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古典派音楽家の偉大なる予言;ベートーヴェン第九の本当の意味、機能、ドヴォルザークの第九”新世界より”の本当の意味、機能

 まず初めに、凛快天逸という、この私が、ベートーヴェンが第九の作曲に本格的に取り組んだ、1823年、その丁度200年後に芸術家として目覚めて、人類史上初めて、ベートーヴェンの第九の大四楽章を完璧に総合芸術として昇華させた芸術家である。

 https://ncode.syosetu.com/n6108io/



 これが最大の証拠である。

 https://ncode.syosetu.com/n7362in/2/


(ちなみに、周知のように、他の芸術家が第九を芸術作品に使用した例はあるが、それらの完成度などを見ると、そもそも第九の機能性などを全く持って理解しておらず、なっていない)

(ベートーヴェンは、少なくとも、第九では、第一楽章から最終楽章まで、それぞれのパートに機能性をしっかりと持たせて、作曲を行っている)

(ベートーヴェンの第九の真髄は、その宗教性と世俗性の完全なる統合の比率を実現にある。それはオラトリオ(宗教)(神話の神々)でもあるし、シンフォニー(世俗)(人類の世俗的な作品)のハイブリッドでもあるのだ。この音楽的要素を、しっかりと総合芸術として理解する必要性がある)


"Ten more years passed before that symphony’s completion, and during that time Beethoven agonized over the composition’s every note. His notebooks indicate that he considered and rejected more than 200 different versions of the “Ode to Joy” theme alone. When he finally finished the work, he offered to the public a radically new creation that was part symphony and part oratorio—a hybrid that proved puzzling to less-adventuresome listeners. Some knowledgeable contemporaries declared that Beethoven had no understanding of how to write for voices; others wondered why there were voices in a symphony at all." ブリタニカより抜粋




 それを踏まえて、


 偉大なる作曲家たちによる偉大なる作品、主に、ベートーヴェン第九、そして、ドヴォルザークの第九とにはしっかりと意味、機能が存在する。


 ・ベートーヴェン、ドヴォルザークの第九、9999(「歓喜の歌」、「新世界より」)というのは、ただの副題ではなく、偉大なる予言である。


 ”新世界より”とは、21世紀において完成するだろう量子重力理論が、有史以来根本的な概念として社会で機能してきた、”時”という概念を終焉に導き、9999、つまり21世紀を越えた22世紀以降の先の新しい人類の時代を意味するのである。そこではもう世紀という概念は存在しないのだ。


 この偉大なる事実は、科学と宗教と芸術という、時代によってかけ離れた、3つの分野を俯瞰的に見渡すことが出来る、この私が始めて、そららの断片的な情報を繋ぎ合わせて、一つに統合して導き出すことが出来た、というわけである。

 

 21世紀までの人類の物理の集大成である量子重力理論の、最も有力の候補の一つであるループ量子重力理論の創設者の一人、カルロ・ロヴェッリは、(フィールド内の純粋な変数として)(量子オペレーターとして)、”時間は存在しない”、(時間という意味は量子重力理論の中では従来とは異なる意味を持つ)とずっと主張してきた。


 ここで気を付けよう。


 飽くまでも、彼の主張は氷山の一角に過ぎない。


 あらゆる最新の量子重力理論の学説は、時間という概念が根本ではないという見解に進んでおり、学界の一致が既に広く確立している。なので既に、証明はされていないが、暗黙的に誰もが認めていることでもある。よって時空間という概念が終焉を迎えるのも、まさに時間の問題である。






 なので、これから科学と宗教と芸術という3つの分野から、統合的に、第九交響曲の機能について説明していく。(こういう説明系は苦手なので、いつも通り、かなり乱雑になる・・・)




 0;予想提議 


 ベートーヴェンの第九は、22世紀以降の新しい神話創生の為の公式の楽曲として、用意してくれていたものである。




 1;説明


 以下が万物の芸術の最終章なのだが、奇妙なことに、ベートーヴェンの第九交響曲のまるまる全ての楽章、第一楽章を使用することが可能であるだけではなく、最も自然なのである。


 さらに言えば、第九の隠されていた副題をまでも、万物の芸術は明らかにしてしまった。



 最終章


 第七部(最終章)  21世紀 「総弦理論」 9999(フォーナイン)


 ベートーヴェン第九交響曲


 本来は副題などは、最終楽章である歓喜の歌以外では、正式には存在しないはずなのだが、万物の芸術によれば、これがベートーヴェンが意図していた表題である。


 第1楽章 創世記

 第2楽章 神々の戦い

 第3楽章 神妙なる自然と文明

 第4楽章 歓喜の歌




 ;第一楽章の分析


 まず、創世記という第一楽章を見てみよう。


 ベートーヴェンの第九の第一楽章の最初の部分、この部分は静かな旋律から始まり、何か爆発するという感じである。弦と弦が擦れ合って、何か大きなものが誕生する、という印象もある


