第8話 ただいま我が家
「お父様、お母様、お姉様」
ちょっと声が上ずってしまうのは許してほしい。
「リヴァルウェン家が次女、アンネヘルゼ・リヴァルウェン、ただいま戻りました」
カーテシーを誰かに披露するのも久々だ。
「アンネヘルゼ」
3年ぶりのお父様の声は優し気で、それだけで少し泣きそうになる。
「お帰りなさい、アンネ」
お母様の声は少しかすれている。
「アンネ!」
私の両手をためらわずに握ってくださったお姉様の手は、少し震えているけれど、とても温かくって。
「お帰りなさいっ!」
お姉様の目から涙があふれるのを初めて見た気がする。
ずるいですわ、お姉様。せっかく我慢していたのに。
泣いている私たちを控えめに抱きしめるお母様の温もり、優しく頭を撫でてくれるお父様の温もり。ああ、泣きたくはなかったのに。凛々しく成長した姿をお見せしたかったのに。
「……皆様、お嬢様をいつまで玄関に立たせておくおつもりですか。さ、部屋にお入りくださいまし」
どのくらい泣いていたのだろうか。少し張りつめていた雰囲気が、私たちの涙で温かいものに変わっていた。
メイド長のリーナも変わっていないようだ。あきれたような顔をしながらも、その目は優しい。
ついに、ついに、帰ってきたのだ。3年ぶりに、我が家に。
◇◇◇
応接室には、私の好きだったお菓子が並んでいた。
お母様は恐る恐る私を抱きしめてから、ちょっと泣いた。
お姉様は、今年で12歳になるはずだから、学園に入学されたはずだけれど、私のために帰ってきてくださったようだ。少し大人っぽい雰囲気までただよい始めている。さすが未来の悪役令嬢。猫目も金髪ドリルも健在だ。
まだ3年というべきか。もう3年というべきか。大きなお屋敷は、私がお姉様と駆け回ったころのままのはずなのに、色のほとんどない碧の塔で質素な生活していた私には、なんだか長い夢から覚めたような感じがする。
もちろん、変わった部分もいくつかある。
そのひとつが、家族や使用人が首や腕に着けている金色の石。
これは、いわゆる魔道具で、精神魔法が使えない人が、心を読まれないようにつけるものだ。1年くらいしか使えないものだし、1個1個がかなり高いものだと塔で習った。
「アンネ、君のことを信用していないわけではないんだ」
横に座ったお母様とお姉様は、お父様のお話の最中ずっと私の手を握っていてくれた。
「だけど、アンネ、君に聞かせたくないことがこの世界にはたくさんあるんだ」
初期教育を一応は終えたとは言っても、いつ自分の心の声が読まれているか分からないとなると、使用人も働きづらいだろう。親としても9歳の子どもに聞かせたくない話もあるだろうし、お父様の仕事の都合上、知られてはまずいことも多いはずだ。(そもそも、もともとお父様は、守秘義務だとかの関係で、王宮からこの魔道具を支給されていたらしい。)
きっと、私の魔力を封じる魔道具を買う方が安かったはずだし、もっと簡単だっただろう。実際、学園ではそういった魔道具を付けることとなると教わった。
ただ、成長途中の子が家の中でもずっと魔道具を付けるとなると将来の魔法の成長を阻害したり、かえって魔法が暴走するおそれがあるともいわれている。だから、私の魔法が成長するのを止めてはだめだ、とお姉様がお父様に強く迫ってくださったらしく、ひとまずはこの魔道具を周りが使う、と決まったそうだ。まあ、お金に余裕はあるので。
「わかってくれるかい?」
「ええ、ありがとう。お父様」
ああ、私は本当に恵まれている。心の底からそう思った。
「それと、もうひとつ、伝えておかなければならないことがある」
もうひとつ、私がいない間に変わったこと。
お父様が手元のベルを鳴らす。
攻略本を携えた「予言者」の私は、知っていた。「彼」がこの家に来ることを。
「まだ公表していないことなんだが、アンネ、君に1つ年下の弟ができる」
見知ったメイドの後から見知らぬ小さな男の子が入ってくる。
リヴァルウェン公爵家に多い金髪に、初代リヴァルウェン卿の目の色と伝えられる真っ赤な瞳。
「アンネヘルゼ様、お初にお目にかかります。ルーウェンと申します」
正規の攻略対象、宰相の息子、義姉の悪役令嬢に実の家族を奪われ、常に微笑みを浮かべながらも復讐を心に誓い、バッドエンドルートでは我が家を破滅させ、自らも破滅することとなる少年。
お姉様の体が、強張ったのを感じた。
お読みくださりありがとうございます。
次回は、11月19日22時に投稿します。