苺パフェの女
例えば。私と彼女の唇の間に苺があったとして。
私は、その苺を貪り食ってしまいたいのだ。
彼女の口端に指先を伸ばす。
「ふぇ?」
呆けた声に「ついてる」と指の腹で触れた。
拭った生クリームと微かについたグロス。一瞬、指先が止まる。
自分の口元にしまいこみたい衝動を抑え、紙ナプキンで拭き取る。
「美紅はパフェ食べるの下手だよね。この前は、生クリームを鼻の頭につけてたし」
「もう! 意地悪言わないでよ。それに、いつだって流羽が取ってくれるからいいもん」
「『いつだって』って、一緒にいなきゃ取れないよ」
嘆息を漏らすと、くりくりした大きな瞳がまっすぐに私を映す。
庇護欲を煽る薄茶色。まつパなしでカールした長いまつ毛。愛らしい、以外の表現はない。
「流羽と一緒のときじゃなきゃ、大口開けてパフェなんか食べませーん」
パクリ、と喰む。薄紅色に染まった唇が、同じ色の苺を食べる。
「この時期はいつもパフェ食べてるね」
「好きなんだよね、苺パフェ。流羽は甘いの苦手だもんね?」
スプーンを片手に持ったまま首を傾げる。一緒に、柔らかな髪も揺れた。
「そうだね」
甘いものは苦手だ。
口の中に残るし、胃もたれする。飲み込んでも、ずっと舌に残る。
「いつもブラックコーヒー。かっこいいなぁ」
「それはどうも」
苦い方がいい。分かりやすくて。
なのになんで、こんなに甘い女に――
ピコン。
画面に浮かぶのは、男の名前。
「あ! 圭人くんからメッセージだ。『今何してる?』だって。『流羽と一緒にパフェ食べてるよ』っと」
スプーンを置き、スマホを取った。
それだけのことで、何を優先しているかわかるようで。
「……流羽?」
顔をあげ、私の瞳を覗き込む。
「ん?」
「何かあった?」
スマホを見ていたくせに。私のちょっとした変化に気がつく。それが嬉しくて、同時に痛い。
「何も。仲が良いね。もう二ヶ月? 付き合い始めて」
「うん!」
眩しいほどの笑み。昔から、何度もこの笑顔を見てきた。
私と美紅は、同じ高校出身だ。
柔らかな茶髪は地毛なのに、いつも生徒指導に注意されていた。
「染めてるんならどこかのタイミングで根元が黒いんじゃないですか?」
その一言で、懐かれた。
「さっきはありがとうございます!」
「いいよ、別に。気になっただけだから」
「先生何回言ってもわかってくれないからぁ……もう、染めるしかないかなぁって思ってたんですよね、逆に」
風が吹いた。ふわりとなびくそれに「もったいない」と溢れた。
「えっ?」
「もったいないよ。そんなに綺麗なんだから。伸ばしてるの?」
美紅は瞬きをして、ほおを染めた。
視線を下にやり、「えっと」と口元に手をやる。
「伸ばしてます。私、短いの似合わないから」
窺うように向けられた視線を、小動物みたいだと思った。
「短いのが似合わないかはわからないけど……長いの、似合ってるよ。あと、敬語じゃなくていい。同級生だから」
「えっ!? 嘘!?」
「本当。学生証見る?」
本当だぁ、と学生証を見る美紅は、同い年とは思えない幼さがあった。
クラスは一度も同じにならなかったけど、よく話した。よく、話しかけられた。
「流羽、移動教室?」
「流羽、お昼ご飯一緒に食べよー!」
「流羽、帰りに寄り道しない?」
私に会いにきて、話しかけてきた。
「全然タイプ違うのに仲良いよね」
周りに何度も言われた。そうだねって答えた。
大学も同じ。学部は違うけど。
示し合わせたわけじゃないから、受ける学校を伝えたとき、美紅は興奮してた。
「すごい! 私もそこ受けるの! 運命みたい!」
「運命って」