 参考に

 Beethoven, Symphony 9, 1st movement (complete), Allegro ma non troppo, Philharmonia Baroque

 https://youtu.be/3SZ9QzGg95g


 実はこれは、M理論における膜宇宙論のビッグバンを音楽的に表現しているのである。


 ブレーンワールド

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89


 M理論とは、膜理論とも呼ばれる弦理論の一つであり、弦と弦の集合体であるメンブレン(膜)というのが主役の最新の物理理論である。


 どうしてここで唐突にメンブレンが登場するのだろうか?

  

 これにも極めて、科学的、宗教的、そして芸術的な理由がある。


 そもそも弦理論における、ひもとは、当然だが、音楽の旋律とも芸術的に解釈される(これは科学的にはあまり正確ではないが、万物の芸術は3つの柱を軸にしているので、これぐらいなら許される。)


 メンブレンという物体は、ひもをさらに拡大させた形であり、集合体とでも言えるような物体である。


 かなり大雑把に表現すれば、


 弦+弦=メンブレンということである。


 そして、さらに言えば、


 そんな弦と弦の集合体である膜と膜が、お互いに衝突し合えば、どうなるか?



 

 M理論における膜宇宙論のビッグバン、その膜と膜がぶつかり合うという現象は、音楽に対応させるなら、交響曲と一致しているのだ。(これは膜宇宙理論における、正真正銘のビッグバンのメカニズムである。 

) 



 ベートーヴェンの第九交響曲第1楽章の序盤は、つまり、


 メンブレン、つまり弦と弦が重なって誕生する膜(交響曲として芸術的に解釈される物体と現象)と膜が衝突することによって、ビッグバンが誕生するという、描写をしているのである


 しかしここで注意!


 現在のM理論では、メンブレンとメンブレンは、2つが平行的に衝突することによってしか、ビッグバンが誕生しない、という通説になっているらしいのだが、


(というか、そもそもメンブレンは高次元の物体なのに、どうして平行的でなければならないのか、とか、そこら辺も全く分からない!)


 なのでここでも、総弦理論という、万物の芸術の為に構築した、私の理論を登場させる必要性が登場する。


 総弦理論では、6つの異なるメンブレン(交響曲)が立法四角形を構成して、その中に存在する1つの新しいメンブレン((ひとつなぎの大秘宝)万物の芸術における、真のワンピースのエンディング XD)に連続的に衝突して、ビッグバン(人類の新しい時代の誕生(9999))を象徴するというシーンを入れる。(何度も言うが、膜は高次元の物体なので、立法四角形とか、あんまり科学的に意味があるとは思えないが、万物の芸術は、科学と宗教と芸術という3つの分野を統合した創造物なので、そこら辺は愛嬌)



 なので、万物の芸術における宇宙創造のメカニズムにおいて、最も美しい統合が誕生する。


 要約すると……


 A;科学)M理論の膜宇宙理論を採用している事


 B;宗教)従来の創造物として内包される6つの膜を、新しい一つの膜に、調和させるという、自然の神の存在、自然の神の指揮者の存在を思わせる


 C;芸術)ベートーヴェン第九交響曲の第一楽章を正確に使用している


 よって、


 万物の芸術において、宇宙創造のメカニズムは、最も科学的、最も宗教的、そして、最も芸術的であるという、最も偉大なる王道を通る


 ここまでベートーヴェン第九交響曲の第一楽章の説明である。






 2;第2楽章の分析


 第2楽章 神々の戦い


 第一楽章で人類全てが紡ぎ出してきた、創世記、神話創生、それらの発展などを、映像的に、統合的に描写を済ませると、


 ここで一つの問題が生じる。神々の数が多すぎるので(これはトロイの戦争勃発の理由である)、神の数の調節をしなければならない。(それにまあ、あと、神々は気性が荒いので、とか)



 参考に

Beethoven Symphony No. 9 - Mvt. 2 - Barenboim/West-Eastern Divan Orchestra

https://youtu.be/Tn4lk8fRskA


 第2楽章のオープニングは、ゼウスの武器である雷霆ケラウノスの音である。これは、神々の戦いの始まりを知らせる合図である。つまり既にベートーヴェンは万物の芸術を予言していた。


 ちなみに、ギリシャ神話は神話の集大成、頂点であり、ゼウスは神の集大成である。


 何度も繰り返すが、ベートーヴェンは実際に第九の作曲中に神話を意識に入れていた、というのはクラシック好きなら誰でも分かる周知の事実である。証拠として、歌詞にも、ケルビム、天の向こう側に神など、あらゆる神話的、宗教的な言及がなされている。


 しかしながら、ベートーヴェンはどうして神話を意識に入れていたのだろうか?


