#04 レシピノート
たまねぎを倒したが、そこでふとした疑問が俺にはあった。
「この散らばったたまねぎをどうするんだ?」
まだ俺の涙は止まらない。だって男の子だもん、ぐすん。
「ナルキ、目が血走ってる」
「誰のせいでこうなったか、せーので指差せばすぐに明らかになるよ。それと……」
俺だけが仲間はずれみたいになっている。
「なんでお前たち2人はマスクしてんだ?」
「料理する時のエチケットですよ」
リュウカがしれっと言う。
「そういうの、包丁代わりの刀を持った俺がつけるべきじゃない?」
「そういう考えもあったかもしれない……。盲点だった」
「なに、敵の策に嵌ったみたいな顔してんの? 完全にこれはリュウカの落ち度だよね、俺の目と鼻」
「……ナルキ、たまねぎの刺激はマスクぐらいじゃ防げないよ」
「じゃあ、俺のためにガスマスク用意してくれ」
まるで火災現場に来た刑事のように口元をしっかり守ってたまねぎと俺に近づいてくる。
残念ながらここに焼死体はない。
あるのは俺の涙とたまねぎの残骸です。
「で、俺が苦労して倒したたまねぎをどうやって持ち帰るんだ? きっとカレーなら300人分ぐらいはあるぞ」
「そんなにはないよ。たまねぎは火を通すと縮むから」
「いや、そういう冷静なツッコミはいらないんだよ、ハヅキ」
「その疑問を解消するには、これだ」
秘密道具を出すネコ型ロボットのように得意げに、一冊のメモ帳を取り出した。
「これはレシピノート」
パラパラ、とこちらに向かって見せてくれる。
家計簿もつけたことのない俺にそれがどんなものなのか見てもわからないが、傍線だけの大学ノートとは違うようだ。
でも、どこかで見たことあるような……。
「あれだ、絵日記用のノートだ」
「それに似てますね」
ふふ、とリュウカは笑い、ノートの一部を本体から引き剥がした。
それは紙のノートではなく、ジッパー付きのビニール袋のようだ。
「いいですか、見ていてください」
ジッパーを開けて、散らばったたまねぎに向け、口のところについたスイッチを押す。
「たまねぎ吸引」
すると、たまねぎが、それこそ強力な掃除機のテレビ通販の実演のように綺麗に吸い込まれていく。
衛生面で心配な土に触れた部分、なんてものは都合よく分けてくれているようだ。
「スイッチオフ――とまあ、このように倒した食材は、保存しておけます」
ジッパーを閉じて、再びレシピノートに挟む。
「ほら、見てください。食材のストックリストです」
「ニンジンとたまねぎだけか……」
「馬のエサだね」
「馬はたまねぎ食べないだろ。たまねぎを与えるのなら猿だな」
「猿にあげると全部剥いちゃうんだよね」
「幼馴染で仲良く動物談義をしているところ悪いけど、説明を続けてもいいかな?」
こほん、とリュウカが咳払いをするので、俺とハヅキは、お口にチャックしてリュウカに続きを促す。
「これもこの世界で先人たちが作った技術の1つ。食材の保存。ダンジョンで得られるものが限られているから、他の味や食材を求めた時、町ごと引っ越すこともあるし、さっきも言ったように食材の調達は容易ではないから、保存する技術には細心の注意を払ったの」
そういえば、何軒か民家に入ったが、服や調理道具こそあれど、家電というものは当然なかった。
この世界に電気があるのかどうかわからないが、ダンジョンの入り口は白熱灯が灯っていた。
「よくわからない世界だな」
「いずれ、説明する時が来るかもしれないけど、ちゃんとした理由とかがあるのよ」
昔の食材の保存方法は今のように保存料がなかったり、密閉できる容器がなかったりして、食材がすぐに駄目になっていた。
江戸時代なんかでは、農民が収穫し武士や将軍などに献上させても、保存できるものが限られていたので、すべてを満足に食すことはできなかった。
実際、それで食中毒などを引き起こして死んだ例もあるぐらいだ。
「今の時代でも、どんなに冷蔵庫が優秀でも腐るもんは腐るからな」
「梅雨時とか最悪だよね。北海道でだってみかんは腐るよ」
「そうそう、あのみかんが腐った時の深緑と白の混じった不気味さと、生ぬるさと変な柔らかさを持った触感は、食べなくても気持ち悪いんだよな」
「でも、匂いは甘くなるんだよね」
「……君たち2人は雑談が好きなんだな。いっそ夫婦で漫才コンビでもすればいい」
「じゃあ、コンビ名は『まな板』で」
「ナルキさん、私、魚の内臓を取り出すの得意なんですよ」
笑顔なのに目だけ笑っていない。
これが噂のヤンデレだろうか。
「とまあ、話が逸れすぎちゃってますが、このレシピノートは食材だけでなく、一度調理成功した料理を登録できるんです」
「登録してどうするんだ?」
「ネットで公表するんでしょ?」
「カレーを? 箱の裏にも書いてあるぞ」
「あの今回はとことん話の腰を折ってきますね……」
それは2人が俺から徐々に離れていくから悪いんだ。
たまねぎ臭いのはわかるけど、俺が一番たまねぎ臭さを感じている。
「2人が俺から離れるから、ちゃんとした説明を聞けないんだよ。制服とか以前に、無菌室に入る時のような装備の方がよかった」
「ま、まあ、ここは普通の世界とは違うので、時間を置けば毒も匂いも消えますから、それまで我慢してください」
初心者に優しいRPGみたいだな。
「それにその制服にも、かなりの防御機能がありますので、普通に乾かすのよりも早く乾きますから」
「乾く機能の前に、濡れない機能が欲しかった。不動産屋さん、こういうのはマイナスポイントだ」
「別に家の裏が墓地とかじゃないんだからいいじゃないですか」
逆切れされた。
家の裏が墓地、すぐ外が線路、前の住人が部屋で自殺とか、そういう物件はやっぱり嫌われるんだろうな。
実際、この異世界カッティングボードの物件は金がかからないといっても、仕事がなく金銭も稼げなければ、食材の調達だってできない。
人間が生活するうえで欠かせない、衣食住――衣はまあいいとして、食べ物と住むところは自分たちでどうにかしなければならないのだ。
「キャンプだと思えば、まだ我慢できるか……」
「ナルキさん、こっちに行きますよ」
すごく離れた向こうから、リュウカが暢気に手を振ってくる。とことん近づかないらしい。
ついでに刀も回収されてしまい、俺はしばらく、ぼっち旅をすることになりそうだ。
「ところで、レシピノートにはニンジンとたまねぎ以外、入ってないのか?」
「はい、せっかく3人での新しい生活ですから、過去得た物は破棄しました。私たちで、新しく作り上げていきたいんです」
「…………」
俺とハヅキは、物理的な距離は離れていても、心の距離は近いようで、言葉がなくても目が合った。
もしかして、古いレシピノートがあれば、こんな苦労もたまねぎまみれになることも、なかったんじゃないだろうか。