「だって、大学なんて星の数ほどあるのに。偶然じゃ足りないよっ」
星の数ほどにはないよ、と言わなかったのは、美紅がとても嬉しそうだったから。
あの頃から、美紅はずっと私の隣にいた。
「そういえば、なんで“圭人くん”と付き合おうと思ったの? それまでそんなに話したことなかったんだよね?」
「うん。でも、私のこと好きって言ってくれたから」
「えっ?」
「私のこと、好きだって言ってくれて。それが嬉しかったから」
どろりと濁った熱が、胃の奥に焼きつく。
そんな理由なら、私でもよかったじゃないか。
私の方が、ずっと前から好きなのに。
「流羽は?」
空になったパフェ。生クリームより甘い声。
堕とすのも引き戻すのも、いつだって犯すような甘さ。
「何?」
コーヒーを飲み干す。甘さを中和するように、口内を苦味で満たした。
「流羽は、そういうのないの?」
「ないよ。私はモテないから」
仮にモテたとしても、欲しいのは一人だけ。
その一人は、誰よりも近いのに誰よりも遠い。
「そんなことないよ~! 私よく聞かれるよ? 『あの綺麗な子誰?』って」
「見た目だけでしょ。それよりほら、そろそろ出よっか」
伝票を手に取ると、美紅はキャンバストートを肩にかける。
小柄な彼女が持つには不相応な厚み。
「持とうか」と訊くと「大丈夫」と返された。
もし私が“圭人くん”ならば、渡してくれただろうか。
「ひどいよねぇ。いまどき、紙の資料集使って、紙でレポート提出なんて。それによって学ぶことがあるとか言ってたけど、絶対先生がパソコン苦手なだけだよ」
「でもこんなことがなければ、大学の図書館なんて通わなかったでしょ?」
美紅は頬を膨らます。
「そうだけどぉ」
「過程で知らなかった参考資料にも出会えた」
「それも、そうだけど……」
段々と頬を萎ませ、代わりに唇を尖らせた。
先ほど触れたところはグロスが取れていて、まるで私がつけた痕のようだ。
「まとめて払っちゃうよ」
「お願いします! 電子マネーで送るね」
「うん、よろしく」
美紅は先に店を出た。支払いを終え、彼女を追う。
「ありがと!」
「ん」
レシートを渡すと、額を確認してスマホをいじる。
色素の薄い髪。白い肌。まつ毛が落とす影。大きな瞳。薄紅色の唇。
こんなにも近いのに。
「美紅、まつ毛ついてる」
「ええっ!? 流羽、取ってぇ」
目を瞑る。上を向く。さらされた鎖骨。私に預ける。
ほおに触れ親指でまなじりをなぞる。唇と唇が、あと、苺ひとつ分。
「流羽? 取れた?」
呼気が私の唇を微かに揺らす。生クリームの甘ったるい匂い。
「取れたよ」
貪り食ってしまいたかった。
もう笑顔が見れなくても。名前が呼ばれなくても。
パフェを見るたび私を思い出せばいいと、本当に思った。
「図書館行こっか」
「うん! 付き合ってくれてありがと。流羽だーいすき!」
「はいはい、知ってる」
――なのになんで。
甘いものなんか嫌いだ。
口の中に残るし、胃もたれする。飲み込んでも、ずっと舌に残る。
味覚が麻痺して、それ以外を感じなくなる。
だから、こんな甘い女なんて。
「嫌いなはず、なのになぁ」
「ん? 何か言った?」
「付き合うお礼に、コーヒーでも奢ってもらおうかな」
私の言葉に、へにゃりと笑う。
「いくらでも買うよぉ。何本飲む? 五本? 十本?」
「そんなに飲むわけないでしょ。一本奢って。飲み終わるまでは、付き合ってあげる」
「一本!?」
そんな時間じゃ終わらないよぉと半べそをかく彼女を、私はいつ貪るのだろうか。
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