動物園
彼女が突然ぞうが見たいと言い出した。ゾウ? 像? 臓? ぞうが何のことか分からず彼女に訊ねた。
「馬鹿? 象は象よ、鼻が長い……」
「ああ動物のね」
「それ以外に何があるっていうのよ」
彼女はよく気まぐれで物を言う。例えばどこどこのデザートが食べたいとか、○○が欲しいだとか。そしてそれに付き合うのが彼氏である俺の仕事だった。今日は彼女の家でだらだらと過ごしているだけ予定はなかった。携帯で動物園を検索すると車で1時間の場所にあった。ただし閉園時間が16:30で現在の時刻は15時。これから行っても30分しか見ることができないがそれでもいいかと尋ねると、彼女はそれで構わないと言った。
動物園に着いたのは予想を少し過ぎた16:03だった。入園時間は16時までらしくすでに入口付近では閉園の準備をしていた。係員に無理を言ってチケットを購入しなんとか入園させてもらった。渡されたパンフレットを見ると象がいるのは園内の一番奥だった。
動物園に当然ながら多くの動物がいた。少し前に一世風靡したレッサーパンダや檻の中で暴れるサル、眠た気なライオンなど、個人的にバクに心惹かれたが彼女がさきさきと進んでいくため観覧はあきらめた。
それから爬虫類にカメの展示コーナー、鳥類のエリア。
特にパンフレットの表紙をフラミンゴの写真が飾るだけあり、水を湛えた柵の内側にはたくさんの色鮮やかなフラミンゴがいた。フラミンゴの赤色は主食の蟹などに含まれる色素の影響だと聞いたことがある。動物園のフラミンゴも蟹を食べているのだろうか、それだとした贅沢な食生活だな、とどうでもいいことを考えているうち象の柵の前に着いた。
時計を見ると16:12だった。流石に閉園が間際なこともあり柵の周辺には俺と彼女の他だれもいなかった。
風が冷たい。今年も早いものですでに11月となり、また一つ年が終ろうとしていた。
年が明ければ俺はすぐに28歳になる。彼女と付き合い始めて2年半、そろそろ色々と答えを出さないといけないかもしれない。
一足先に柵に着いた彼女の横に立ち象を見る。大人の象が4頭と小象が3頭の計7頭の象がいた。小象それぞれに対し大人の象が1頭ずつ寄り添っていた。隅の方では余った1頭が水浴びをしていた。あれがパンフレットにある唯一の雄象なのかもしれない。
彼女はさして関心もなさそうな表情で象を見ていた。
「象はどう?」
「馬鹿? 見たら分るじゃない」
「そうだけど、見たいと言ったのはお前だろ」
それから俺も彼女も黙って象を見ていた。1分くらい見ていただろうか、沈黙を破ったのは彼女だった。
「知ってる? 象もネズミも生涯で心臓が鼓動する回数は一緒で、だから寿命はぜんぜん違うのに命の時間は同じなんだって」
彼女の話は聞いたことがあったが、それが間違えだという話も聞いたことがあった。だがそれを指摘する程には内容をはっきりと覚えてなく、彼女の話に水を差すのも面倒くさかったため黙っておくことにした。それよりも彼女が言った命の時間という表現が気になった。
「ふーん。例えそうであっても俺はネズミよりは象がいいな。象の方が誰かと長い時間を一緒に居られるってことだろ」
象は俺たちに一切興味がないようで各々自分たちの時間を過ごしている。
「馬鹿? だから感覚的には象もネズミも同じなんだってば」
「それでも一緒に居れるのは象の方が長いだろ?」
「そうだけど……。あーよく分からなくなってきたわ」
「でも一番はやっぱ人間がいいかな」
「馬鹿? 何を当たり前のこと言ってるのよ?」
彼女にとって人間が良いことは当たり前のことであるようだった。
それにしても風が冷たい。俺は上着のチャックを上げた。そしてもう一度時間を確認した。
16:20
さっきから『蛍の光』に合わせて退園を促す園内放送が流れている。
「そろそろ帰るか?」
変わらず彼女は関心なさそうに象を見ている。結局、彼女は何をしに動物園に来たのであろうか。そしてどうして俺は彼女に付き合って象を見ているのだろ。考えてみるが何もかもさっぱり分からなかった。
それでも「もう少しだけ」と、答えた彼女が愛しく思えてそっと手を繋いだ。