10)無頼者v.s.保安官見習い
「いらっしゃいませ。すみません。気づいて無くて」
「いいさ。お邪魔するよ。無頼者の噂を知らせにきたつもりだったが、もう聞いてたんだな」
大柄な保安官のジョーが豪快に笑う。
「はい」
「聞いていてあまり気持ちが良い話じゃないが、どこにでも困ったやつはいるさ。渡人局の青行灯から人相書きが回ってきた。隣町の保安官の一つ目入道の話じゃ、どうもこの町に向かっているらしい。鎌鼬の兄弟も、この町に続く山道で見かけたと言うから、間違いないだろう」
保安官のジョーは、眉間に深い皺を刻んでいた。
「色々困り者みたいですけど、俺は噂を聞いただけですし。本当はどうなんですか」
噂だけで他人を判断してはいけないというのが両親の口癖だった。実際、永遠の乙女心の持ち主を自称していた厨二病の母親は、腐女子なのにご近所さんたちから綺麗で素敵なお母さんねと言われていた。母は腐女子ですとバラさなかった自分を、タカはそれなりに親孝行な息子だったと思っている。
「タカが聞いた噂がどれか知らんが。隣町では子供を脅して食べ物を巻き上げたし、仲間が店先を壊した後にやってきて、用心棒をさせろとか、前にこの町に来たときは食い逃げとかっぱらいをしたからな。酷いもんだぞ」
「じゃぁ、噂の通りですか」
タカはため息を吐いた。
「真面目に仕事やりゃいいだけっしょ」
ビニール傘の相棒が正論を口にする。
「俺もそう思うが、それをやるのは本人だ。まともなやつなら、やれと言われなくてもやるだろうさ。忠告してやったところで馬鹿はやらないから、何を言っても無駄だ。頑張ってるやつもいるから余計に腹立つがな」
保安官のジョーの言葉に、店中の全員が頷く。
反抗期吸血鬼は、最近保安官のジョーに弟子入りした。夕暮れ時から猫又姐さんの店を手伝い、夜になったら保安官のジョーに代わって夜の町の見回りをしている。
「タカみたいに仕事すりゃ良いんですよ」
「あの吸血鬼みたいに素直に頑張ればいいのに」
ビニール傘の相棒の声とタカの声が重なった。
「え? 」
「ま、お前も俺もこの町の一員ってことさ」
戸惑うタカの肩を、保安官のジョーが励ますように叩いた。
タカが妙な連中が来たらどうしようと心配している間に、何事もないまま夕暮れ時になった。タカたちは、いつも通り店を塗り壁に任せて猫又姐さんの居酒屋に繰り出した。
「いらっしゃいませ」
迎えてくれるのはあの吸血鬼だ。仕事をして貯まった福で先日の浴衣のお代を支払った吸血鬼は、保安官のジョーとろくろ首にお礼の品を贈った。
「似合ってるね」
吸血鬼が着ているのはタカが適当に見繕った浴衣ではない。
「ありがとうございます」
保安官のジョーとろくろ首が、吸血鬼に一人前になった祝いだと贈った浴衣だ。悪臭とともに町に現れた吸血鬼だが、今は皆に受け入れられている。
「お、着てくれてるのかい。似合いだねぇ」
ろくろ首の満足そうな声がして、煙管の煙がふわふわと吸血鬼の浴衣にまとわりつく。
「最近の若いもんも捨てたもんじゃないねぇ」
ろくろ首の言葉に、店に集う異形の妖たちが頷く。ここでは、齢百年を越える吸血鬼も若者扱いだ。ようやく二十歳になったばかりのタカなど赤子同然だろう。
タカが、猫又姐さんご自慢の煮付けに箸を伸ばしたときだ。
乱暴に開かれた引き戸が、けたたましい音を立てた。
「何か御用でしょうか」
吸血鬼の挨拶が余所余所しい。相手が町の住民ではないと察した店内から、ざわめきが消えていく。
「おや。見慣れない顔だね」
ろくろ首の吐いた煙管の煙が、突然現れた薄汚い連中の顔にまとわりついていた。
「何者だい、あんたら」
「なんだこの煙。うっとおしいな」
ろくろ首の言葉を無視した新参者たちに、静まりかえった店の客たちの視線が集まった。
タカが知らない連中、全員が人間だった。タカがこちらの世界に来てから、こんなに沢山の、といってもたかが三人だが、をまとめて見たのは初めてだ。
「何者だい、あんたら」
ろくろ首が同じ言葉を口にした。
「うるせぇ馬鹿野郎」
男が喚き、引き戸を叩いた。
「小汚い上に、騒がしいねぇ」
ろくろ首の口から、一段と濃い煙管の煙が漂いでた。
会話が成り立たないことに、苛立ったのはタカだけではなかったらしい。
