第6話 辺境修道領
北方修道領は、想像していたよりも――静かだった。
石壁に囲まれた小さな集落。王都のような白さはなく、風と雪に削られた灰色の建物が並んでいる。人の数も少ない。行き交う修道士や領民は、こちらを一瞥するだけで、深く関心を示さなかった。
それが、ひどく奇妙に感じられた。
罪人として追放された令嬢。噂になってもおかしくない。蔑まれるか、あるいは同情されるか。どちらかの視線を想定していた。
けれど、ここには――何もない。
馬車が止まり、扉が開く。
「到着だ」
レオンハルトの声は、いつも通り低く簡潔だった。
私は外套を整え、地面に足を下ろす。土は固く、踏みしめると靴底に確かな感触が返ってきた。ここは王都ではない。舞台でも、裁きの場でもない。
ただの、生活の場所だ。
「……静かな所ですね」
思わず口をついた言葉に、レオンハルトは頷いた。
「必要なものしか、ここにはない」
必要なものしかない。
その言葉が、胸の奥で小さく反響した。
迎えに出てきたのは、修道服を着た中年の女性だった。背は高くないが、背筋は伸び、目は鋭い。柔らかさより、現実を知る人の顔をしている。
「私は修道院長、エレナです」
簡潔な名乗り。形式張った礼もない。
彼女は私を一度見て、それで終わりだった。値踏みするでも、感情を浮かべるでもなく、ただ「人を見る」視線。
「事情は聞いています。罪人として、ですね」
淡々と告げられる。
胸が、わずかに締まる。
「ただし」
エレナは続けた。
「ここでは、過去より“今できること”を見ます。働けるなら、居場所はあります。働けないなら、それなりの扱いです。それだけ」
公平で、冷たいほど合理的な言葉。
――優しくない。でも、嘘がない。
「ご理解いただけますか」
問われ、私は一礼した。
「……はい」
それで、話は終わった。
歓迎も、非難もない。ただ、事実だけが置かれる。
レオンハルトが、私の横に立つ。
「護送はここまでだ」
その言葉に、思わず顔を上げた。
ここまで。
分かっていたはずなのに、胸の奥に、名付けられない感覚が生まれる。
「これからは、修道領の管轄になる」
「……そう、ですか」
それ以上、言葉が続かない。
彼は一歩下がり、騎士としての礼をした。形式的で、きっぱりとした動き。
「無事を祈る」
それだけ。
私は、何かを期待しそうになる自分を抑え、頭を下げた。
「護送、ありがとうございました」
彼は頷き、踵を返す。その背中が、遠ざかっていく。
――ここからは、一人だ。
そう思った瞬間、足元が少し不安定になる。
「部屋に案内します」
修道院長エレナが、淡々と言った。
案内された部屋は、小さく、簡素だった。木の机と椅子、狭い寝台。装飾は一切ない。けれど、清潔で、寒さを防ぐだけの造りはある。
「明日から、雑務を手伝ってもらいます」
エレナは言う。
「書類整理、配給の記録、修道士の補助。できそうですか」
「……はい」
反射的に答える。
彼女は少しだけ目を細めた。
「無理は不要です。できないことは、できないと言いなさい」
その言葉に、私は一瞬だけ言葉を失った。
できないと言っていい。
それは、今まで一度も許されなかった選択肢だ。
「……承知しました」
部屋に一人になる。
扉が閉まり、外の音が遠のく。
私は、ゆっくりと息を吐いた。
ここでは、誰も私に期待しない。誰も私を裁かない。役割はあるが、物語はない。
それは、寂しいことのはずなのに――不思議と、肩の力が抜けた。
机に置かれた帳簿を、何気なく手に取る。
紙質は粗い。文字は乱れている。配給の数字が、ところどころ合っていない。
――ああ。
小さく、息が漏れた。
これは、放っておくと困るやつだ。
気づいてしまった以上、見なかったことはできない。それが、私の悪い癖だと分かっている。
けれど今は、誰も「余計なことをするな」とは言わない。
私は椅子に腰を下ろし、帳簿を整え始めた。
評価されるためでも、認められるためでもない。
ただ、ここで生きるために。
辺境修道領の静かな午後に、紙をめくる音だけが、淡々と響いていた。
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