?
恭祐はそう思わずに居られなかった。
『恭祐!』
『あ…』
『行くぞ!もう、僕ちゃん腹ペコ〜』
『ああ』
二人はコンビニから出る。
上村はサンドイッチを持ったままだ。
『食べないんですか?』
『…え?ああ、食べるわよ』
『良かったら、向こうで一緒に食べませんか?』
タケシが指差す方を見ると、木材で出来た丸いテーブルと椅子がある。
周りは目隠しなのか、椿に囲まれている。
案内を見ると、”憩いの場”と書かれている。
上村は恭祐達と移動し始める。
ちょっとしたピクニック気分だ。
恭祐は気づかれない様に、勇をスーツの
ポケットから出してやった。
物を落とした振りをしながら、勇に
食べ物を渡す。
そして、ボトルのキャップに烏龍茶を
少し入れる。
『こういうのも、たまには良いわ…誘ってくれて、ありがとう』
上村は初めて微笑んだ。
彼女の笑顔はとても綺麗だ…。
いや、美しいと謂うのかも知れない。
『上村さん…、綺麗ですよね…』
タケシが照れながら謂う。
いつもは仕事の顔しか知らない
二人には新鮮だった…。上村は顔を紅くすると、思いっきり、サンドイッチを持ったまま、否定する。
ウェーブのかかった髪が揺れると
ふんわりと、シャンプーの香りがした。
『俺も、そう思います』
『宮澤君まで…。本当やめて…
私…そんなっ!』
彼女はまだサンドイッチを持ったまま
紅くなった顔を隠す。
その行動が二人には可愛いとも思う。
ただ、年が少し離れてるだけで
その動作は同級生の女子達と何らかわらない。
上村は、他人に褒められた事が無いことを
話し出した。
『私、本当褒められた事がなくて…。
子供の頃もそうなんだけど、内気な
性格で…。他人と距離を置いていたの。
何度も変わりたいって思ったわ。
…けど、勇気を出す勇気がなくて…だから
…褒められて…びっくりで…
どんな風にすればいいのか分からないの』
『…。でも、今こうして俺達に話してくれでるじゃないですか?』
『え?』
『タケシの謂う通りですよ。勇気、あるじゃないですか?』
『此からも、嫌って程褒めまくりますよ』
タケシが謂う。
『ありがとう。何か、恥ずかしいけど
嬉しいわ』
(変な感じ…屋上に居たときは
何もかも投げ出したかったのに…
今はそうも思わなくなってる…楽しいなんて…初めて…)
『上村さんはGW何か予定あるんですか?』
そう思っているとタケシが上村に問う。
彼女は少々焦ってしまうが
すぐに冷静を取り戻す。
『…ないわ』
『やった!それじゃ一緒にバーベキュー!
どうですかっ?!』
(何だか気合い入ってるな…)
タケシは身を乗り出してきたので
上村はキョトンとしてしまう。
確かに予定は無いが家で小説をゆっくり
詠もうとしていた。最近買った物だ。
だが、折角の誘いを断るのも悪いながら
考える。色々と考えたが断る理由も無い。
『…どう…ですか?』
『ご一緒させて頂くわ』
『マジっすか!?』
『…タケシ…』
『それじゃ親父に連絡しますね!』
そう謂うと、スーツのポケットから
スマホを出す。
”用は急げだ!”と謂いながら父へ発信。
かけてすぐ、父親が電話に出らしく
少し、席を外す。
恭祐と上村は二人になった。
『川野君、元気いいわね』
『いつもあんな感じなんです』
『ふふ。ねぇ、宮澤君?』
『はい?』
『貴男、何か視えるの?』
『え?』
『…ごめんなさい。急に何かそんな感じがするの。さっき、私の左手首、掴んだでしょう?…その、傷、見られちゃったのよね?』
『はい。生意気謂ってすみませんでした。
その、俺…』
上村は最初の質問に対して
彼が否定しなかったので視えるのだと
悟った。そして、その質問に応えようとする恭祐を”大丈夫、ありがとう”と謂うと
言葉を続けた。
『いいのよ。でも、もう自分を傷つけないわ。…分からないけど…』
『えと、一人が不安で、もし痛いものを
持っていたら一度俺に預けてみて下さい』
『…その、”痛いもの”はどうするの?』
『何処かへ飛ばします。その後は
今より先へ進むんです』
上村はまるで、転んで泣いてしまう
子供へかける”おまじない”みたいだと
柔らかい口調で謂う。
恭祐は恥ずかしくなり、右手を後頭部へ
持っていく。
我ながら臭い台詞だった。
だが、上村はその台詞が気に入った様子だ。
『…”一人が不安で、痛いものを持っていたら一度”貴男に預けるか…』
『いや、別に繰り返さなくても…』
『あら?私好きよ?こういう台詞』
『そう、ですか…』
『ありがとう』
『え?』
『心の支えが出来たみたいで、嬉しいの』
上村は謂った。
”私の心の中身は棘が沢山あるの”と
悲しい棘だったり、意地悪な棘。
どうにか取ってしまいたい。
そう思っていたと。
『言葉の力で、取れた様な。そんな感じがするの』
彼女は持ったままのサンドイッチに気づくとひと笑いし口へ運ぶ。恭祐もまた、食べていないお握りを手に取る。
そして、電話中だったタケシが話し終わったらしく戻って来た。
『親父に話したらすぐOKでした』
『ありがとう。楽しみだわ』
『えっとぉ…五月四日にここで九時半に待ってます』
『分かったわ』
上村はメモ帳を鞄から取り出すと
タケシが謂った日時を記入した。
五月四日 セイコ前九時半。
『早い時間だな?』
『少し遠いから』
『そういえば、タケシ君…部長と同じ苗字よね?』
『はい。川野部長は俺の親父なんです』
『ええっ?!』
『…知らなかったんですね』
『…ええ…』
恭祐は再度”眼”を使う。
彼女に憑いていた鬼のような者は
姿を消していた…。
そして五月二日。
恭祐は引っ越しの片付けで
忙しそうにしていた。
荷物は二箱だけとなっていた。勝は恭祐が使うベッドを組み立てていた。恭祐の部屋は玄関を入ると、二つ目だ。
勿論、一人暮らしなので小さいキッチンが一緒にある。
風呂とトイレは廊下の反対側にある。
それと、狭いが物置もある。
『今日から一人暮らしだな?』
『うん。ここからなら会社も近いし』
『まっ。たまには泊まりに来るよ』
『…え?』
恭祐は振り返ると、勝が二つ目の
布団を押し入れに入れていた。
彼は家に居るときの父の行動を思い出した。
”だからあの時圧縮袋”と騒いでいたのかと…。
『父さん…』
『よしっ!残りはお前の服だけか』
『ありがとう。助かったよ』
『親がいないからって、夜な夜な連れ込むなよ?』
『…それ、絶対ないから』
(それなら昼間出掛けるって)
『茜が暫く煩いだろうな…』
『こっちは平和だ』
一人が不安なら…
痛いものを持っているなら
一度、預けてみるといい。
預かった誰かが何処か遠くへ
飛ばしてくれるかも知れないから。
言葉で伝える勇気が無かったら
手紙を書くといいかも知れない。
そして、素直になってみよう。