第22話 歯車の音
王都では、問題はいつも静かに始まる。
騒ぎになるのは、ずっと後だ。
王城の執務室で、書類をめくる音が重なっていた。机に積まれた報告書は、量こそ変わらない。だが、中身が違う。
「……遅いな」
王太子は、苛立ちを隠さずに言った。
「前なら、この程度の件、もっと早く整理されていたはずだ」
向かいに立つ文官が、言葉を選ぶ。
「現在は、各部署での確認に時間を要しておりまして」
「確認?」
王太子は眉をひそめる。
「確認など、前任がまとめてやっていたではないか」
その名前は、口に出されなかった。
だが、誰もが思い浮かべている。
――リリアーナ・エルフェルト。
断罪された元婚約者。
冷酷で、融通が利かず、空気を読まない女。
そう、認識されていた存在。
「彼女がいなくなってから、各部署の連携が……」
文官の言葉が、途中で止まる。
「歯切れが悪いな」
王太子は、机を指で叩いた。
「要点を言え」
「……判断が、遅れています」
正確な表現だった。
誰かが悪いわけではない。
だが、誰も全体を見ていない。
結果として、判断は後回しにされ、書類は滞り、現場からの小さな不満が積み上がっていく。
そこへ、聖女が入室した。
「殿下、お呼びですか?」
柔らかな声。微笑み。場の空気が、一瞬で和らぐ。
「いや、ただ少しな」
王太子は、表情を緩める。
彼女がいるだけで、空気は軽くなる。
だが、書類の山は減らない。
「最近、国の運営が少し……重いですね」
聖女は、困ったように首を傾げる。
「皆さん、お疲れなのだと思います」
それは、間違ってはいない。
だが、解決でもない。
「聖女様は、気にしなくていい」
王太子は、そう言って話を切り上げる。
彼女に求めているのは、癒しであって、整理ではない。
文官が、そっと一通の報告書を差し出す。
「北方修道領の件ですが……」
「まだ何かあるのか」
「配給と備蓄が、今年は安定しているそうです」
王太子は、鼻で笑った。
「辺境だろう。たまたまだ」
「……隣国が、視察に入ったとの情報も」
その一言で、空気が変わった。
「なぜ、隣国が?」
「理由は不明です。ただ、“運用を参考にしたい”と」
王太子は、黙り込む。
辺境の修道領。
追放した令嬢が送られた場所。
無意識に、胸の奥に小さな違和感が芽生える。
――そんな場所に、何がある?
「調べろ」
短く命じる。
「誰が、何をやっているのか」
文官は、深く頭を下げた。
「承知しました」
その背中を見送りながら、王太子は思う。
彼女がいた頃、国は回っていた。
静かに、当たり前のように。
それを、誰も評価しなかった。
歯車は、今も回っている。
だが、その音が――少しずつ、軋み始めていることに、
王都はまだ、気づいていなかった。




