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ボクらは透明な、細長い器の中で生まれて、
ボクらは重厚な、キラキラ光る灰色の鉄の匣の中で育って、
ボクらは真っ暗な部屋の、緑色の光のパネルの前で出会って、
そして、ボクらは――。
『トゥ。任務だ。』
「…はい。」
呼ばれて、瞼をゆっくりと開けた。無心で横たえた体を起こし、用意された服を着る。
空っぽの頭に記憶されているのは、体の使い方と、戦い方と、自分の名前、そして、何故それしか記憶にないのかという、理由だけだ。社会常識やルール、歴史や科学などの知識については辞書を引くより思い出した方が早いくらいだが、こと自分の事については、ほとんど何も記憶がない。
”試験管”の中で生まれ、この煌々と灯りの灯る銀色の匣型の建物の中で育ったトゥは、自分が生きている事と、自分が兵士である事以外、自分の事は何も知らない。
部屋を見渡す。
四角い匣の中の、小さな四角い匣。
ここは、トゥの匣だ。
この建物には、こんな匣が沢山ある。そしてその数だけ、トゥと良く似た少年がいる。
銀色の髪に、赤い瞳。白い肌。
この三つの要素だけが、トゥたちが、自分が自分であると認識出来る材料である。
背は低い。体も細い。だが、特殊な訓練と教育を施されたトゥたちの体には、あらゆる武術と兵器の扱い方が染み付いている。
そして身嗜みを整える事も、この”匣”の中に於いては最重要項目だった。
起きてまずする事は、与えられた”衣装”を身に着ける事。白い前釦のシャツに、黒いスラックス、黒い革靴。最後に、黒いロングコートを羽織い、部屋にぽつんとある全身鏡の前に立つ。
トゥは服を調え、最後に髪型を確認して、鏡を離れた。少し長めの髪が、これ以上伸びる事はない。そう、”決められている”。
部屋を出、長い長い廊下を行く。
行き先は、『教員室』と呼ばれる部屋だ。そこには、『教授』と呼ばれる大人がいる。『教授』はトゥたち少年の責任者であり、トゥたちをこの世に生み出した親である。
『教員室』の銀色の扉の前に立つと、スッと扉が開いた。
一歩入り、背筋を伸ばす。
『教授の前では、礼儀正しく』。
これが、ここでのルールだった。
「素早い身支度だ。実に宜しい。」
穏やかで、優しげな男性の声がする。『教授』だ。
『教授』の部屋は暗いので、誰も『教授』の顔をはっきりと見た事がなかった。尤も、”見た事がない”という記憶が、”本当に正しいかどうかはわからない”が。
壁には液晶モニタが沢山あって、『教授』はその前で、トゥたち少年に任務について指示をする。他にも大人は沢山いるが、任務の話をするのは『教授』だけだった。
『教授』はモニタを背に、暗がりの中でにこりと笑った。
「ありがとうございます。」
トゥが礼を述べると、『教授』は満足げに頷いて、トゥに一枚の紙を渡した。
「廃棄コロニーで、未だ稼働中のものが発見されてね。
偵察部隊が接近したところ、威嚇射撃を受けた。
キミの任務は、このコロニーへの潜入と、稼動システムの完全停止。
このコロニーについては、長らく廃棄扱いだった事もあって、ほとんど情報がない。
そこで、今回は二人で任務を行って貰う。」
『教授』がそう言うと、背後で扉が開いた。トゥが振り向き、脇へ寄ると、少年が一人、入って来た。
背が低く、細く、ただ必要な部位は鍛えられていて、髪は銀色で、目は赤くて…。
トゥと全く同じ形の少年は、トゥと同じような白いシャツに、黒いスラックスを履いて、黒いコートを羽織っていた。
「トゥ。今回の任務でキミとチームを組む、エインだよ。」
トゥはエインを見た。
だが、エインはトゥを見なかった。
「船は用意してある。少し遠いので、ワープ機関の使用は許可されている。あとは、各自対応しなさい。」
「はい。」
少年たちは、ただ、了解する。
「無事に帰っておいで。」
『教授』はただ、見送る。
ここでは、他者同士、それ以外の接触は持たない。
それが、ルールだった。
◆ ◆
地球の重力から逃れられない人類は、西暦が撤廃されて、新世紀が誕生して尚、地球に留まっていた。
大地は荒廃し、資源エネルギーは完全に底をついた。だが、新しいエネルギー開発と、その半永久的なリサイクル手段を見出した人類は、その数を減らす事無く生き永らえていた。
