第3話 北端中学2年3組
北端中学2年3組。川端市でも一番北に位置する中学校は周囲が新しい住宅地と言うこともあって、荒れることもなく比較的『いい中学校』と評価を得ていた。そんなクラスの中でも特に目立っていたのが藪 亜朱沙だった。普通のサラリーマン家庭で育った彼女だったが、長くて艶やかなアッシュブラウンの髪を始め容姿は人目を惹き、かつ成績はトップクラスで運動能力も高く、部活では陸上部のスプリンターとして鳴らしていた。自然と亜朱沙の周囲には女子たちが集まり、女王と評されることもあった。
そんな亜朱沙と対極に位置していたのが飯野 梓だ。成績は中の上で運動は総じて得意ではない。よく見ると可愛い顔つきだが目立つわけではない。背格好は亜朱沙とほぼ同じながら髪は肩までのミディアムボブ。特徴的なものは何もなく、授業が終わるとさっさと帰ってしまう。必要が無ければ誰も声を掛けない、そんな少女だった。
亜朱沙は梓と授業や学校行事で喋ることはあったが、それ以外の交流は一切なく、2年生に進級した時も1年生の時にも同じクラスだったことを忘れていたほどだ。しかし梓の方はちょっと違った。周囲には気付かれないよう慎重を期した上で、亜朱沙の様子や話を伺っていた。
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「ふう。やっぱり眩しいな、女王さまは」
帰宅の通学路、梓は独り言を呟く。梓にとって、藪 亜朱沙は憧れの女の子。何もかも自分とは違うから、どう足掻いてもあんな風になれっこないのは判っている。しかし憧れとはそう言うものであろう。亜朱沙と喋ったのは… 2年に進級した直後に、クラスで委員や係を決めた時だけだ。そう、
「へぇ、飯野さんが保健委員か。部活で怪我した時はよろしくね」
「え、は、はいっ。け、怪我はしないで下さいね」
「何よ、敬語で。変なの」
たったそれだけだ。藪さんが部活でケガをした時に、私が保健委員として…、いや待て。部活やってる時間って、私はもう下校しているじゃない。そもそも保健委員だからと言って保健室にいる訳じゃないし、何もできないよな。はぁ…。
梓は思い出してまた落ち込んだ。結局自分は何の役にも立たない。名前を覚えてもらっているだけで十分か。1年から一緒なんだもん、賢い藪さんなら覚えてるよね。
梓の思考は堂々巡りだった。
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亜朱沙が所属する北端中学陸上部は、競技グループごとに練習を行う。グループは三つ、すなわち『短距離グループ』、『中長距離グループ』、そして『フィールド競技グループ』である。亜朱沙は短距離グループ女子の中でも2年生のリーダー。競技会では常に入賞を狙えるアスリート。そして同様に男子の2年生リーダーは同じクラスの竹内 駿であった。練習場所や道具の相談で、しばしば亜朱沙は駿と会話をする。イケメンで、亜朱沙と同じく常に入賞を狙える俊は、陸上部内のみならず、学校中でも有名だ。憧れている女子も多い。
そんな中で、同じクラスで同じ部活、しかも立場も近しい二人は、常に噂になっていた。駿は気にする素振りも見せなかったが、亜朱沙の方は満更でも無かった。このまま3年生になれば、きっと彼がキャプテンであたしが副キャプテン。二人一緒の時間が増えても怪しくないし、自然を装える。告ってくれるかな…、いや彼はそう言う面ではきちんとしているから、あたしから誘わないと難しいかも。何れにしても北端中のベストカップルって言われそうだ。亜朱沙は日に日に膨らむ妄想と期待で幸せだった。
そんな亜朱沙に小さな雑音がもたらされた。亜朱沙の取り巻き筆頭株の、佐藤 美順からだった。
「亜朱沙、気がついてる? 時々飯野さんが亜朱沙のことを見つめているのよ」
「え? 飯野さん?」
飯野さんって、ああ、保健委員の子だ。目立つ存在でもなく空気のような存在。亜朱沙は意識したこともない子だ。
「そ。あれってきっと恋よ。告られたらどうする? 地味子ちゃんだけど」
亜朱沙は呆れて美順を見た。
「何言ってんの。あたしはどっちかって言うと男の子がいいんだけど。カノジョよりカレシが欲しーい」
「だよねー。ま、亜朱沙なら楽勝でしょ。竹内君みたいに競争率高めは別にして」
「やっぱ競争率高めか…」
亜朱沙は思わずボソっと呟いてしまった。美順は慌てる。
「え? あ、もしかして図星だった? ごめんごめん、でも大丈夫よ、亜朱沙なら。今でも結構近しいじゃない。ま、ライバルにもならないけど、飯野さんは私が適当にあしらっとくよ」
あたしと竹内君って、まだ公認とは見られていないんだ。亜朱沙は美順の言葉より、駿のことで頭が一杯だった。他に彼を狙っている女子がいることは判っている。この場合は先手必勝…なのかな。乙女らしく悩む亜朱沙には、飯野梓の存在感はゼロだった。