#02 食事の準備
北海道に住んでいた俺、20歳のナルキは、寒いのが得意だったことを活かして高卒で地元の冷凍食品会社に就職するも、東京に飛ばされて営業職。
昔からの幼馴染との夢のマイホームの値段を調べるために寂れた商店街の不動産屋に入ってみたら、すべて無料の物件があったとさ。
なにこれ、俺人生の勝ち組?
そして今は……。
「リュウカさん、これはどういうことか説明してもらおうか」
見た目が同じ建物のうちの一軒に案内された俺とハヅキは、その建物の中の個室に閉じ込められた。
そしてそこに用意されたものに着替えるように言われ、すべてを拒絶すると面倒そうなので、渋々従うことにした。
「うん、よく似合っていますよ」
満足そうに頷くリュウカさん。
俺が着替えている間に、リュウカさんも俺と同じデザインの服に着替えている。
更衣室は俺とハヅキで1個ずつ使って、他に予備はないからもしかしなくても外で着替えていたんじゃないだろうか。露出狂か。
「そうか……?」
確認するように全身を姿見に映して確認してみれば、やはりというべきかなんというべきか、先ほどから感じていた既視感を理解する。
「俺、やっぱ体縮んでるよな」
「はい、大体4年ぐらいは若返っていると思います。それがこのカッティングボードです」
リュウカさんは得意げに人差し指を立てて言う。
「どういう理屈かわからないけど、この制服みたいのは格好いいから許す」
白を基調とし、肩や脚にかけて2本の黄色いラインが走り、胸ポケットには金色のナイフと銀色のフォークが交差した刺繍が施されている。
さらに背中には、皿を思わせる丸い円。その中心に炎のような赤い紋様が浮かぶ。
「ちなみに両サイドのラインは箸をモチーフにしてあり、白は料理人のイメージです」
リュウカさんからの説明に、ちょっとばかし感動する。
そんな俺たちのやり取りを、隣の更衣室で聞いていたであろうハヅキがカーテンを摘んで、顔だけを外に覗かせた。
「どうした、ハヅキ」
心なしか顔が赤い。
もしかして、まだニンジンが苦手なことが恥ずかしいのだろうか。
「制服なんて恥ずかしいよ」
「今まで当たり前のように毎日着てただろ。今さら」
この制服、中学・高校時代に着ていた平凡な制服に比べるとかなり格好いい。
「そういう問題じゃなくて……」
そっとカーテンを放して外に出てきた。
ずっと長いこと、それこそ毎日のようにハヅキの制服姿なんて見ていたからこそわかる。
感覚的なものではなく、リュウカさんの説明そのままに、目の前にいるリュウカは、制服というものに身を包むと、確かに若返っているんだということを実感できる。
「あのね……ちょっと胸がきついかなって」
そう言って、本当にピチピチの胸元に手を置くハヅキだったが、俺の背後で誰かが吐血でもしたかのような鈍い咳をした。
「なかなかのダメージだ。ぐふっ」
この世界の名前はカッティングボード。
俺をここに連れて来た不動産屋の女、リュウカさんも、この世界を体言するかのようにお胸が残念なまな板。
「ナルキさん、私、うなぎも捌けるんですが、近々人体でも可能かどうか試してみたいと思っています。どうでしょうか?」
「お前はエスパーか」
自分でこの世界はまな板の上だと説明をして、自分のコンプレックスを抉っていては、元も子もない。
それどころか俺へのとばっちりが酷い。
「まあ、元の世界に戻れば4年ぐらい成長するんだろ? そしたらまあ、膨らむさ」
ぽん、とリュウカさんの肩に触れると、そっとリュウカさんの手が俺の手に重ねられる。
あれ、おかしいな。俺の手が動かない。
「人間、ある程度、年を取るとココに来ても若返らない」
「どんまい」
ハヅキ――同性からの「どんまい」は耐久力の低いリュウカさんの急所を抉った。
ところで、リュウカさんはいくつなんだろうか。
「食べ物の好き嫌いをなくせ、というのがこの世界の方針らしいから、一定の年齢の人間は若返ります」
「どういう理屈だ?」
「大人は好き嫌いを治しにくいけど、子供の頃に克服しちゃえば、トラウマでもできない限り、将来的にずっと苦手な食べ物ができにくい、というのが人間です」
俺は子供の頃、ピーマンをはじめとした野菜が全部苦手だった。
幼馴染のハヅキの家が八百屋で毎日のように野菜をおすそ分けしてくるから、食べ過ぎて野菜嫌いになったが、今は大人なのでそんなことはない。ピーマン以外。
「じゃあ、子供は子供のままってことか」
「そうなります。この世界に子供がいればの話ですが」
そもそもこの世界に来て、勝手に建物の中に入って服を漁っているが、他の人など、誰1人として見ていない。
「次は装備屋に行きましょう」
俺とハヅキは、意気揚々としているリュウカさんの背中を見て、同時にため息を吐いた。
だけど個人的には、装備屋というのには心惹かれる部分がある。
やっぱ男とは、剣や鎧というものが好きだし、リュウカさんがニンジンを3等分に切ったような魔法の剣とか実はすごく憧れる。
男だから!