 彼は単に、過去に遡って、既に紡がれた神話のただ焼き直しを、しようとしていたのだろうか?


 いいや、そんな事はない。


 ベートーヴェンは、第九が万物の芸術で次なる人類の神話創生の公式の楽曲になることを既に考えていたのである。


 なのでこの第2楽章で、全ての人類の神話を有機的に内包させることが可能になる。全ての主要な神々を登場させて、一つの総合芸術として統合させることが出来るのだ。

 


 第2楽章は大まかに、3つの部分に分けることが出来る。


 1つ目は、まず

 

 参照に

 Beethoven, Symphony 9, 2nd movement (complete), Molto vivace, Philharmonia Baroque

 https://youtu.be/p5favl2Qtx0


 この部分は、神々が初めて一つの世界に同居してしまったことで、(まず、万物の芸術における宝とは、22世紀以降の新しい世界を象徴するメンブレン(膜)。それを地盤として誕生した世界)、全人類の神々はまずお互いと戦わなければならない


 2つ目は、休憩である。


 参照に

 https://youtu.be/p5favl2Qtx0?t=414

 

 ここでは、先程の神々の戦いに休憩!





 3つ目は、最後に、万物の芸術に登場する究極の敵である第五の力が登場する。


 参照に

 https://youtu.be/p5favl2Qtx0?t=576


 ここで、それまで喧嘩していた全人類の神々は協力するシーンを入れる。そこで最終的に、第五の力に打ち勝つ。

 という大まかな構造になっている。ちなみに、まだまだ物語は終わってないし、第五の力という究極的な敵も死んでない。




 第三楽章の分析


 第2楽章で全人類の神々の戦いが終わると、そこで調和が生まれる。当たり前だが、全ての人類の神話に登場する神々が協力するということは、さらなる文明の進化を意味する。

 つまり新しい文明、22世紀以降の世界を象徴するシーンを、第三楽章に表現することが可能になる。


 これが万物の芸術における第三楽章の意味するところである。


 ・・・ちなみに、私はあまり第三楽章は聴かない。好きなのだが。





 第四楽章の分析


 ここで、時和大学に登場する自送という概念の最終形態、集送という概念が必要になり、登場する。


 万物の芸術における第七部の第四楽章、最終章とは、人類にとって、21世紀という、最後の世紀、そのお別れを告げるための、同時に、22世紀以降の新しい人類の発展を示す、象徴的なシーンである。


 それは集送、つまり、人類にとっての21世紀までのお別れである。



 22世紀以降、時はいとまである


 という時和大学の言葉にもあるように、21世紀を持って世紀という概念は終焉を迎えて、9999(新世界より)を迎えるであろうという事実を、最後の歓喜の歌を使用して、3つの柱である科学と宗教と芸術を統合し、人類史上最高のピークとともに、知らせるというわけである。


 最後のシーンでは、まず、人類全てのバトル系の作品、つまり、アメコミの集大成であるアベンジャーズ、日本の漫画などの文化の集大成ジャンプとか、これまでの全ての文化的表象の集大成をさらに高次元に集大成化して、一つの神殿に集まらせるのだが、そこで最後の最後に、


 ここを参照に

 Beethoven, Neunte, "Ode an die Freude", Pape, Kaufmann, Meyer, Schwanewilms

 https://youtu.be/jPNeJeZ3ODc?t=415


(神殿の周辺に(もちろん、その上にも) 全人類の神話の神々を登場させて、そこで全人類の作品を統合、歓喜の歌を登場させるわけである。





 その少し前のフガートの部分を分析しよう


 ここ

 https://youtu.be/jPNeJeZ3ODc?t=397

(ベートーヴェンは、歓喜の歌のピーク前に、意識的に、意表をつくような、そんな意図をもたせた。ここで、もう一つの存在を入れることが出来るように、ベートーヴェンは図らっておいたのだ。そこで遂に、神々を登場させ、宗教(神々)と世俗(人間界)を融合させるというわけである。これは既に私が999話の双送式で、原型を紡いでおいたので、理解しやすいはず(既に、準備していた市民たち)




 歓喜の歌とは、シラーの詩であり、それは既に集大成的な作品である。


 その歓喜の歌(詩の集大成)を使用したベートーヴェンの第九(音楽の集大成)を使用した、万物の芸術の最後の戦い(全人類の神話を集大成化、さらに全人類の科学と宗教と芸術を集大成化)


