万物の芸術における全行為等価性について
0; まえがき
Q;(万物の芸術において)一言で人類を表現すれば?
A;(万物の芸術において)人類は、科学的、宗教的、そして芸術的に、調和している弦の交響曲である
Q;(万物の芸術において)一言で宇宙を表現すれば?
A;(万物の芸術において)宇宙は、科学的、宗教的、そして芸術的に、調和している弦の交響曲である
1;万物の芸術の中で、科学と宗教と芸術を同等として扱う事に対する疑問
万物の芸術において、科学と宗教と芸術という3つの柱が同等と扱われる。物語が進んでいけば、それら3つの柱は、完全に融合して、三位一体として完成する。
そこで自然と、こんな疑問が生じるはずである。
どうして3つを同等に扱うのか?
科学と宗教と芸術は本来、異なる分野ではないか?
それらを繋げることは、矛盾ではないか?
という疑問や意見が自然と出るかもしれないが、全行為等価性をちゃんと万物の芸術の中で表現すれば、全く問題ない!
2;全行為等価性についての説明
全行為等価性とは、人類のあらゆる行為が、本質的には全て同じであるという事実の証明のようなものである。
原子論から始まった古代ギリシャの考えは、20世紀で栄華を極めた素粒子理論まで続き、21世紀に到達して、大きな転換点を迎えようとしている。
原子論と素粒子論は0次元の点なのだが、既に、その理論ではさらなる高次元の理論に通用しなくなっているのである。ここで根本的な基本概念の修正が必要に迫られる。
弦理論(総称)において最も基本的な物体は、弦である。
弦理論(総称)というのは、紀元前辺りを起点とする原子論から進化し、弦という高次元の物体を基礎とする、最も自然な延長線上にある理論であり、必然的な人類の科学の発展である。
もし弦理論が証明されたのならば、21世紀において、再び、偉大なる統合の示唆がなされる
もちろん、以下はかなり幼稚で表面的な共通点であるが、それでも万物の芸術的には問題ない。
科学)弦 = 科学、科学理論 = 科学者も、科学理論を使って糸を紡いでいる
宗教)弦 = 思想、宗教理論 = 宗教家も、宗教理論を使って糸を紡いでいる
芸術)弦 = 芸術、芸術理論 = 芸術家も、芸術理論を使って糸を紡いでいる
というように、
再び、紀元前以来、時流が切り離していった3つの分野が交差を見せるのである。
繰り返すが、もちろん、これはかなり幼稚で、表面的な共通点であるが、それでも万物の芸術の中で、説得力のある表現に昇華できるので、特に問題はない。
4;終わりに
しっかりと、物語の中で全行為等価性を証明すれば、3つの分野を同等に扱うということに問題は生じない。
そして、科学と宗教と芸術が本質的には等価であるという、全行為等価性をしっかりと万物の芸術の中で表現することを忘れないように!