第30話 中立の席
会談の場所は、国境に近い古い交易館だった。
王国領でも、隣国領でもない。かつて商人たちが休息を取り、契約を交わした中立地。壁には装飾もなく、机と椅子があるだけの簡素な空間だ。
私は、修道院長エレナとマルクと共に、先に到着していた。
心は、不思議なほど落ち着いている。
怖さは、ある。
だが、それは支配される恐怖ではない。
――試される恐怖だ。
ほどなくして、扉が開く。
入ってきたのは、王太子だった。
記憶よりも、少し疲れた顔をしている。豪奢な衣装ではなく、実務用の外套。従者も最小限だ。
「久しいな、リリアーナ」
名を呼ばれた瞬間、胸がわずかに鳴る。
だが、私は頭を下げない。
「本日は、修道領の代表として参りました」
それだけを告げる。
王太子は、一瞬だけ目を細め、それから頷いた。
「承知している」
互いに席に着く。
沈黙が落ちる。
先に口を開いたのは、王太子だった。
「謝罪を期待しているか」
直球だった。
「いいえ」
私は、即答する。
「本日は、条件確認の場です」
空気が、わずかに張り詰める。
「……相変わらず、要点を外さないな」
王太子は、苦く笑った。
「では、条件を」
私は、事前にまとめた文面を差し出す。
「こちらが、修道領としての最終条件です」
彼は、黙って目を通す。
時間が、ゆっくりと流れる。
「三つ目が、重いな」
追放記録の除外について、指でなぞる。
「王国の威信に関わる」
「理解しています」
私は、視線を逸らさない。
「ですが、それが残る限り、私は関われません」
個人としてではない。
仕組みの担い手として。
「なぜだ」
「また、同じことが起きるからです」
簡潔な答えだった。
王太子は、深く息を吐く。
「……お前は、変わったな」
「いいえ」
私は、静かに言う。
「ようやく、自分の線を引けるようになっただけです」
沈黙。
やがて、王太子は顔を上げる。
「一つ、確認したい」
「何でしょう」
「この条件は……王国に戻るためのものではないな」
その問いには、少しだけ間があった。
「はい」
私は、はっきりと答える。
「戻る前提ではありません」
王太子は、苦笑した。
「だろうな」
そして、ゆっくりと頷く。
「分かった。三つ目も含め、受け入れよう」
空気が、わずかに揺れた。
マルクが、こちらを見る。
エレナは、何も言わない。ただ、静かだ。
「ただし」
王太子は、続ける。
「一つだけ、こちらの条件も聞いてほしい」
私は、頷く。
「個人として、ではなく」
彼は、言葉を選ぶ。
「“役割”として、王国に関わってほしい」
それは、支配ではない。
だが、手放しでもない。
「期間限定で」
「権限と責任を明確にした形で」
私は、少し考える。
「修道領を離れることは、ありません」
「承知している」
「最終判断は、共同で行います」
「異論はない」
条件が、噛み合っていく。
やがて、私は頷いた。
「その条件であれば、協力します」
それは、服従ではない。
選択だった。
会談が終わり、王太子は立ち上がる。
「……遅くなった」
それだけを言い、頭を下げた。
謝罪とも、後悔ともつかない。
だが、十分だった。
交易館を出ると、風が吹き抜ける。
「終わったな」
マルクが、低く言う。
「いいえ」
私は、首を振った。
「始まりです」
追放された悪役令嬢の物語は、
ここで終わらない。
支配されず、切り捨てられず、
条件を持って関わる――
そんな未来を選んだ、その瞬間から。
私は、空を見上げた。
中立の席で交わされたのは、
謝罪でも、復縁でもない。
対等な合意だった。
それだけで、十分だと思えた。
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