なのに……なのに……。
「なのに、これはあんまりだ!」
「突然どうしたんですか? 意気揚々と装備を装着していたのに」
胸なのか背中なのか、どっちがどっちだか一見しただけじゃわからないとか考えているだけで、すぐに察して睨みを利かせてくる癖に、なんで男心――少年心を汲むことができないんだ。
「残念おっぱい」
「ナルキさん、急に悪い顔をしましたが、どうしましたか?」
青筋を眉間に浮かべている人に言われたくない。
「なんなの? なんなの? どういうことなの? これって詐欺だろ、おい!」
「ああ、そのことですか」
俺の格好を見たリュウカさんが、得心いった! とでも言いたげな笑顔を見せる。
「まだまだレベルの低いナルキさんにはIH専用調理器具も匠の業で作られた装備を装着するのにはレベルが足りないんですよ」
「レベルが低いとかレベルが高いとか、IHとか圧力鍋とか、そういう問題以前なんだよ! なんだよ、この装備!」
「くくく、ナルキ、かっこいいよ」
腹を抱え、必死に声に出さないように笑っているハヅキ。
もういっそ大声出して、涙でも流して、俺を指差して嘲ってくれ。
騎士と称されるような格好のいい甲冑や剣、盾、兜なんてものを期待していたのに、俺に施された装備といえば、
頭 三角巾
胸 紺色エプロン
右手 お玉
左手 鍋蓋
「料理教室に来た主夫か!」
「くはっ」
必死に堪えていたハヅキの笑いが口の中で爆発して変な声が息と一緒に吐き出された。
「レベルを上げないと包丁などの刃物は持たせられない」
「子供か!」
ハヅキの爆笑が止まらないが、そのハヅキのエプロンは可愛らしいフリルのついた白いエプロンで、女の子に似合っていていい。
武器の類も頭の装備もないけど。
「私は料理担当だから、戦わないよ。だから普通に包丁使うし」
「贔屓だ……」
「そんなことないよ。ぷっ」
「笑うなよ……」
俺を視界の中に入れる度に笑い出すハヅキ。
「これで本当に、あんなニンジンとか倒せるのか?」
「さあ?」
いつかリュウカさんと戦う日が来るような気がした。
「とはいえ、お玉じゃ打撃属性だから、斬属性の武器としてセラミック包丁を貸してやろう」
「最初から寄越せよ」
お玉を持った勇者なんて、きっと鼻で笑われ、幼稚園児に囲まれてボコられるのが関の山だ。
「まあ、セラミックでも包丁は包丁だもんな」
手の平サイズぐらいしか刃の長さがなくて、おままごとのおもちゃのようにしか見えないし、これを実際に使うと食材がうまく切れずに、ボロボロにしてしまうが、それでも包丁は包丁だ。
「料理の手伝いで、初めて包丁を持つことを許された小学生の時のことを思い出すよ」
「初心忘れるべからずですね。さあ、行きましょう、ダンジョン!」
「今日はもう帰らない?」
「なにを言っちゃってるんですか! これで終わったら、ただのギャグじゃないですか」
ただのギャグにしようとしたのは俺の装備のせいだろう。
しかし制服の上にエプロンって学校の調理実習みたいだ。
「そうだ、まずはブリーフィングですね」
俺もハヅキもこの世界のことはなにも知らないんだから、これからなにをするにしても、教えてもらわなければならない。
リュウカさんの提案は素直に受け入れよう。
「っていうか、俺たちはなんでこんな異世界に来てるんだっけ?」
寂れた商店街の不動産屋に入って、幼い頃からのハヅキとの夢を叶えるため、庭付きの一軒家を探していたんだ。
それで案内されたのが金が1円もかからない、この異世界『カッティングボード』――通称まな板。
ここにはダンジョンがあり、人間よりも大きなサイズのニンジンがいて、そいつには手や足や顔がついている。
それを倒すことで食材ゲットだぜ!
