第15話 攻略対象者ラウルは、シスコンである
*24/4/27 細かい表現を訂正しました。
私たちを乗せた馬車は、初等部の各寮を通り過ぎ、最奥に存在するSクラス専用の寮の前に到達した。
前とは言っても、正確には門の前で、そっから先には、さらに小さな広場というか西洋風の庭が広がっているんだけれど。
「お嬢様、本当にお加減が」
「いいえ、大丈夫よ」
自分でも顔が強張っているのは分かるが許してほしい。
学園前の広場から高速馬車で約30分の距離を走る間、師匠は、高速で、一方的に、私の心にだけ向けてラウル兄さまの話をした。
そんでもって、5分前くらい前に、師匠は颯爽と消えていった。
師匠が消えると、眠らされていたシャネルが、自分が眠らされていたことも気づかないまま意識を取り戻し、今に至る。
そうだよね、さっきまでドキドキワクワクしていたのに。いやあ、だめだめ、貴族たるもの仮面を被らねば。
すー、はー、すー、はー。
ちょっと大げさなしぐさで息を吸う。
横でずっと沈黙したまま座っていたルーウェンは、まだ何も言わない。
「アンちゃん、酔っちゃったの~?」「大丈夫~?」
師匠だけが呼んでくる愛称を、どうやら妖精たちは気に入ってしまったようだ。
一応、高位貴族なので、さっきみたいにフルネームで呼んで欲しい。人前で、そんな呼び名をされるとはずかしすぎる。
「いえ、大丈夫ですわ」
さっと扇子で口元を隠し、目元だけでほほ笑む。
うん、いける。大丈夫。
「お嬢様……」
ごめんね、シャネル。あと、一瞬眠らせちゃったのもごめん、いつかちゃんと師匠を一発殴っとくから。ふー。平常心、平常心。
「じゃ、案内しちゃうよ?」
「荷物は、二人の部屋に送っちゃうよ?」
「ええ、お願いしますわ」
さっきと同じようにドゥが手を一振りしたら、荷物が消えた。
「ここが、Sクラスの生徒の特権のひとつ、エトワール寮」
「他のクラスの子たちは初等部と高等部で別々の敷地にあるんだけどね、エトワール寮は選ばれし者の寮だから1つなの!」
よく分からない理屈である。
「エトワール寮はね、王家直属の特別な魔法師が、ひとりひとりのためにお部屋を作ってくれるの」
「優秀な成績を収めたら、最大5つ、部屋を増やせるの」
その特権、いるのか?乙女ゲームの攻略対象はほとんどがSクラスの生徒だけど、まあ、なんかで使うのかな。
「あ、お迎えの人が来たみたい!」
「学園で必要なものは全部部屋にそろっているから、あとで確認してね!」
「「入学、おめでとうございます!」」
二人が、ぱっと馬車の扉を開く。
桜の花びらのようなものが、私たち3人に降りかかる。気が付けば、地面に立っていた。
妖精たちの姿はもう見えない。ここまでが彼らの仕事なのだろう。
「アンネ……!!」
「ふぎょっ」
懐かしい香りがする。そう、アンズの香り。
私が8歳の誕生日、癖が強い髪の毛を気にしていた私にラウル兄さまがくれたヘアオイルの香り。
もう2年は使っていない、その香りが、彼から……。
《ラウル兄さま……》
ふとした心のつぶやきは止められない。
そして、彼も最高レベルの精神魔法の使い手。
ふっと笑ったその顔で、心を読まれたことが分かる。
長い銀髪に金色のリボンがたなびく。
すっと、彼が離れた瞬間、紅い火花が飛ぶ。ルーウェンの魔法だ。
「姉様から、離れてください」
私の半歩手前に体を押し込み、腕のリングを解除しようとしている後姿は、まるで猫が威嚇しているかのよう。
だが、何をしても、その行動はきっとラウル兄さまに読まれてしまう。特に、ルーウェンは、よく考えて動くタイプだから、相性が悪い。
「失礼、従妹たちと会えるのを楽しみにしすぎていたもので」
ここでは、私たちは皆初対面ということになっている。実際、この二人は初対面だ。
目の前で炎の剣を出されても、ラウル兄さまの視線はじっとこちらに向けられている。
「私は、ファリオット公爵家の次男、ラウル・ファリオット」
いい子ちゃんの外面を被っているのは、ルーウェンも同じだが、ラウル兄さまの表情の作り方は、優等生というよりも、どこか儚げで、中性的な美が漂う。
「私の母と、リヴァルウェン公爵夫人が姉妹であることは知っているね?」
14歳になったはずの彼の美しさは、ミステリアスな雰囲気と相まって、どこか危険なにおいがする。
「ええ」
ルーウェンの手を下げさせる。反射的に魔法を繰り出すタイプではないが、よほど焦ったのだろう。
大人しく、半歩下がってはくれたが、まだ警戒モードは抜けていない。
この一家は叔父といい、どうしてこう……。いや、今は、初対面の挨拶だ。
