第40話「道中の火種」
研究棟を後にして三日。
レンたちの一行は北方の山脈を目指し、草原と森を越えて進軍していた。
瓦礫と化した村々を横目に見ながら、馬車の車輪は泥を跳ね、兵士たちの鎧は次第に煤と土で汚れていく。
それでも彼らの足取りは軽かった。なぜなら先日の峡谷戦で博士――レンが酸化爆炎を披露し、誰もが「科学の魔法」をこの目で見たからだ。
遠征部隊は兵士と研究員を合わせて三十余名。
物資を積んだ馬車が列をなし、昼夜問わず交代で進軍が続いていた。
◇
昼下がり。森を抜けた一行は、小さな川辺で休憩を取った。
川面に陽が反射して眩しく光り、兵士たちは甲冑を外して汗を拭った。
リナが湯を沸かしながらレンに近づく。
「博士、少し休んでください」
彼女が差し出した水筒を受け取り、レンは喉を潤した。
「助かる。酸素濃度の推移を測っていたら、つい熱中してしまった」
「また数式ですか……。博士は本当に休むことを知らないんですね」
リナは苦笑しつつも、その瞳は尊敬の色を隠せない。
「でも……だからこそ、私もついていこうと思えるんです」
レンは目を細め、わずかに微笑んだ。
◇
その少し離れた場所では、ガルドが若い兵士たちと素振りをしていた。
「腰が抜けてるぞ! 剣は腕じゃなくて全身で振るんだ!」
彼の豪快な声が森に響く。
レンが視線を向けると、ガルドが笑いながら声を張った。
「博士! あんたもどうだ? 頭ばかり使ってると身体が鈍るぞ!」
「……剣術は専門外だ。ただし反射速度を高める方法なら研究できる」
「やっぱりそう来るか!」
周囲が笑いに包まれ、兵士たちの緊張もほぐれた。
◇
森の端では、ミリアが弓を引き絞り、枝の間を飛ぶ鳥を狙っていた。
「……敵の斥候の可能性がある。気を抜けば、すぐにやられる」
放たれた矢が鳥の真横をかすめ、羽音を散らして消える。
リナがそっと声をかける。
「ミリアさん、少し休んでも……」
「休むと森を思い出すんです」
彼女は短く言い、矢を番え直した。
「枯れた大樹、焼けた故郷……。だから私は弓を握っていた方が楽なんです」
リナは言葉を失い、ただ彼女の背中を見つめた。
◇
焚き火のそばでは、老魔導師オルドが若い兵士たちに講義をしていた。
「魔法は神秘ではない。理解と積み重ねで形になる。博士が示してくれたことは、わしらに新しい目を開かせてくれた」
兵士たちは真剣に耳を傾け、魔法陣の線を何度も書き直す。
「この線一本の違いで、火が灯るか消えるかが決まる。魔法とは繊細なものだ。博士の科学とやらと似ておるな」
オルドの声は穏やかで、兵士たちの心を安らげた。
◇
夜。野営地に焚き火が灯り、兵士たちが食事を取り始める頃、レンはタブレット《オーディン》を起動していた。
大気の組成、湿度、地脈の魔力流――全てが数値化され、地図に重ねられていく。
(ただの行軍でさえ、実験場になる。こうして集めたデータが必ず戦いに役立つ)
ふと彼は焚き火を囲む仲間たちに視線を向けた。
ガルドは笑い声を上げて兵士たちを鼓舞し、ミリアは弓の手入れを黙々と続け、リナは薬草を仕分けしている。オルドは若者に古い知識を伝えていた。
「……俺ひとりじゃない」
レンは小さく呟く。
科学は理論だ。だが理論だけでは未来は築けない。共に歩む仲間がいて初めて、科学も魔法も本当の力になるのだ。
山脈はまだ遠い。だが道中で積み重なる絆が、やがて大きな力となる。
焚き火の炎が夜風に揺れ、レンの瞳に決意を映していた。