「いや、だからなんでそうなるんだよ!」
「ナルキさん、独り言を楽しんでいるところ申し訳ありませんが、ブリーフィングを続けさせてもらいます」
「ダンジョン行く前に、なんでダンジョンに行くのかを教えてくれ」
「ああ、その説明がまだでしたっけ?」
こういう人間と取引をすると、きっと俺にとってマイナスなことしか起こらない、狡賢い人間だ。
「そんな疑いの目を向けないでください。ちゃんと教えますから」
こほん、と咳払いをするリュウカさん。
「今いるこの場所、かつてここに誰かが住んでいた形跡をそこかしこから感じたと思いますが、私が住んでいた町がありました」
「じゃあ、さっきから服とか道具とか盗んでるのは知り合いの家から盗んだってこと?」
「ちょっと誤解を招くようなことを言わないでくださいよ。有効活用ですよ、有効活用。わかりましたか、ハヅキさん」
俺たちの住んでいた北海道の田舎でも、他人の家にチャイムがあっても、鳴らす前に勝手に玄関から入って行くようなことも珍しくないぐらいにはご近所さんが家族同然だったが、これは空き巣だよな。
「今、空き巣とか思いませんでしたか?」
俺の心の中に不法侵入しないでいただきたい。
「俺はハヅキを結婚するから、俺のハートまでは盗めないからな!」
「いりません……」
どん引きされた。
俺を異世界に連れて来たぐらいなんだから、俺の魅力に魅せられてとかだと思ったが、そういうフラグは立っていないらしい。
「この町が壊滅したのは、もう10年ぐらい前になると聞いたが……この惨状を見るに、みんな逃げたのでしょうね」
「なんか言ってることに矛盾を感じるけど?」
「どういうことだ、ハヅキ」
「だってリュウカさんはこの町の人なんでしょ? それなのに滅んだのが10年前って他人事みたい」
ハヅキがリュウカさんを見るので、俺も一緒になってみれば、唇をもぞもぞと動かして俯いてしまった。
「私は弱いから、外の世界に帰されて、長いこと立ち入りことを禁じられていた。でも、少しずつダンジョンに挑んでレベルを上げてきた! だから仲間が欲しい。今よりもっと強くなって、新しい町を――誰もが笑顔でいられる町を作りたいんだ!」
苦しそうに感情を吐き出すリュウカさん。
きっと辛い経験をしてきたのだろう。
俯いた彼女の目元に光るものが見えたが、俺はさ、物語の主人公とかそういうんじゃないんだよ。
確かに誰もが昔は憧れたりするけどさ、実際にはそんな体験も経験も夢のまた夢。
現実は俺のように就職して、社会の一部に溶け込んで、なにも思い通りにならないまま生きていくんだ。
誰かを助けるとか、なにかのために危険なことに挑むのなんてバカのすることだ。
「不動産屋って、家だけじゃなくて町まで客にプロデュースするのか?」
「ね。そんなの聞いたことないよね」
「バカバカしくて付き合いきれない」
リュウカさんが握った拳に力を込めているが、ゆっくりと時間をかけて解いていく。
「そうだよね……もしかしたら命の危険だってあるし、頼めないよね。ごめん、私舞い上がってた」
はは、と乾いた笑いを漏らすリュウカさんは、俺とハヅキの間を通り抜けて外に出て行こうとするが、一切顔は上げない。
「リュウカ――俺には町作りなんてもんには興味がない。俺は言ったはずだ。広い庭付きの大きな一軒家が欲しいってな」
「うん、昔からの夢だね」
「金はないし、町のプロデュースとか俺たちには興味がない」
「でも、ご近所さんが誰もいないのは寂しいよな」
「私も、井戸端会議とかしたい」
「やるよ、俺たち」
「でも……」
「こんな面白そうなこと、目の前で見過ごすなんてバカバカしすぎる!」
「そうだよね。敷金とか礼金とかもいらないよね」
驚いた顔をしたリュウカさんは涙を零して笑った。
「持ち家なら敷金も礼金もいらない。それを言うならローンを組む頭金や登記料です」
「うちの家は、おじいちゃんの代から建ってる古い家だから、そういうのわからないんだよ」
