第44話「幹部との邂逅 ―前半―」
廃村を包む夜の静寂を破る、乾いた足音。
それは隠れることなく、むしろ堂々と存在を示すように響いていた。
月光に照らされ、ゆっくりと姿を現したのは一人の男。
背は高く、痩せた体躯を黒衣で包み、裾は風もないのに揺れている。
肌は死人のように蒼白で、頬は削げ、血色というものを感じさせない。
長く垂れる銀青の髪が月光を浴びて冷たく輝き、瞳は氷を思わせる蒼の光でこちらを射抜いていた。
細く長い指には黒金の指輪が嵌められ、その爪は獣のように鋭い。
まるで空気そのものが彼を拒めず従っているかのように、周囲の風がわずかに震え、焚き火の炎が低く揺れた。
「……お初にお目にかかる。《アトモス=ヴェイル》。ウロボロス幹部にして“大気を支配する者”。」
男は無駄のない動きで立ち止まり、名乗った。
「神代レン。君の歩みは、実に興味深い観察対象だったよ」
声は低く穏やかだが、響くたびに肺の奥を冷気で締めつけられるような圧があった。
その存在感に、リナは思わず後ずさり、ガルドは剣を構えるも全身から汗が吹き出した。
◇
アトモスはゆるやかに腕を広げる。
「科学を人を救うために使う? 甘い。科学の本質は合理と効率だ。村を滅ぼすのに剣や炎は要らない。呼吸を奪えば終わりだ」
レンは《オーディン》を握りしめた。
「科学は人を救うためのものだ。奪うためじゃない!」
「……面白いな。ならば証明してみせろ」
アトモスの足元に黒い術式が展開する。
◇
瞬間、空気が震えた。
「――《大気隔絶領域》」
廃村全体から酸素が奪われ、兵士たちは次々に咳き込み膝をついた。
リナが胸を押さえ、ミリアが地面に手をつき、オルドの炎は掻き消える。
呼吸そのものが敵に握られた恐怖が場を支配した。
「これが科学の合理性だ。生き物は酸素なしでは五分も保たぬ」
アトモスの碧眼は冷たく輝き、そこに情けは一片もなかった。
◇
レンは即座に術式を展開した。
「水を電気分解……酸素を生成! ――《酸素供給回路・緊急展開》!」
青白い球状の幕が仲間の周囲に広がり、局所的に酸素が満ちる。
兵士たちの顔にわずかに赤みが戻った。
リナが涙をにじませながら息を吸い込む。
「はぁっ……博士、これで……!」
だがレンは額の汗を拭った。
(完全には補えない……奪われる速度の方が速い!)
◇
アトモスの碧眼が鋭く光った。
「酸素供給か。やはり君は興味深い。だが足りない。観察はここまでにしておこう」
黒衣が風に揺れ、彼の姿は夜の霧に溶けていった。
「次は高地で待つ。本気の試験を始めよう」
圧迫が解け、一斉に兵士たちが息を吸い込む。
荒い呼吸と、廃墟の軋む音だけが夜を満たした。
レンは拳を握りしめ、呟いた。
「……科学を歪め、人を殺す道具にした……あれが、ウロボロス幹部」
誰も言葉を返せなかった。ただ、その瞳に深い恐怖と決意を宿していた。




