第12話 代走
仕方なく梓は自席にトボトボと戻る。自分が体操着を失くしたから…。それはその通りだ。梓は亜朱沙の言葉にぐうの音も出なかった。
2年3組の席は大騒ぎになっていた。体育委員と駿が険しい顔をして話し合っている。
間もなく始まるメインイベント、対抗リレーの選手が欠けたのだ。誰が走れるか、ああだこうだと意見は出るが、亜朱沙ほどの有力者は出て来ない。2年3組としては、リレーで綱引きの仇を討ちたい。そこへトボトボと梓が帰って来た。
その姿を見た駿は閃いた。
「飯野さん!」
梓は生気のない顔を上げる。
「飯野さん、リレーに出てよ!」
周囲は驚く。何しろ運動音痴の梓なのだ。勝負を捨てたとしか思えない。体育委員を始め、周囲はブーイングの嵐だ。しかし駿は反論した。
「いや、飯野さんは走りはいいんだよ。俺知ってんだ」
みんなが疑いの目を向ける中、リレー選手集合のアナウンスが流れる。
「な、頼む。藪さんの代走は飯野さんにしか務まらないんだ。いつものフォームで走ればイケるから」
驚いた梓だったが、駿に押されて頷いた。これしか藪さんに償う方法はない。
「やってくれる?」
「う、うん」
「あ、体操着、どうする?」
「要らない。このまま走る。スニーカーだから」
梓は悲愴な決意を抱いて駿に引っ張られ、入場門へ駆けた。これで駄目なら死んでお詫びするしかない。
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入場門ではもう一つ、騒ぎが起きていた。青組の襷がないのである。赤組白組はそれぞれ無地の襷が用意されているのだが、例年、青組だけは備品がないため、陸上部の藍色の襷を使っていた。問われた駿はしばし考え、そして気がついた。
「藪さんが持ったままだ!」
リレーに出るからと、確か陸上部の先輩が亜朱沙に襷を預け、亜朱沙はそのまま保健室だ。
「俺、取って来るわ」
駿が駆けだそうとしたその時、梓がその裾を引っ張った。
「これじゃ駄目?」
梓が差し出したのは、ジムで駿が与えた古い襷。先生が覗き込む。
「おお、古い奴だな。これでいいじゃねぇか。青には違いない」
駿もほっとした表情を見せ『後で返すから』と断って、空色の襷を、最初のランナーに手渡した。
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いよいよリレーが始まった。各学年男女2人ずつの6名でのリレーだ。まずは1年生のクラス代表が女子、男子の順にトラックを1周する。次に2年生の番。梓は制服スカートのままで選手待機場所にしゃがんだ。
1年3組の男子は2位でスタート地点に戻って来た。差は数メートル。梓は空色の襷を纏って飛び出した。念願の襷とは言え、感傷に浸る余裕などない。
足を高く、バネのようにリズムを刻んで、腕を使って体幹で走る。梓は駿に教えて貰ったことを意識してコースを駆けた。先頭の赤組女子の背中が近づいて来る。2年3組は大騒ぎだ。スカートが捲れたって構わない、パンツが見えたって構わない。梓は必死にスライドを伸ばした。
二つ目のコーナーで梓は赤組に追いついた。カーブの外側を、スカートをはためかせながら大きなスライドで小気味よく追抜く。意表を衝く制服女子の加速度に、生徒全体が沸き立った。梓はそのままテンポよくストレートを駆け抜け、コーナーを二つ回ってトップで駿の手に襷を渡した。
流石に駿は速かった。梓が稼いだリードを更に拡げ、3年生がそのまま維持し、そして青組は1位でテープを切った。
梓は受け取った襷を握り締め、作戦が的中した駿は梓の背中を叩いて喜んでいる。2年3組はお祭り騒ぎだった。梓もようやく感慨に耽った。念願の襷をつけて走れたのだ。当初は死装束のように感じた空色の襷とともに、梓は初めてクラスメイトからの賞賛を浴びた。
そんな様子を、本部席脇のパイプ椅子から藪亜朱沙がただ一人、冷ややかな目で見つめていた。