「うちも、すっげー古い」
俺の場合は、北海道の実家もだが、東京で借りているアパートもどっちもボロだが、実家の屋根には最近ソーラーパネルがついて自家発電している。
「教えてくれよ。ダンジョンを攻略すれば人が集まるのか?」
「うん。ダンジョンはいくつもありますけど、1フロアでも攻略できる実力があれば、その周りに人が集まり、家が建つ。
ダンジョンに挑む実力のない者は、ダンジョンに挑む勇者の手助けをしてくれる」
「私が留守番で料理人みたいな?」
「そういう人の中に、建築家や男手が集まれば家も簡単に増えて、町になる。
徒党を組んでダンジョンに挑み、さっきのニンジンのようなモンスターを効率的に狩ってくれば、町の食料には困らない」
「縄文時代みたいだな」
男はマンモスを狩り、女は土器を作ったり、男たちのために料理を作ったり。
ただ森なんかがないから植物や果物を収穫することができないため、ダンジョンに挑まない者にはすることが限られる。
「男だからって誰しもが戦うわけじゃないし、私のように女でもダンジョン攻略者はいます」
「俺は戦うぞ。寒いところなら任せておけ」
「この近くにあるのは普通のダンジョンで、寒くはありません」
「それは残念だが、レベルを上げていけば、リュウカが持つようなかっこいい武器も持てるんだろ?」
「もちろん。武器は成長させられる。そのために鍛冶師も必要だが……とにかく、ダンジョンを攻略し、人を集め、町を作れば、いくらでも強くなれるチャンスはあります」
それはもちろん、あのニンジンのようなモンスターに対しても怯まずに立ち向かう勇気も同じだろう。
「やってやる! 俺たちのマイホーム、マイタウン!」
「夢のマイホームを持つのって大変だね」
ついでにご近所さんも手に入るし、ダンジョンに挑む俺は勇者であり、英雄。
煩わしいご近所付き合いも、きっと円滑に進むだろう。
「よし、やるぞ!」
俺が手を差し伸べれば、その手の甲にハヅキが手を重ねる。
「うん、よろしく。ナルキさん、ハヅキさん」
そしてリュウカさんも、そっと重ねる。
「よっしゃー! 行くぞ、ダンジョン!」
3人揃って天高く伸ばした手を拳にする。
「ところで、ダンジョンでどうするんだ?」
「それを説明する途中でしたね。まずは、ダンジョン攻略前にメニューを決めましょう」
「メニュー?」
「ハヅキさん、料理はどんなものが出来ますか?」
「家庭料理なら大体」
田舎の女の子は幼い頃から、お正月やクリスマス、お祭り、冠婚葬祭の際に料理を手伝わされる。
ハヅキだって例外なく台所に何年も前から立っていて、おばさんの味だってちゃんと会得している。
「じゃあ、まずは定番だけどカレーを作ろう」
「最近食べてないな」
1人暮らしで、家でカレーを作ると作りすぎるので、基本的にカレーは外食メニュー。
しかも、ちゃんとした専門店だとかなりいい値段がする。
「ニンジンはあるから、じゃがいもとたまねぎ……あとは強敵だけどお肉」
「なに肉だ?」
「私は豚がいいな」
「俺も豚」
「じゃあ、豚で」
ニンジンであの恐ろしさだから、豚のモンスターってどんなだろうな。きっと想像以上に豚なんだろうな。
挑むはダンジョン
メニューはカレー
「俺たちのマイホームのため」
「私たちのマイタウンのため」
いざ、ダンジョンへ!
「いってらっしゃい」
「ハヅキは行かないのかよ!」
「ええ、だって怖いし」
「最初ぐらいは行きましょう? 最初のフロアぐらいなら問題ないですし……それにさっきみたいにダンジョンから出てきたモンスターがいた時、守れませんから」
「そういや、普通は外にはモンスターいないんだっけ?」
「ええ、なんでニンジンが外にいたのかわかりません」
そういうわけで、改めて3人でダンジョンに行くことになった。
ギャグみたいな装備で、夢を叶えるために!
【MENU 01 カレーライス】