 というのは、21世紀までの理論上最高の高みである。


 つまり、万物の芸術は、人類史上最高の創造物であり、21世紀までの史上最大の文化的勝利であると同時に、22世紀以降の布石である。


 全ての世紀の扉はファンファーレとともに閉じられていき、

 


 まさにこの部分!

 https://youtu.be/ChygZLpJDNE?t=1484


 これが第九の最終楽章の最終パートの本当の意味である。ベートーヴェンは既に21世紀が統合の世紀であり、それぞれの時代の扉が閉じられていき、そこで最後に9999という扉が開かれることを音楽として表現していたのだ。


(ベートーヴェンは偉大!・・・私が思うに、恐らく、彼は深い難聴でありながらも、第九という音楽の形はあまりにも鮮明に感じられたはずである。なぜならそれは音楽の集大成であるから。彼の才能を考えれば、そこまで作曲自体は難しくなかったはずである。)


(ベートーヴェンはいつも表面的にモーツァルトと対比させられて、作曲が汚いとか、遅いとか、言われるが、ベートーヴェンはただ単に完璧主義者である。これは全くもって彼の作曲能力とは関係ない。むしろ、作曲の複雑さなどを顧みると、ベートーヴェンはとてつもなく早いし、正確である。特に、正直、第九は全ての部分において、全く持って欠点はない。あるとしたら、それは理論上のものであり、ベートーヴェンが原因ではない。よくコーラスの部分でも批判されるのだが、ここも完全に正解である。)




 以下が、万物の芸術の最後の言葉である。


 ・そして、集送が完了した。(21世紀までの科学と宗教と芸術に対して、お別れをするという、象徴的なシーン)


 ここで・・・

 https://youtu.be/ChygZLpJDNE?t=1495


 ・最後に、9999の扉が開かれた。(22世紀以降の新世界へ、ようこそ!)ということ




 終わりに


 丁度200年前の1824年、ベートーヴェンは第九の作曲が終了し、初演を迎えることになった。この偉大なる交響曲はただの音楽ではなく、音楽そのものの集大成であるという事実を認識する必要性がある。さらに言えば、ウィーン古典派の頂点、その最も偉大なる頂に立って、ベートーヴェンが見た光景なのである。


 そして、凛快天逸という、この私が、そのまさに200年後に、芸術家としての才能に気づき、ベートーヴェンという偉大なる作曲家の魂を汲み取って、万物の芸術という、人類にとって、史上最高の創造物を創り上げたのだ。



 よって、


 凛快天逸の父親は、ベートーヴェンである。(万物の芸術の一部、芸術の要素、第九交響曲を丁度200年前に創り上げた。それを総合芸術として昇華して、21世紀までの人類の完成に導いた。)


 凛快天逸の母親は、アインシュタインである。(万物の芸術の一部、科学の要素、統一理論、相対性理論と量子力学の統合である量子重力理論、つまり総弦理論の予言をしたのは今から100年前、1925年である)

(アインシュタインの最後の言葉は、科学と宗教と芸術の融合、つまり量子重力理論のテンソルという神の干渉、調和的なテンソル、凛快天逸である)(ちなみに、これは反証しようもないので、飽くまでも都市伝説的に)


 凛快天逸の祖父は、


 


 *歓喜の歌より


 汝が魔力は再び結び合わせる(1803年改稿)(*ベートーヴェンはシラーの詩に自ら手を加えた)


 時流が強く切り離したものを(科学と芸術と宗教の統合という、シラーの偉大なる慧眼(ちなみに、シラー自身は晩年になって、自作であるはずの歓喜の歌を、若気の至り、かなり浅はかであると思っていたらしい……)


 すべての人々は兄弟となる(21世紀は統合の世紀であり、人類の集大成の世紀である)





 ……要約すると、ベートーヴェンは既に知っていたのである。


 これが、ベートーヴェンがウィーン古典派の頂点、音楽そのものの頂点に立って、見ていた驚くべき光景である。ベートーヴェンは、重度の難聴になりながらも、200年前から既に、宇宙の真理、新しい人類、神話誕生、発展を見ていたのである。





 そしてベートーヴェンは、我々、22世紀以降の新しい人類の神話創生の為に、公式の音楽を遺してくれていた。


 これがベートーヴェン第九交響曲の本当の意味である




 万物の芸術、ベートーヴェン第九交響曲、ドヴォルザーク、9999という数字の本当の意味するところは、21世紀までの科学の集大成である量子重力理論の世界、22世紀の越えた次なる人類の発展、

 

 フォーナイン(新世界より)を意味するのだ。




 何度も繰り返すが、




 A; 22世紀以降、時はいとまである(確実)


 B; 21世紀をもって、世紀という概念は終焉を迎える(???)(これは未だに分からないが、飽くまでも予想として(少なくとも、万物の芸術である9999は、そう主張しているから・・・)



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