第29話 譲れない線
条件を詰めるという作業は、感情よりも体力を使う。
書簡を机に並べ、内容を比較し、言葉の差異を拾い上げる。王国案、隣国案、そして修道領としての最低条件。どれも、似ているようで決定的に違う。
私は、赤い線を一本引いた。
――ここから先は、譲らない。
午前、修道院長エレナ、マルク、修道士二名で最終確認の場が設けられた。
「王国案は、前進している」
エレナが、淡々と整理する。
「だが、まだ“元に戻せる余地”を残している」
私は頷いた。
「それが、一番の問題です」
王国の文面は丁寧だ。配慮もある。だが、失敗した場合に責任を曖昧にできる余白が、随所に残っている。
「だから、線を引きます」
私は、紙を指で叩く。
「この三点は、文言で確定させたい」
一つ目。
「現場裁量の範囲を、具体的に明記すること」
二つ目。
「試験導入期間中の最終責任は、王国が負うこと」
三つ目。
「追放に関する行政記録を、今後の人事・制度判断から完全に除外すること」
マルクが、低く唸る。
「……三つ目は、相当嫌がる」
「はい」
だからこそ、必要だ。
「これは、私個人の問題ではありません」
私は、言葉を続ける。
「“都合が悪くなったら切る”という前提が残る限り、仕組みは再現されません」
エレナは、ゆっくりと頷いた。
「分かりました。これを最終条件にしましょう」
その場で、文面が整えられる。余計な修飾を削り、解釈の余地を減らす。読み手が嫌がるほど、明確に。
午後、王国使節に返答が送られた。
――王太子本人との場を設けること。
――上記条件を前提にすること。
それだけだ。
数時間後、返事が来る。
『条件を受領した。
殿下は、直接の会談を了承されている』
短い文面だったが、意味は重い。
夜。
私は、窓辺に立ち、外を眺めていた。雪はすっかり溶け、地面が見えている。季節は、確実に進んでいる。
思えば、追放の日から、私はずっと「譲らない線」を持っていなかった。
求められた役を演じ、期待に応え、最後には切られた。
今は、違う。
何を引き受け、何を拒むか。
どこまで関わり、どこから離れるか。
それを、自分で決めている。
扉をノックする音がした。
「準備は、整っています」
修道士の声に、私は振り返る。
「ありがとうございます」
会談は、数日後。
場所は、王都ではない。
――中立地で。
それは、こちらの条件だった。
私は、机に戻り、最後に帳簿を閉じる。
次に開くとき、
私はもう「追放された令嬢」ではない。
王太子と向き合うのは、過去を裁くためではない。
未来を選ぶためだ。
譲れない線は、すでに引いた。
あとは、その線を越えさせないだけだ。




