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第23話 証言 三毛ネコ

 震災発生時。母娘はまず屋外に避難した。避難時には荷物を軽くとは判っていたが、貰ったばかりの子ネコをどうしても連れてゆくと娘が言い張ったため、やむを得ず子ネコを抱きかかえた娘ごと連れ出したのだ。すぐに防災無線が津波到来を告げる。母娘は瓦礫が散らばる道路を足早に高台に向かって歩き出した。しかし四歳児の足はすぐに限界を迎える。


 娘が倒壊した商店の脇で止まってしまったのだ。母親はやむを得ず子ネコごと娘を抱きかかえようとした。しかしその動きを嫌がったのか、子ネコが娘の手をするりと抜け出し、崩れた商店の瓦礫の隙間に入って行ってしまった。


「ネコ! 出ておいで!」


 まだ名前のなかった子ネコに母娘が必死で呼びかける。その間にもサイレンが鳴り響き、津波到来のカウントダウンが叫ばれていた。子ネコが怯えるのも無理がない。


「もうだめ! ネコちゃんは後で迎えに来よう! 津波が来たらみんな死んじゃうから!」

「やだーっ、一緒に行くぅ!」


 娘は傾いた商店の柱にしがみつき駄々をこね始めた。


 そこへ走って来たのが梓だった。


「どうしたんですか? 早く逃げないと津波が来ますよ!」


 母親は商店の瓦礫の中を指さす。


「連れていた子ネコがあの中に入ってしまって出て来ないのよ」


 幼い娘も呼応する。


「ネコちゃん一緒に行くの!」


 梓は暗い瓦礫の間を覗き込んだ。なるほど三毛模様が隙間の奥に見える。しかし余震でも来たら、この家屋そのものが危ない。


「ネコちゃんは後から行くって言ってるよ」


 梓は娘を諭した。しかし四歳児は聞く耳を持たない。仕方なく瓦礫に踏み込んで梓は子ネコに手を伸ばした。


「ミューー」


 駄目だ。全く手が届かない。せめておやつでもあれば誘き寄せられるんだけど…。梓は周囲を見渡した。そうだ!


 梓は肩から掛けていた空色の襷を手に持って、瓦礫の隙間に先端を投げ込んだ。そして全体を揺らしてあたかも『猫じゃらし』のように見せかける。襷は瓦礫に引っ掛かりながらも踊り、瓦礫の奥の子ネコが反応した。チリン、チリンと鈴の音が聞こえる。


 もうちょい、おいで、ほらこっち!


 遂に子ネコの小さな前足の爪が襷に引っ掛かり、その瞬間、梓は襷を一気に引き上げた。


「釣れた!」


 子ネコは襷に引きずられて姿を現し、梓は子ネコを確保した。


 ミャアー、ミー。


 母が梓から子ネコを受け取り、四歳児は目を輝かす。梓は叫んだ。


「ほら!急いで!ネコちゃんも一緒にかけっこだよ」

「有難うございました。あなた、駒切中学の子よね。なんて言うの? 」

「2年の飯野梓です。急いで下さい。時間がないんで」

「うん、梓ちゃんもね、助かったわ。梓ちゃんも逃げないと!」

「はい。私は学校に避難しますから」


 機嫌を直した四歳児と母は間もなく警察の車に収容され、高台の避難所に辿り着いた。

 娘の発案でその場で子ネコの名前が『アズ』になったと言う。


 しかし母娘はそれ以降、梓の姿を見掛けなかった。


+++


 亜朱沙と妙子は大きくため息をついた。


「そうでしたか…」


 あの状況でそこまで踏み込むなんて、普通は出来ない。きっと梓にとっては子ネコであっても『一つの生命』に変わりはなかったのだろう。


「ご迷惑をお掛けしました」


 すっかり大きくなった娘が頭を下げる。母親が眉間に皺を寄せた。


「でも、飯野梓ちゃんは亡くなったって後から聞いて、もうショックでショックで…」


 亜朱沙は洟をすする。


「そうなんです。だから少しでもこういうお話を集めて、みんなの『ありがとう』を梓に手向けたいって思っています」


「有難いことですね。彼女のこと、私も忘れたことなんかありませんもの。アズもすっかりご老体なんだけど、梓ちゃんに頂いた生命いのちって思っていますから、とことん甘やかします」


 娘の方はご老体に頬を摺り寄せている。


 そう…、キミも梓に救われたのね。亜朱沙はアズとその家族をスマホで写真に収め、アズの喉をそっと撫でた。


 温かい…、梓はこんな温かさも遺したんだ。


 アズは目を細め亜朱沙の手に頭を預ける。『チリン』の音が十四年前から聞こえた気がした。


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