実りを心に抱えて
今年の7月、私はほぼ数年ぶりに創作活動を再開した。
私自身を、特に私自身の惨めな部分を書くことを、生まれて初めて本気で取り組んだ。知ったような口を利きながら書く薄っぺらで退屈な物語を一度お休みにして、私の暮らしと心ををなるべくありのままに書いた。
果たしてそれは、若かったころの創作に向ける活力をいま再びよみがえらせた。過去に書いては消し、書いては消して、ああ本当に心底俺の書くものは面白くないと重苦しい鬱屈を積み上げるばかりだった20代後半の何年かが、やっと精算されていくような感覚。
ネガティブな感情も腑分けして、今まで無視していた自身の恨みや憎しみ、寂しさを文章に変えて投稿し続けた。そうすると不思議なことに、より明るく、自分の生活に沿ったエッセイも書けるようになっていった。
それどころか、作品の作成スピードは暇庭宅男の人生の中で今が間違いなく一番早い。前に書いたものを投稿したのを除いて半年で実に40本あまり。こんな日が来ると思わなかった。
そして日々の暮らしの良いことも悪いことも、前よりずっとよく味わえるようになった。良かったことのうまみも、悪かったことの苦さも、それを感じることすら苦痛で億劫だった心が、いくぶんやわらかさを取り戻してそのひとつひとつを心の中に招き入れることができるようになってきたのだ。
宅男くんの声を書いたらいい。そう言ってくれたかけがえのない友人、四駆さんの言葉の意味が今ならはっきり分かる。
誰かに評価されるべく面白さを捻り出そうとする前に、自分のことを書いて良かったのだ。読まれないならそれで全然構わないし、実際に書き始めてみたら本当にたくさんの方が読んでくださった。嬉しかった。感想まで送られてきた。本当に嬉しかった。
夏から秋までに書いたものの手応えや、数年ぶりによみがえってきた書くのが楽しい気持ちが、私の腕に抱えきれないほどの実りになって心地よく重くて暖かい。
私には夢がある。いつか、みんなが面白いと感じるような作品を書くこと。私は欲張りなのでひとつでは足りない。ふたつ、みっつ。いや、もっともっと。身の程知らずで構わない。それでも書いてみたい。今、15年の時を超えて、熱意が自分の内側にゆっくり満ちてくるのを感じている。
中年になってから、こんなに楽しみに本気になれるものなのだ。悪くない。今の気持ちなら前へ進める。これから先が老いの待ち受ける長い下り坂で、さらにその先が叫喚渦巻く地獄だとしても、口笛を吹いて歩いていける気がしている。私の行く先に、物語の種があると信じられるから。
なろうでの投稿を始めてから、心の中がびっくりするほど変わったと思う。別に地の悲観主義が和らいだとかでは全然ないけれど、ほどよく力の抜けた、地に足のついた文章が少しずつ作品の中に現れてきているのを感じる。
夢は叶うだろうか。おもしろい作品を書く夢。
まだ分からないが、それに挑戦する瞬間も、きっと楽しいだろうという予感がある。