国家や連合は分散、合併を繰り返し、ついに一つに統合された。古来の国家という概念は、今や地域やコミューンという括りでしかなく、統一化された法によって、人類は管理と監視の中で自由を謳歌する生き方に価値を見出し、遺伝子研究によって病に怯える必要もなく、子供の産み分けすら、意図的に行えるようになった。
宇宙開発は牛歩並みながら着々と進み、宇宙センターの敷地は拡大の一途を辿る。
一方で、国家や地球の束縛からの解放を望む者も少なくなく、法によって許可された宇宙進出を個人や企業単位で行うようになった。
結果として、宇宙には大小様々なコロニーが点在する事となり、やがて廃墟と化したコロニーが散らばる事になった。
政府はそれらを『廃棄』と呼び管理と解体を進めているが、国家統一によって派生した反政府武装集団のアジトと化していたり、統一国家へ反旗を翻した者たちによる独立国家がリサイクル使用をしており、撤去には困難を極めた。
対反政府にしても、対独立国家にしても、対立している以上、交戦を余儀なくされる状況であったためだ。統一政府として、武力圧制は禁忌であった。
そこで政府は、軍ではない民間企業による廃棄コロニー撤去を提案する。補助金や免税などの補助は一切しないが、”自然保護に活かす”という名目の元で企業へ技術を提供、企業はその技術を元に、廃棄コロニー撤去を進めた。だが、反政府組織の抵抗や攻撃により、作業者が死亡するケースが続出。やがて、企業の中には傭兵部隊を設立する動きが見られるようになった。
廃棄コロニーの撤去自体は必須である事と、反政府集団が武装した事で、世論の殆どがこれを正義とし、誰もこれを弾圧しなかった。
この動きは日を追う毎に過激さを増し、陰を作った。
その陰の中でひっそりと生れ落ちたのが、トゥやエインたちだった。
トゥたちは、同じ遺伝子の複製体だ。
戦闘能力、体力、頭脳、環境適応能力に関する遺伝情報を人工的に構築、有益に組み上げられた遺伝子配列を持ったミトコンドリアと、とある一人の男性のY染色体を元に培養液の中で生まれた。
体が発達し切らない年齢である十六歳という年齢まで育ったところで、培養液から出され、以降、死ぬまで兵士として生きる。
純粋に母親と父親の交配によって生み出された人間が、反政府集団との交戦で数を減らす事を避けるためという大義名分の下、生まれた彼らの存在を、国民は知らない。
元は、統一政府から提供された全国民の遺伝子情報である。
その中から、必要な情報だけをコピーし、それを人型とになるよう組み合わせただけに過ぎない。
継ぎ接ぎだらけの遺伝子を持って生まれたトゥたちは、人型を維持出来る以外は”人間”ではない。
永遠に老いる事無く、成長をする事もなければ、体の部位が伸びる事もない。そして、傷を負っても培養液での休息さえ受けられれば幾らでも再生出来た。遺伝子の組み合わせの結果か否か、色素欠損が見られるため、色は白く、髪は銀色。だが、動物並みの視力を持った瞳は真っ赤だった。だが、同じ遺伝子を使ってはいるものの、色素欠損の具合は固体によって差異が生じた。そのため、この赤い瞳は個々で色合いが違う。
エインは深紅だが、トゥは緋色。
この個人差が、周囲の固体識別意識を助長し、『教授』や少年たちが『大人』と呼ぶ遺伝子研究者たちの愛着を増大させた。
少年たちは研究者たちの愛玩具のようなものになった。
それは性的なものではなく、極めて単純な、着せ替え人形を愛でるに近い感情だった。
任務に支障を来たさぬ程度に着飾る事。
白いYシャツの袖口にはフリルが。黒いロングコートは風に綺麗にたなびく様作られて。黒く細いスラックスの丈はお手本どおりで、黒い革靴は特別な環境下でも体の動きを妨げない完全な特注品。挙句、誰の趣味か、アクセサリーの色は、瞳と同じ色だった。
身嗜みを調えるルールは、大人のためだった。
◆ ◆
格納庫では、整備士が小型シャトルの準備を追え、二人を待っていた。
最低限の食料物資と、想定し得る場合に備えた武器、弾薬。簡単なメディカルグッズ、など…。
二人分でも、操縦席以外にない小型機に積むには少ない量だった。
整備士が、乗り込んだ二人が席に着いたのを見て、機の扉を閉めた。オートロックがかかり、同時に酸素濾過装置が動き出す。機内の温度は二六度に設定され、重力発生機関によって、機内は地上にいるのと同じくらいの環境を維持したまま、目的地である廃棄コロニーを目指す。
