第29話 あの日の真実
会議室の大画面には、ベッドを起こした貞世が写っていた。目の光が違う。亜朱沙を認識したのか、隣の貞一に促されるように、貞世はあの日のことを語り始めた。
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地震が発生した直後から、梓は常に持ち歩いている襷を肩に掛けた。これは魔法の襷だ。藪さんがつけていた、厳密には遊んでいた襷とも聞いたけど、どのみち彼女のパワーも入っているに違いない。今の状況から津波が来るのは判っている。藪さんのパワーが欲しい。時間がないのだ。
梓は学校を飛び出して瓦礫だらけの街を駈け回り始めた。
役場の防災無線が聞こえる。津波到達まで30分。川端市立北端中学校の襷をはためかせ、梓は駈けた。お年寄りを学校に案内し、子どもと一緒に丘の上公園まで駈け上がり、瓦礫の中の子ネコを助け、何人もの人をエスコートした。
「高い所へ! ビルの上へ! 逃げて下さーい」
これまで出したことのない大声だ。時々時計を確認する。津波到達まであと10分。
すると、ふと一人の老婆が目に入った。瓦礫に腰かけている。
「おばあちゃん! 逃げなきゃ!」
「いやいや、もういいのよ。上手ぐ歩げねし、お迎え来るのを待ってらのよ」
「そんなの駄目だよ!」
梓は背中を差し出す。
「おばあちゃん! 乗って! 走るから!」
梓の強い物言いに、止む無く老婆は梓の背中に縋った。
「あんたは誰がな?」
「飯野 梓です! 駒切中学の2年生。ちょっと揺れるけど、ごめんね」
老婆を負ぶって丘の上公園を目指して走り始めた梓は、1台の軽トラックがやって来るのを目にした。流石に車の方が速いだろう。あと10分だし。
梓は手を振り回した。軽トラが目の前で止まる。
「すみません、おばあちゃんをお願いします!」
叫ぶや否や梓は老婆を荷台に降ろした。
「しっかり摑まってね。そうだ、それから…」
梓は空色の襷を外し、老婆に掛ける。そして、老婆と軽トラのドライバーに言った。
「これってロープ代わりにも、三角巾代わりにもなりますから、おばあちゃんに持っててもらいます。それにね、これがあるとぜーったいに助かります。リレーで使ってた魔法の襷なんですよ。縁起もいいです。逃げ切れます!」
「あんたは乗っていかんのかい? もう津波が来るよ」
「私は大丈夫です。足には自信があるんで津波には負けません。体育大会のリレーで、この襷をして大逆転したんですよ」
嬉しそうに微笑んで、梓は再び町に駈け戻った。津波到達まであと5分。
貞世が見た梓の姿はそれが最後だった。
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画面の中の貞世は手を合わせている。隣で貞一がつけ加えた。
「私も気になってね、その軽トラの人を探し出して聞いてみたんですよ。そうしたらお持ち帰り頂いたあの襷って、本当に魔法の襷なんじゃないかって」
今度は貞一が語り始めた。
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軽トラックは瓦礫が散らばる道路を縫うように走った。揺れる荷台で老婆は梓に掛けてもらった襷を、荷台のロープフックに引っ掛け、つり革のように持ちながらバランスを取っていた。軽トラのドライバーは傾いた家屋の脇の僅かに空いたスペースを徐行で進む。するといきなり瓦礫が動いた。ドライバーは急ブレーキを踏んだ。
「あっぶねえー、轢いちまうとこだった」
動いたのは瓦礫の埃塗れになった幼児だった。老婆は荷台から身を乗り出す。
「お母っちゃんはおるんか?」
幼児は何も言わない。地震のショックで口が利けないのかも知れない。ドライバーは怒鳴った。
「乗ってけ! 母っちゃんはあとで探してやるから」
老婆は襷を荷台から垂らした。幼児はそれに掴まりながら、遊具のような要領で荷台に這い上がる。その時余震が襲った。傾いた家屋が更に崩れて来る。ドライバーは咄嗟に軽トラを発進させた。
襷に掴まった幼児は荷台に転がり込んで間一髪下敷きを免れた。ドライバーは後で老婆に言った。
「ばあちゃん、よう機転利いたな。車を降りて子どもを荷台に乗せとったら間に合わんかった」
「だってよ、あの嬢ちゃん、ロープ代わりになる言うとったけぇ」
「ほんに魔法の襷だったな」
老婆は益々皴を深くした。
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「襷は子どもの生命と、もしかしたら軽トラそのものも救ったかも知れんのです。その子も避難所でお母さんと出会えたそうでね、本当に魔法の襷だったってね。みんな自分のことで精一杯だったのに、あんな若い子が少なくとも子どもとお袋を助けてくれたって思うと、藪さんがあの子の功績を発掘するって本当に大切な仕事だと思いますよ。襷はあの子の形見ですよね」
貞一の言葉に隣で貞世も深く頷いていた。




