第18話 逃げないための条件
距離を置いた翌日、作業場の空気は穏やかだった。
昨日と同じ手順。昨日と同じ配置。説明役は別の修道士が担い、私は帳簿の裏で数字を追っている。問題はない。少なくとも、表面上は。
それでも、私は分かっていた。
このままでは、同じことを繰り返す。
前に出る。
名前が呼ばれる。
怖くなって、距離を取る。
それは逃げではないが、前進でもない。
「……」
帳簿の行を指でなぞりながら、私は考える。
前に出ること自体が、問題なのではない。
問題は、「どこまで引き受けるか」を決めていないことだ。
昼前、修道院長エレナのもとを訪ねた。
「時間を、少しいただけますか」
彼女は頷き、椅子を勧める。
「考えがまとまったようですね」
その一言で、覚悟が決まった。
「条件を、決めたいのです」
私は、はっきりと言った。
「今後、説明役や調整役を引き受けるとしても、全てを私一人で抱えない。その線引きを、最初から明確にしたい」
エレナは、驚いた様子を見せなかった。
「具体的には」
「最終判断は、必ず複数人で行うこと」
「記録には、決定に関わった名前を全て残すこと」
「外部への説明は、必ず二人以上で対応すること」
言葉にしながら、胸の奥が少しずつ軽くなる。
「私は、補助でも、調整でも構いません。ですが、“一人で責任を負う立場”には、戻りたくありません」
沈黙。
エレナは、しばらく私を見つめていたが、やがて静かに頷いた。
「妥当です」
即答だった。
「むしろ、こちらが先に整えるべき線引きでした」
肩の力が、少し抜ける。
「あなたが恐れているのは、失敗ではない」
エレナは言う。
「失敗の後に、切り捨てられることですね」
私は、何も言わずに頷いた。
「ここでは、切り捨てません」
短く、しかし確かな言葉。
「その代わり、条件を決めた以上、逃げないこと」
私は、顔を上げる。
「はい」
それは、はっきりとした返事だった。
午後、現場で小さな打ち合わせが開かれる。
修道士二名、マルク、そして私。
「今後の外部対応だが」
マルクが、腕を組んで言う。
「説明役はローテーションにする」
「判断は、その場の三人で決める」
「記録は全員の名で残す」
彼が、私を見る。
「これでいいか」
私は、深く息を吸い、頷いた。
「はい」
逃げ道ではない。
安全装置だ。
打ち合わせが終わり、作業が再開される。
私は、今日は前に出た。
だが、昨日のような息苦しさはない。
名前が呼ばれても、視線が集まっても、足元が揺れない。
なぜなら――線が引かれているからだ。
夕方。
帳簿を閉じながら、私はふと思う。
王都では、条件を出すこと自体が許されなかった。
従うか、切られるか。
ここでは、違う。
条件を出し、合意し、その上で動く。
それは、大人の世界だった。
部屋に戻り、椅子に座る。
私は、帳簿の余白に新しい項目を書き足した。
――役割条件:
――単独責任を負わないこと。
それは、自分を守るための条件であり、
逃げずに前に立つための条件でもあった。
私は、ようやく理解した。
強くなるとは、
全部を背負うことではない。
背負う量を、自分で決められるようになることだ。
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