滑走路のランプが点り、オートパイロットになっている機がゆっくりと滑走路へ向かう。
エネルギー開発が格段に進歩したお蔭で、今や打ち上げ台なしで、人は宇宙へ飛び立てるようになっていた。
そして、宇宙空間内に於ける転送理論が確立され、通常であれば最大百年かかる距離ならば、一日で辿り着く事が出来るようになった。ただし、これには若干宇宙の”場を乱す”事が確認されており、使用においては統一国家への申請と、許可が必要だった。
今回は、その許可が下りたという事だったので、転送可能区域まではオートパイロットで、それ以降は有人操作に切り替える事になっている。
滑走路の低位置に付き、エンジンの出力が八〇パーセントを越えた。ドンと後方で排気が置き、一斉に各部のモーターが回転し始める。機の振動も大きくなり、鼓膜を揺さぶった。
管制塔から送られて来た宇宙地図と、大気圏内の気候状況を確認する。離陸と、大気圏離脱には問題なさそうだ。
トゥはエインを見た後、管制官の映るモニタにアイコンタクトすると、管制官はそれを合図に離陸許可を出した。
機は滑走路を滑り出す。徐々に滑走速度を上げ、機首が上がった。
離陸。
軽い後方への重力を感じながら、二人は無言で真っ青な空を見つめた。空の色は段々と、黒へと変わっていく。後ろ髪引かれる様な重力も徐々に軽くなり、機はあっという間に地球の手を離れた。
暗闇の中で、何にも遮断されないまっさらな太陽の光が機を照らす。特殊な加工の施された強化ガラスによって、太陽光を直接浴びても被爆はしない。宇宙服が不要なのもそのお蔭だ。
太陽の光が強すぎて、星星が消えていた。
背後には、青い地球がぼんやりと輝いている。まだ、大陸が目視出来る。
どんな環境で生まれようと、感情は備わっている。
人として生きる事は赦されないが、人と同じ感情を持つよう育てられていた。
だから、傷を負えば痛いし、疲れれば辛い。そして…。
「綺麗だね…。」
美しいものを見れば、癒される。
溜め息を吐きながら地球を眺めるトゥを、エインが脇目で見た。
「…。」
だが、ちらりと見るだけで、すぐに視線を戻してしまう。
遺伝子は同じだが、後天的に備わる性格は、個々違う。
トゥは人懐こく、穏やかな性格だが、エインはそうではないらしい。
「無口だね。」
構わずトゥが言うと、エインは再度トゥを見て、詰まらなさそうに視線を外した。
「話す必要がない。」
そう言ってツンと澄ますエインを、トゥが笑った。
「喋ったね。」
「っ…。」
気に障ったのか、エインがトゥを睨み付けた。トゥにはそんなエインの態度も、面白いものに見えた。
「ボク、トゥ。よろしくね。」
「ああ…。…いずれ忘れるけどな…。」
エインが言うと、トゥは少し悲しそうに笑って、頷いた。
少年たちは、戦う事以外に生きる理由がない。
だから、戦う事に支障を来たすものは、例え記憶であっても消されてしまう。
個人感情がその最たる対象だった。
兵士に、思い出は不要のものであったのだ。
少年たちは任務から帰れば、記憶の殆どを消し去られてしまう。
空っぽの頭に残るのは、体の使い方と、戦い方と、自分の名前、そして、何故それしか記憶にないのかという、理由だけだ。
今回のようにツーマンセルでの任務で接触した少年の事さえ、消されてしまう。
だから、例え初対面だと思っていても、実際は何度となく任務を共にしている可能性がある。
だが、それを少年たちが認識する術はない。
「到着まで、寝る。
転送ポイントになったら、起こしてくれ。」
エインはそう言うと、さっさと目を閉じてしまった。
トゥは仕方なさそうに苦笑して溜め息を吐いた。視線を戻すとき、エインの胸元に赤い何かが光ったのが見えた。
よく見ると、深紅の宝石が埋まったブローチだった。
エインの瞳と同じ色の宝石。
何という宝石だろう。解らないが、深紅の宝石は紫色にも青色にも輝いて、綺麗だった。
その深紅は、トゥの心をすっと掴んでしまった。
強く、美しく、そして、哀しそうな赤…。
エインも、そんな少年なのではないのだろうか。
そう思うと、瞬く間にエインへの愛着が沸いた。
それは忘れてしまうのが惜しいくらいに、トゥの心いっぱいに広がった。
独りが当たり前の心に、その赤は後々、深く刻み込まれた。