「お初にお目にかかります。リヴァルウェン公爵家が次女、アンネヘルゼ・リヴァルウェンでございますわ。学園の後輩として、ご指導のほどよろしくお願いいたしますわ。」
「お初にお目にかかります。ルーウェン・リヴァルウェンと申します。姉ともどもよろしくお願いいたします。」
いつもより声が低いが、ひとまず、ちゃんとルーウェンも挨拶をしてくれたことにほっとする。
さて、この後どうするか。てっきり、お迎えはお姉様が来てくださるものと思っていたのだが。
「ローゼリア様は、高等部の入学式の打合せに行かれているので、代わりに私が」
ああ、そうか。3つ上のお姉様は、今年、高等部に入学する。つまり、同じく新入生。
そんでもって、お姉様は、めちゃくちゃ優秀につき、王太子と同学年であるにもかかわらず、今年の入学生首席らしい。鼻が高い。
「私の方が学年は2つほど上ですが、せっかく年齢も近いことですし、どうか私のことは、本当の兄のように思ってくれると、嬉しいな」
突然のタメ口、そんでもって真っ白な肌にちょっと朱が差す。斜め後ろにいたシャネルが若干よろけたのを感じる。わかるわかる。えぐい破壊力よね。
「あり」「ありがとうございます」
弟よ被せるでない。ラウル兄さま、弟にそんな冷たい視線を向けないで。
「ですが」
すっと弟が息を吸い込む。
「お姉様は、お父様と、家族以外の男性には近づかないと約束しておりますので」
うっ。そうなのです。精神魔法の使い手として、よくない付き合いは国に対して害となりうる、というのがお父様の持論。これには、お母様だけでなく、お姉様と弟まで同意してしまい、守らざるをえなくなった。
今度の約束は、守ってくれる?っておっしゃったときのお姉様のお顔は忘れられません。
だけど、それってそんな大っぴらに言うものじゃないよね?
「お姉様に御用がおありの際は、必ず、私を通してください」
ルーウェンに対するラウル兄さまの視線がさらに冷える。こわいよぉ。
ルーウェンもラウル兄さまをまっすぐ見返している。
「……そう」
ふんわり。ちょっとどこか困ったようにラウル兄さまがほほ笑む。
緊張した雰囲気が、とたんにふっと緩む。
「それは、ちょっと寂しいけれど。……じゃあ、今から二人を一緒に案内するのは、許してくれる?」
こくんと顔を傾ける。あー。美。
ルーウェンも拍子抜けしたようで、「まあ、それくらいならば」などともごもご喋っている。
うん、少なくとも現時点では、ルーウェンはラウル兄さまにはいろんな意味で勝てなさそうだ。
◆◆◆
ラウルを筆頭にそびえたつ寮の玄関へと向かいながら、アンネヘルゼは、そっと手汗をぬぐう。
あー、弟よ。私は、君が心を読める側の人間じゃなくてよかったと今日ほど思ったことはないわ。
アンネヘルゼは、意識的に心の一段奥の階層でひとりごつ。
一緒に過ごしていた頃、確かに、彼の愛情はひしひしと感じていた。
だが、それは基本的に、お互い心の声を読まないように、また、流れ込ませないようにきちんと魔法でセーブしていた状態で、だ。
今、聞こえてくる声は、アンネの無意識状態で読む力が上がったからか、はたまたラウルがわざと読ませようとしているのか。
彼女は、ラウルを視界に入れて以降、ずっと、彼から流れ込む気持ちにさらされていた。
「アンネ、かわいい僕の妹、ああ、アンネ」「会いたかったよ、何度夢に見たことか」「アンネ、ああ、僕のことをもう兄とは呼んではくれないのかい」「アンネ、愛している」「アンネ、アンネ、アンネ、……」
こんな調子で、セリフとねっとりと甘い波が飛んでくる。
もっとも、この常人であれば、恐怖でおののく気持ちを聞いてもなお、彼女は、わりと通常モードだった。
それはおそらく、彼女が転生者であり、前世において、溺愛やらヤンデレやらをテーマとするネット小説に慣れ親しんでいたことが大きいだろう。
彼女曰く、二次元と三次元はちがう。だが、イケメンは正義。
アンネヘルゼの手汗も、ラウルの言葉自体への恐怖ではなく、これが態度に出たら、即刻ルーウェンが公爵に報告して、最悪学園に通えなくなるんじゃないか、という不安から。
馬車であれほど青ざめていたにもかかわらず、現時点でのラウルに対する感想は、<やーん、シスコン全然治ってないじゃーん>くらいにとどまっていた(実際には、会えない期間でパワーアップしたのだが)。
彼女のこのある種楽観的な思考が、物語の進行に吉と出るのか、凶と出るのか。
それが分かるのはまだ先の話。
お読みくださりありがとうございます。