第19話 選択の言葉
決断の前触れは、いつも静かだ。
朝の修道領は、これまでと変わらない。鐘が鳴り、人が動き、帳簿が開かれる。雪は落ち着き、風も弱い。壊れない仕組みは、今日も淡々と回っていた。
だからこそ、私は分かっていた。
――今日、選ばなければならない。
午前の打ち合わせは、いつもより人数が多かった。修道院長エレナ、マルク、修道士が二名。机の上には、配給表と運搬路の地図、そして外部から届いた簡素な書簡。
「近隣三集落から、共同備蓄の相談が来ています」
エレナが、淡々と告げる。
「こちらの運用を、参考にしたいそうです」
視線が、自然と私に集まった。
名前は呼ばれない。だが、流れは明確だ。
「返答はどうする」
マルクが、私に問う。
答えは二つしかない。
――引き受ける。
――引き受けない。
どちらを選んでも、修道領は回る。私が前に出なくても、仕組みは機能する。だからこそ、この選択は「必要性」ではなく「意思」だった。
「条件があります」
私は、はっきりと言った。
空気が、わずかに張り詰める。
「共同備蓄の設計には関わります。ただし、運用の最終責任は各集落が持つこと」
「説明は、必ず複数名で行うこと」
「記録には、判断に関わった全員の名を残すこと」
一つずつ、言葉にする。
「私は、仕組みを整える役であって、代表にはなりません」
言い切った瞬間、胸の奥が静かになった。
マルクは腕を組み、短く息を吐く。
「逃げじゃないな」
「逃げません」
私は、視線を逸らさない。
「でも、背負いません」
沈黙。
エレナが、ゆっくりと頷いた。
「妥当です」
それだけだった。余計な賛辞も、試す言葉もない。
「では、その条件で引き受けましょう」
決まった。
私は、深く息を吐いた。心臓の音が、ようやく落ち着く。
午後、集落代表との面会が設けられた。今回は、修道院長と修道士が同席し、私が一人で前に立つことはない。
「こちらが、共同備蓄の基本案です」
私は、図面を示す。
「各集落の負担は均等ではありません。立地と人手に応じて調整します」
「不測の事態が起きた場合、判断はこの三名で行います」
代表たちは、頷き合いながら耳を傾けている。
「責任は、こちらが持つ」
年長の代表が、はっきりと言った。
「参考にするのは、やり方だ。人ではない」
その言葉に、胸の奥がわずかに熱くなった。
面会が終わり、外に出ると、空は薄く晴れていた。雪の反射が、目に眩しい。
「決めたな」
マルクが、隣に立つ。
「はい」
「前より、いい顔だ」
評価ではない。観察だ。
「条件を出せるようになった」
私は、少しだけ口角を上げた。
部屋に戻り、帳簿を開く。今日の記録を書く。
――共同備蓄案、条件付きで引き受け。
――責任分散、明文化。
書き終え、ペンを置く。
私は、引き受けた。
でも、全部は引き受けなかった。
それは、逃げないための選択であり、
続けるための選択だった。
窓の外で、風が静かに吹く。
この場所は、もう私を試すだけの場所ではない。
私が、条件を示し、選び続ける場所だ。
――悪役令嬢として、誰かの役を演じる必要はない。
そう思えたことが、今日一番の成果だった。




