第9話 結果だけが残る
変化は、音を立てずに進む。
朝の配給所は、いつもより人の流れが整っていた。列は短く、混乱もない。修道士たちの動きも、どこか落ち着いている。
「……最近、やけに滞らないな」
配給担当の修道士が、首を傾げた。
「記録が揃ってるからじゃないか?」
「それだけか?」
疑問は口に出されるが、答えは出ない。誰かが劇的に何かを変えたわけではない。ただ、少しずつ噛み合っている。それだけだ。
私は、その会話を少し離れた場所で聞いていた。
今日の私の仕事は、書庫の整理だ。湿気を含んだ紙の匂いが漂う中、古い記録を分類していく。配給や倉庫とは直接関係ない。だから、誰も私と「最近の改善」を結びつけない。
それでいい。
昼前、修道院長エレナの執務室から、数名の修道士が出てきた。皆、真剣な顔をしている。
「運搬の順を入れ替える」
「冬前に備蓄を増やす」
「無駄な往復は減らそう」
短い指示が交わされる。理由の説明はない。だが、誰も反論しない。
エレナは、必要なことだけを決めている。
私は、書棚の奥で黙々と手を動かしながら、その様子を横目で見ていた。胸の奥に、奇妙な感覚が広がる。誇らしさでも、虚しさでもない。
――安心だ。
誰かが、問題を理解し、動いている。私がそこに名を連ねなくても。
午後、修道士の一人が私に声をかけてきた。
「この前の帳簿、助かってる」
唐突だった。
「記入しやすい。前より、ずっと」
「……そうですか」
それだけしか返せなかった。
「誰が作ったんだ?」
問いに、一瞬だけ言葉が詰まる。
「……私です」
修道士は目を瞬かせ、すぐに頷いた。
「なるほど」
それで終わりだった。驚きも、称賛もない。ただ、事実を受け取っただけの反応。
私は、なぜかそれに安堵した。
夕方、倉庫の前で、別の修道士がぼそりと呟く。
「今年は、冬を越せそうだな」
「まだ分からんが……例年より、見通しはいい」
誰の名前も出ない会話。
それでいい。
部屋に戻ると、机の上にまた小さな包みが置かれていた。今度は、粗末だが温かい布切れ。縫い目は歪んでいる。
私は、それを手に取り、しばらく見つめる。
これは、褒美ではない。感謝状でもない。
ただの、「困らなくなったから余ったもの」なのだろう。
けれど。
胸の奥で、何かが静かに満ちていく。
名前を呼ばれなくてもいい。評価されなくてもいい。
私がここにいて、役に立っている。
それだけの事実が、今の私には十分だった。
夜、窓の外を見上げると、雲の切れ間から星が覗いていた。王都では、あまり見えなかった光だ。
私は、外套を羽織り直す。
――悪役令嬢として生きていた頃、
こんな夜を、私は知らなかった。
結果だけが残る仕事。
それは、誰かの物語にはならない。
けれど、確かに世界を前へ進めている。
私は、その静かな流れの中に、今、立っていた。
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