第六部対応について・統合的なホログラフィー(Master Holographic principle)
0;まえがき
まるで神の糸、総弦が貫くように、過去と現在と未来は繋がっている。
同じ様に、科学と宗教と芸術も繋がっている。
そしてもし、それら3つの柱が融合して、三位一体が完成したとする。
科学と宗教と芸術の三位一体から生まれるものは、一体何だろうか?
科学と宗教と芸術を越えた先には、一体何があるのだろうか?
1;第6部対応の説明
第6部であるMaster Holographic principleを、一言で表現することが出来る。
それは、実在論である。
そして実在論を一言で表現することが出来る。
それは、現実である。
最後に、実在論を簡潔に要約することが出来る。
実在論とは、繋がりであり、それは現実である。
現実
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E5%AE%9F
実在
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E5%9C%A8#:~:text=%E5%AE%9F%E5%9C%A8%EF%BC%88%E3%81%98%E3%81%A4%E3%81%96%E3%81%84%E3%80%81%E8%8B%B1,%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A0%B4%E5%90%88%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82
実在論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E5%9C%A8%E8%AB%96
”実在論の起源は古代ギリシアのプラトンが論じたイデア論にまで遡ることができる。イデアの理論によれば、感覚することができる世界は実在するものでなくイデアの射影であると考えられた。個々の感覚を理性によって把握することによってのみ実在するイデアを認識することができると論じている。”ウィキペディアより抜粋
洞窟の比喩
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E7%AA%9F%E3%81%AE%E6%AF%94%E5%96%A9
”洞窟の比喩、あるいは、洞窟の寓話(どうくつのぐうわ、英: allegory of the cave)は、古代ギリシアの哲学者プラトンが『国家』第7巻で用いた、「善のイデア」を説明するためのメタファー(比喩)/アナロジー(類比)/アレゴリー(寓話)である。 ”ウィキペディアより抜粋
解説
”洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる[1]。「実体」を運んで行く人々の声が洞窟の奥に反響して、この思い込みは確信に変わる。同じように、われわれが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考える。”
プラトンの洞窟の比喩は、古代ギリシャにおける、実在論に関するテーマの集大成的な概念である。それは永遠の鉱脈であり、古代と中世と現代、そして未来まで、永遠に取り扱われるものである。それは永遠に死に絶えることは絶対にないのだ。
プラトンの洞窟の比喩は、時代とともに、その姿を変えていった。
その例を見てみよう
2;適当に羅列
物理)
20世紀に誕生した量子力学を元にした(21世紀初頭において、未だに不完全な解釈における(コペンハーゲン解釈などに代表される))実在論。
コペンハーゲン解釈
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E8%A7%A3%E9%87%88
他の解釈など
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E8%A7%A3%E9%87%88#%E4%BB%96%E3%81%AE%E8%A7%A3%E9%87%88%E3%81%AA%E3%81%A9
哲学)
水槽の中の脳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%A7%BD%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E8%84%B3
他にもたくさんあるが、省略
文化)
ここも数が多いし、関係性も複雑なので、雑多に羅列
そこら辺=実在論
ウィリアム・ギブスンによるニューロマンサー辺りも、そこら辺。
電脳などの一連の文化も、そこら辺。
電脳などを受け継いて、さらなる普遍性を勝ち取ったマトリックスという映画も、もちろん、そこら辺。
ソードアート・オンラインとかログ・ホライズンとかも、そこら辺に、バトル系とかプラスした感じ。
映画アバターとかも、3Dのそこら辺。
異世界とかも、どうせ、そこら辺じゃね?
まとめると、
それらは全て、紀元前に掘り起こされた、このプラトンの洞窟の比喩に端を発している。それらは全て、実在論に関する文化的な表象であり、永遠なる鉱脈の主流だとみなしても良いだろう。
このように、21世紀まで様々な分野を俯瞰的、連続的に体系化していくと、ある規則性がはっきりと見えてくる。
これから人類はあらゆる発展段階で、実在論に懊悩することになるだろう。あらゆる最新の学説は、これまでの実在性の基盤を揺るがす。そして、人々は仮初の希望を得る。しかし最後には、独立した現実はないと知る。
もちろんだが、これは実在性だけではなく、自由意志もそうである。
これから人類はあらゆる発展段階で、自由意志に懊悩することになるだろう。あらゆる最新の学説は、これまでの自由意志の基盤を揺るがす。そして、人々は仮初の希望を得る。しかし最後には、自由意志は存在しないと悟る。
もちろんだが、これは実在論だけではなく、自由意志もそうだし、他にもあらゆる分野の概念で同じ様に対応する。
4;実在論の最新版
人類が永遠に懊悩しなければならないテーマの一つである実在論の最新版は、量子重力理論において登場した。
紀元前から紡がれるプラトンの洞窟の比喩は、20世紀末の量子重力理論のホログラフィック原理として姿を変えて、再び、人類に登場したのだ。
なのでこれから量子重力理論が、学問の世界から文化に流れ込んでいけば、マトリックスと同じ様にホログラフィック原理に沿って、文化的な表象も形成されていくはずである。
ホログラフィック原理
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E5%8E%9F%E7%90%86
AdS/CFT対応
https://ja.wikipedia.org/wiki/AdS/CFT%E5%AF%BE%E5%BF%9C
Ryu–Takayanagi conjecture
https://en.wikipedia.org/wiki/Ryu%E2%80%93Takayanagi_conjecture
これら実在性に関するものを、一つの永遠なる鉱脈、大きな伝統の流れとして総合的に捉えて、万物の芸術の第六部で表現していく。
5;終わりに
このシーンから万物の芸術の第六部は始まると思う(まだ暫定的)
万物の芸術 第六部 マトリックス エピソード9999「ホログラフィー」
(第六部までの繋ぎのシーン)
「ネオ、起きなさい、ネオ」
「・・・?」
彼は、謎の声に呼び起こされて、目を覚ました。
彼の部屋には、沢山のモニターが立て並べられており、それらの画面には、様々な次元の世界が映し出されている。(ここでそれまでの映像がモニター状に並んでいる)」
(省略)
(さらに進んで)
「(マトリックスではなく)ホログラフィーへ、ようこそ!!!」
そしてホログラフィーシステムが発動する。我々が住んでいる現実世界は、幾つも存在する境界線によって創られていたらしい。なんと、高次元の世界は低次元の境界線から記述されていた。
そんな恐ろしい現実の可能性に、彼は受け入れることは出来なかった。
「馬鹿な、あり得ない!」




