第11話 信用されない提案
不満は、音を立てて現れるものではない。
朝の作業場は、いつも通り静かだった。修道士たちは黙々と動き、倉庫では荷の確認が行われている。表面だけ見れば、何も問題はない。
けれど、空気がわずかに硬い。
私は帳簿を抱え、倉庫脇の作業台に立つ男の背中を見ていた。がっしりとした体格。短く刈った髪。修道服ではなく、作業用の上着を着ている。
彼が、マルク・フェンデルだ。
修道領の現場責任者。物資管理と人員配置を一手に引き受けている男。ここ数日、彼は私の存在を意図的に無視していた。
「今日の運搬班は、北道を使う」
マルクが、低い声で指示を出す。
「ですが、北道は――」
私は、思わず口を開いた。
「昨日の風で、崩れが出ています。南回りの方が――」
最後まで言い切る前に、視線がぶつかった。
マルクは振り返り、私を一瞥する。その目に浮かんだのは、露骨な苛立ちだった。
「帳簿の人か」
その呼び方に、周囲の動きが一瞬止まる。
「現場は、紙の上じゃ分からない」
言葉は荒くない。だが、切り捨てるようだった。
「南回りは遠い。人手も馬も余分に食う。今は余裕があるように見えても、無駄は後で効いてくる」
正論だ。現場の感覚としては、間違っていない。
「……承知しました」
私は一歩引いた。
無理に押すべきではない。ここで対立すれば、作業が滞る。
だが。
昼前、予想していた報告が上がった。
「北道、やはり通れません」
「馬が引き返してきました」
作業場に、低いざわめきが広がる。
マルクが舌打ちをした。
「……分かっている」
分かっていた。分かっていて、選んだのだ。自分の判断として。
彼はすぐに指示を切り替え、人員を再配置する。現場は混乱しない。だが、半日分の遅れは確実だった。
私は、帳簿を見下ろす。
この遅れは、今日だけなら問題にならない。だが、天候が続けば、必ず影響が出る。
「さっきの話だが」
マルクが、私の前に立った。
「次からは、意見があるならはっきり言え」
意外な言葉だった。
「遠慮される方が、厄介だ」
その目は、まだ信用していない。ただ、無視もしない。
「……分かりました」
私は頷いた。
「ですが、一つだけ」
彼が顎を上げる。
「責任を取る気はあるのか」
その問いは、真っ直ぐだった。
胸の奥が、きしりと鳴る。
責任。
今まで、私はそれを避ける位置にいた。名前が出ない場所。判断の外側。
けれど、彼はそれを許さない。
「私は――」
言葉を探す。
「最終判断は、私ではありません」
事実だ。
「ですが、気づいたことを伝える責任は、負うつもりです」
それは、逃げでも、強がりでもない。
マルクは、しばらく私を見つめていた。やがて、短く息を吐く。
「中途半端だな」
そう言って、背を向けた。
「だが、黙られるよりはいい」
それで会話は終わった。
私は、その場に立ち尽くす。
信用されたわけではない。認められたわけでもない。
けれど、拒絶もされなかった。
夕方、修道院長エレナが私を呼び止める。
「現場で衝突したそうですね」
「……はい」
「問題は?」
「ありません。判断は、現場のものです」
エレナは、少しだけ目を細めた。
「そう」
それ以上、何も言わない。
部屋に戻り、椅子に腰を下ろす。今日は、疲れが重い。
否定されたわけではない。だが、試されている。
ここでは、立場ではなく、結果だけが残る。
私は、帳簿を開き、今日の遅れを記録する。
信用は、まだない。
けれど――対話は、始まった。
それだけで、今日は十分だと思えた。




