第5話 境界を越える朝
夜明けは、静かに訪れた。
焚き火は、いつの間にか熾火になっている。赤く鈍い光が、灰の中で息をしていた。森の奥から鳥の声が聞こえ、冷たい朝露が草を濡らしている。
私は、久しぶりに「眠れた」と感じながら目を覚ました。浅い眠りではあったが、悪夢はなかった。それだけで、胸の奥が少し軽い。
外套が、肩から落ちかけている。昨夜、誰かが掛けてくれたのだろう。考えるまでもなく、答えは分かっていた。
立ち上がり、周囲を見渡す。騎士たちはすでに起き、簡単な朝食の準備をしていた。私に向けられる視線は、昨日よりも露骨ではない。避けてもいない。ただ、距離を測っている。
それでいい。
私は、火の跡に近づき、熾火に手をかざす。まだ温かい。完全に消えてはいない。
「起きていたか」
背後から、低い声。
振り返ると、レオンハルトが立っていた。鎧は着けていないが、剣は帯びている。夜の闇を越えたせいか、表情が少しだけ柔らいで見えた。
「はい」
短く答える。言葉を重ねなくても、今はそれで足りる気がした。
「体調は」
「……問題ありません」
また、同じ答えになりそうになって、少しだけ言葉を選ぶ。
「昨夜は、よく眠れました」
彼は一瞬、目を細めた。それは笑みと呼ぶほどではない。ただ、安堵に近い。
「それならいい」
朝食は簡素だった。乾いたパンと、温かい茶。それでも、昨日より味が分かる。噛むたびに、身体が現実へ戻ってくる感覚があった。
馬車の準備が整い、出発の合図がかかる。
私は、森の境界線に立ち、振り返る。夜を過ごした場所。何かが始まった場所。
境界を越える、という言葉が浮かぶ。
王都と辺境。その間にあるのは、距離だけではない。役割、期待、物語。私は今、そのどれからも離れつつある。
「迷いがあるか」
レオンハルトが、隣に立った。
「……少し」
正直に答える。
「でも、戻りたいとは思いません」
それは、はっきりと言えた。
彼は頷く。
「それでいい」
馬車が動き出す。私は一歩踏み出し、境界を越えた。背後で、森の音が遠ざかる。
新しい道は、まだ粗く、冷たい。だが、確かに続いている。
私は、胸の奥で小さく呟いた。
――私は、ここから何者になるのだろう。
答えは、まだない。
けれど、答えを探すことを、誰にも咎められない場所へ向かっている。
それだけで、十分だった。
馬車は北へ進む。
追放された令嬢としてではなく。
物語の続きを、自分で選ぶために。




