第45話「白嶺の決戦 ―後半―」
翌日、白き嶺の中腹。
吹き荒れる雪風の中に、黒衣の男は立っていた。
蒼白な肌は雪に溶け込み、銀青の髪が風に舞う。まるで山そのものが彼を奉じているかのような威容。
「ようこそ、神代レン。観察の続きを始めよう」
アトモス=ヴェイルは、空気を震わせる低い声で言った。
◇
レンは仲間を背後に庇いながら、《オーディン》を掲げる。
「昨日の領域……酸素奪取。だがそれだけじゃないな」
「察しが早い」
アトモスが指を鳴らすと、空気が圧縮され、白雪の地表が爆ぜた。
凄まじい衝撃波が襲い、兵士たちが吹き飛ばされる。
ガルドが盾を構え、必死に耐えた。
「ぐっ……! まるで見えない巨岩に叩かれてるみてぇだ!」
続けざまに、アトモスは手を翳した。
その掌の先で空気が抜け落ち、真空が生まれる。
周囲の岩壁が内部から砕け、破片が雨のように降り注いだ。
「真空は衝撃の伝達を許さない。だが境界では逆に圧が集中する。合理的な破壊手段だろう?」
◇
レンは《オーディン》に高速で数式を走らせる。
「気圧差の集中……それを逆利用する!」
両手を掲げ、詠唱と共に術式を展開した。
「――《渦炎閃光》!」
炎が螺旋を描き、突風と衝撃波を絡め取る。
火と風が互いを押し合い、空気の流れが一瞬停滞する。
その隙を逃さず、ミリアが矢を放った。
「今だ!」
矢は一直線に飛び、アトモスの黒衣を掠めた。
しかし彼は眉ひとつ動かさず、片手で矢を掴み取る。
「矢は呼吸と同じ。空気を媒介する以上、私に届かぬ」
◇
レンは歯を食いしばり、新たな術式を描く。
「酸素を奪うなら、こちらは二酸化炭素を操る……!
――《酸化爆炎》!」
生成された酸素を一点集中させ、二酸化炭素を媒介に燃焼を加速。
轟炎が奔り、アトモスの結界にぶつかった。
爆発音と熱風に雪が溶け、氷壁が蒸気を噴き上げる。
仲間たちは思わず目を覆った。
◇
爆炎が収まった後、アトモスはわずかに口元を歪めた。
「ほう……私の膜を揺らがせるか。やはり、観察に値する」
黒衣の裾は焦げていたが、彼自身は無傷。
その姿に兵士たちが絶望の声を漏らす。
オルドが杖を突き立て、必死に詠唱した。
「博士、奴は酸素を握っとる。ならば――別の元素で打ち破れ!」
「……そうか!」
レンの脳裏に新たな式が閃く。
◇
「――《錬焔閃火》、収束型!」
レンが叫ぶと、炎は一点に収束し、極細の光線となった。
氷を蒸発させる白熱の閃光がアトモスを直撃。
黒衣が裂け、蒼白な肌に赤い傷が刻まれる。
初めてアトモスの表情に陰が走った。
「……なるほど。酸素ではなく、熱量そのものを収束させたか」
彼は片目を細め、冷たく笑う。
「ならば、今度はこちらの番だ」
◇
アトモスが両手を広げると、山脈全体が呻いた。
風が渦を巻き、空気が悲鳴をあげる。
「――《全域隔絶領域》」
雪山の空気が一瞬にして奪われ、全員が喉を押さえて苦しむ。
リナが倒れ、ミリアが必死にレンの名を呼んだ。
兵士たちの目から光が消えかける。
「……これ以上は危険だ!」
レンは必死に《オーディン》を操作し、仲間の周囲に酸素球を展開。
だが自らの呼吸は保てず、視界が暗く霞む。
最後に見たのは、冷たい蒼の瞳で彼を見下ろすアトモスの姿だった。
「次で決着をつけよう。科学の魔法使い――神代レン」
雪風が唸り、幹部の姿は霧の奥へと消えた。
◇
荒い呼吸を取り戻しながら、レンは地に膝をついた。
「……あれが、本気の一端か」
仲間たちは必死に息を吸い込み、生き延びた安堵に肩を震わせる。
だが彼らの心に宿ったのは恐怖ではなく――次なる決戦への決意だった。




