第26話 沈黙の返答
返事は、すぐには来なかった。
王都からの書簡が途絶えて三日。五日。十日。
その間も、修道領の日常は変わらない。配給は回り、帳簿は埋まり、人の動きは安定している。
沈黙は、拒絶ではない。
だが、承諾でもない。
――決められない。
それが、私の結論だった。
午前の作業を終え、帳簿を閉じたところで、修道院長エレナが静かに口を開く。
「王都は、時間を稼いでいます」
「はい」
私は頷く。
「条件を呑めば、前例になる。
呑まなければ、仕組みを逃す」
どちらも、簡単ではない。
「あなたは、どう感じていますか」
その問いは、確認ではなく、気遣いだった。
「……焦っていません」
それは、事実だった。
「ここは、待てる場所です」
王都にいた頃は違った。
決断は常に上から落ち、待つという選択肢はなかった。
だが今は、違う。
待つことも、立派な判断だ。
昼過ぎ、マルクが戻ってくる。
「隣国の使者が、修道領の外にいる」
その一言で、空気が変わった。
「正式な訪問ではないが……話をしたいそうだ」
私は、静かに息を吸う。
来た。
王都が沈黙している間に。
「条件は」
「最初から、確認してきた」
マルクは、口元を歪める。
「個人名を出さないこと」
「責任を押し付けないこと」
「仕組みを持ち帰るが、人は引き抜かない」
――理解が早い。
「会います」
私は、即答した。
「ただし、修道領として」
応接の場に現れたのは、以前書簡で名を見た人物だった。
イリス・ヴァルデン。
年若く、だが無駄のない佇まい。視線は鋭いが、攻撃的ではない。
「初めまして」
イリスは、簡潔に頭を下げる。
「私は、隣国宰相府の補佐官です」
自己紹介は、それだけだった。
「本日は、“返事を待たない交渉”に来ました」
私は、微かに目を細める。
「返事を待たない、とは」
「王都の決断を待たず、こちらが先に条件を提示します」
はっきりした言い方だった。
「貴修道領の運用を、我が国の一地方で導入したい」
「設計と初期監修を依頼したい」
「責任は、我が国が負う」
迷いはない。
「対価は」
私は、即座に問う。
イリスは、わずかに口角を上げた。
「貴女が、個人として不利益を被らないこと」
「追放に関する記録を、我が国では正式に採用しないこと」
「そして――必要であれば、いつでも撤退できる権利」
王都より、明確だった。
私は、エレナと視線を交わす。
この場で決める必要はない。
だが、比較はできる。
沈黙する王都。
条件を差し出す隣国。
世界は、待ってはくれない。
「持ち帰って、検討します」
私は、そう答えた。
「もちろん」
イリスは、頷く。
「急がせるつもりはありません。
ただ――」
視線が、真っ直ぐこちらに向けられる。
「決められない場所に、未来は置けません」
それは、忠告だった。
夜、机に向かい、私は二通の書簡を並べた。
一通は、返事のない王都。
一通は、条件が書かれた隣国。
どちらを選ぶか、ではない。
――どちらと“対等でいられるか”。
沈黙は、いつか破られる。
だが、その時、主導権がどこにあるかは、別の話だ。
私は、ペンを置き、静かに目を閉じた。
選択の時間は、もう始まっている。




