第21話 外からの視線
王都を離れるのは、久しぶりだった。
馬車の窓から見える景色は、整えられた街道から、次第に粗い道へと変わっていく。舗装の質、道幅、休憩所の配置――どれも、国の「余裕」を如実に映していた。
「この辺りからが、北方か」
イリス・ヴァルデンは、地図を畳みながら呟いた。
隣国の宰相補佐官。肩書きだけを聞けば若すぎると思われがちだが、彼女はそれを気にしたことがない。年齢は、判断の正しさを保証しない。
「修道領の視察、という名目でしたね」
同行している文官が、確認するように言う。
「ええ。あくまで“参考”です」
イリスは、淡々と答えた。
関心があるのは、人ではない。
制度と、運用だ。
最近、北方の辺境修道領の名が、あちこちで上がるようになっていた。
配給の安定。
冬季の混乱回避。
現場負担の軽減。
どれも派手ではない。だが、数字を見る限り、確実に成果を出している。
「王国は、あの修道領に何か投資を?」
「いいえ。特別な支援はないようです」
「なら、なおさら不思議ですね」
イリスは、そう言って口元をわずかに緩めた。
資源も、人材も、潤沢ではない場所。
それでも回っている。
理由は一つしかない。
――構造が、正しい。
馬車が止まり、簡素な門が見えてきた。華美な装飾はない。警備も最小限だが、無秩序ではない。
「歓迎の準備は?」
「形式的なものだけだそうです」
「十分です」
イリスは、外套を整える。
ここに来た理由は、称賛でも、交渉でもない。
ましてや、人を引き抜くためでもない。
ただ、確かめたいだけだ。
――この運用は、再現可能か。
応接の場で迎えた修道院長は、必要以上に丁寧でも、無礼でもなかった。短い挨拶の後、すぐに本題に入る。
「視察の目的を、改めて伺っても?」
「貴領の配給と備蓄の運用について、記録を拝見したく」
イリスは、率直に言った。
「特定の人物ではなく、仕組みを」
修道院長は、わずかに目を細め、それから頷く。
「では、担当者を同席させます」
その言葉に、イリスは内心で一つ、確認を取った。
――個人を前に出さない。
しばらくして、数名が入室する。修道士、現場責任者、そして一人の若い女性。
控えめな立ち位置。
だが、視線は落ち着いている。
イリスは、無意識にその女性を観察していた。
派手さはない。
発言も、最小限だ。
それでも、説明が始まると、空気が変わった。
「こちらが、今期の配給調整表です」
女性は、淡々と示す。
「例年との差分は、この部分。判断は、複数名で行っています」
感情は挟まれない。
自己主張もない。
だが、数字と現場が、きちんとつながっている。
イリスは、思わず質問を投げた。
「この判断基準は、どなたが?」
一瞬、沈黙。
女性は、修道院長と現場責任者の方を見る。
「共同で決めています」
即答だった。
イリスは、そのやり取りを見て、確信する。
――この人は、中心ではない。
――だが、要だ。
視察が終わり、馬車に戻る。
「どうでしたか」
文官が尋ねる。
「優秀ですね」
イリスは、即答した。
「ただし、“個人”がではありません」
地図を広げ、指で修道領をなぞる。
「この運用は、属人化していない。だから、真似ができる」
それは、最高の評価だった。
机の上で英雄が叫ぶ国より、
現場で誰も叫ばない国の方が、長く持つ。
イリスは、視線を上げる。
「王国は、あの人を失った理由に、まだ気づいていない」
名前は、出さない。
だが、関心ははっきりと向いていた。
――あの静かな中心に。
境界の外からの視線は、
すでに、戻れないところまで届いていた。
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