第21話 てんでんこ
「息子はそこまでしか見とらんかったそうですが、その子はきっとお話しされていた女の子だと思いましてね、お役に立つかどうかは判らんのですが」
「有難うございました。きっと梓ちゃんです」
亜朱沙は両手を揃えて頭を下げた。
「一口に『てんでんこ』って言っても確かにそれだけじゃ足らん人もいる訳で、その女の子の行動は恐らく何人かを救ったんじゃないかって今なら思えるんですよ。しかし褒められた行動かどうかは、いろんな意見があると思いますね。結局自分自身は救えんかった訳ですし『てんでんこ』にはなっとらん」
「確かに、そんな見方もありますよね」
亜朱沙は唇を噛み締めた。棘が含まれている気がする。梓の行動を聞く限り、そう言う批判が出るのは理解出来るが、目の前で聞くとちょっと悔しい。
「藪主任も役所にいらっしゃるならお判りと思いますが、局部最適解と全体最適解は違うんですな。役所は『てんでんこに逃げろ』と言っとるのに、あの子のような行動が頻発するのは考えもんだと言う人もおります」
隣で妙子もキッと身を起こしたのを感じる。職員は座り直した。
「だけんど息子に言われました。一人でも多く助かったんだったら、それでいいじゃないか、誰もが誰かのかけがえのない人なんだから生命に軽重はないし、だったら助かる数が多い方が良いに決まってる。そもそもあんな行動は自分には出来んかったと。私だって同じですわ。全体の幸せと言うたところで、一人一人が幸せじゃなきゃ実現できん」
亜朱沙は職員の目を見つめた。
「いやあ、パブリックな仕事って難しいですな。愚痴る前に動けってその女の子には笑われるかも知れませんが」
職員は目を逸らして笑った。そして、何気に薬指で目尻を拭った。職員の鼻は赤かった。
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「きっとあの人も消化不良なのよ」
亜朱沙にサポートされながら階段を降りる妙子は言った。
「ジレンマがあったんだろうね。本来は自分たちの仕事だったのに出来なかった自分に対して」
「梓には関係ないですけどね」
「でもね、残されたみんなが多かれ少なかれ抱えている感情だと思う。教え子を亡くした教師なんて実はボロボロよ」
亜朱沙は何も言えなかった。妙子の言葉は事実だと思う。今のあたしには思いやれない範囲だけど、実際に直面した人にしか判らない感情なのだろう。あたしはその中には入れない。
杖をついて一段一段ゆっくりと降りる妙子は、踊り場で足を止めた。
「藪さん、あのおっちゃんのこと、余り悪く思わないであげてね。きっと息子さんと一緒に、こっそりお墓にお花を持って行ったりするのよ」
「ですかね」
亜朱沙は作り笑いを浮かべた。やるせないな…。
「ま、2勝1敗ペースで行きましょうか。それでも勝ち越しだから」
妙子は亜朱沙の背中をポンと叩いた。