「渡人の群れか。名乗りも出来ねぇたぁ、こりゃまた珍しい」
番傘の親分が傘を閉じた。いつでも相手を殴れるようにという準備だ。
「け、化け物の店か」
三人連れの言葉に、店の雰囲気が変わった。今までタカが経験したことのないくらいの緊張感が、店の空気を満たしている。
「挨拶も出来ない小童の渡人風情が何やらうるさいねぇ」
ろくろ首が吐く煙管の煙が、三人の足元を取り巻いていた。あたりの床が淀んで見えるのは、タカの気の所為ではないだろう。無頼者だという囁きが、店のあちこちから聞こえてくる。
タカの眼の前にいるのは、文字通りの無頼者だった。この世界は化け物の世界だ。店の客が化け物なのは当たり前で、タカのような人間は化け物たちの好意で店に入れてもらっているだけだ。
「何か御用でしょうか」
吸血鬼の声からは感情が消えていた。既に日は落ちてあたりは暗闇に包まれている。店内を照らしている釣瓶火や提灯火が陰ったような気がして、タカは周囲を見渡した。
「何だてめえは? 」
無頼者たちは、何も気づいていないらしい。
「この店の店員でございます。何か御用でしょうか」
少しずつ店内が暗くなっていく。タカの耳に、夜なら僕、色々出来るんでという吸血鬼の言葉が聞こえた気がした。そういえば、大蒜とか唐辛子は大丈夫なのだろうか。頭に浮かんだ余計な考えをタカは追い出した。
吸血鬼は、この街の保安官見習いとして頑張っている。そんな吸血鬼の弱点をあれこれ考えるなんて、失礼なことをしている場合ではない。
「あ、そこにいるの、お前、人間じゃねぇか」
無頼者の一人が、タカを指さした。
「お前、人間だよな。なにこんな化け物だらけの異世界で化け物に馴染んでんだよ。せっかく異世界にきたんだ。電気もねぇ遅れた連中に混じって馬鹿かお前は。適当にやって、どかんと一山あてようぜ」
馬鹿野郎と言いかけてタカは止めた。幾つもの町を追い出されて来た連中だ。言ってもわからん奴に言うだけ無駄だと父親は言っていた。前の町でも保安官に追い出されたような連中に、赤の他人のタカが、何か言ってやる義理はない。
「何だてめぇ。無視しやがって、舐めてんのか」
「何だとぉ! 」
無頼者の挑発にのったのは、ビニール傘の相棒だった。
「待て」
タカは、飛びかかろうとしたビニール傘の相棒を止めた。
「言わせておけばいいさ。負け犬の遠吠えだよ」
タカの口からついつい本音が飛び出てしまった。
「何だと、てめぇも化け物の仲間かよ。腰抜けが」
どうやらタカの一言は、火に油を注いでしまったらしい。
「へぇ。自分で負け犬って認めるんだ」
タカの口は、タカが思っていたより正直だった。三人揃って虚を突かれて言葉を失ったのか、口をパクパクさせているのが痛快だ。
「そうっすね」
ビニール傘の相棒が、タカの隣に収まった途端だ。
「てめぇ、使い捨てのビニール傘のくせに、生意気に文句つけんじゃねぇよ」
無頼者はどうやら、タカよりも余計なことを言う口の持ち主らしい。
「何だと! 」
「ほう。てめぇらよほどずぶ濡れになりてぇみたいだな」
ビニール傘の相棒が叫んだが、番傘の親分のドスの効いた声にかき消された。
「どなたか存じ上げませんが、荒事はいけませんよ」
吸血鬼の声を馬鹿にするかのように三人が鼻を鳴らした。虚勢を張っている無頼者たちは、腰近くまで薄暗い闇に覆われている。店内の闇も少しずつ濃くなりつつある。こちらに背を向けている吸血鬼の瞳は、赤く輝いているだろう。
「御用が無いのでしたら、お引取りいただけますか」
吸血鬼の静かな声に、三人を取り巻く闇がますます濃くなっていく。ろくろ首が淡々と吐き続ける煙管の煙が、店の闇を取り込みながら無頼者たちの足元へと漂い、ゆっくりと腰から上へと上っていく。三人の姿は、煙ごと闇に溶け込みつつあった。
「何だとてめぇ」
一人が拳を振り上げた。どうやら自分たちの身に起こりつつあることに気づいていないらしい。
「暴力はいけません」
「小童どもが」
ろくろ首から闇そのもののような煙が吐き出された。吸血鬼の背には蝙蝠のような羽が現れ、闇そのもののような煙に三人が包まれた。
「お引取りください」
「失せな」
吸血鬼とろくろ首の声が重なり、闇が晴れた頃には、三人は床に仲良く寝そべっていた。




