第10話 ああ弟よ、弟よ
ドアが開く。お姉様は素早く姿勢と身なりを整える。
ルーウェンがお姉様の姿を見とめて、一瞬能面のような顔になった、気がした。
「お話し中だったのですね。失礼いたしましたローゼリア様」
姉に対するにしては他人行儀な呼び方。養子と実子との関係って、この世界ではこれが普通なのか?
「何用ですか。挨拶は先ほど済ましたはずでしょう?」
お姉様が私たち家族に向けるのとは異なる声と視線を向けた。これが外行き用なのか。いつの間にか、手には扇子が握られていて、口元を隠している。
わー、悪役令嬢っぽい。
「公爵殿下より、アンネヘルゼ様にご挨拶するようにと言われましたので」
この8歳児、怖いな。こんな「さっさと出てけ」って雰囲気に負けることなく、めちゃくちゃ落ち着いている。あれ、笑顔ってこんなに怖い表情だっけ……。
「そう」
なぜか部屋の主を放置して、姉と弟がバチバチしている……。
お姉様、その扇子のパッチン、パッチン、はわざとですか??
「では、もう戻りなさい」
それで良いわよね?との視線を隣からびしびしと感じます。
「公爵殿下のお言いつけですので」
だからお前が出て行けよって副音声が聞こえる気がします。ひえー。
二人の視線が痛い。なんで二人ともこっち見るの!
……ちょっとルーウェンと話してみたいけれど、さっきお姉様と約束したばかりだし、ここは断ろう、うん、そうしよう。
とかいう迷いは、幸いにもすぐに解決した。お母様付きの侍女のひとりがお姉様を呼びに来たのだ。お姉様が学園に戻る前に、学園でのお話をお聞きしたい、とのことで。
お姉様は、先にこの弟を追い出したそうではあったものの、「お母様をお待たせするわけにはいきませんものね」(アンネも一緒に来ない?)「アンネは長旅で疲れているのだから、早くひとりで休んでね」(アンネ、さっきの約束、忘れないでね)と、退室した。
さて、で、二人となりました。はい。
目の前の一人掛けソファに座らせたのは良いものの。うーん、ちょっとくらい話しても良いよね?
「アンネヘルゼ様?」
紅い瞳が怪しく光る。彼の首にも金の石。いや、心を読もうと思ったわけではないんですよ、ただ、お姉様と要は弟と話しません的な約束をしてしまったせいで、ちょっと目を見づらいだけなの。
「先ほどもご挨拶させていただきましたが、ルーウェンと申します。公爵家の末席に加わらせていただきますこと、大変光栄に存じます。未熟者でございますが、どうぞよろしくお願いいたします」
わー、完璧じゃないか。おっと、無意識に拍手をしてしまった。
「アンネヘルゼ様?」
入室時からずっと美しいというか作り物めいた笑顔を浮かべていたのが、私が突然拍手したせいか、一瞬、それが崩れた。でも、それもほんと一瞬。君、私よりよっぽど貴族に向いているよ。うん。
……じゃなくて。
「えっと、ご丁寧にご挨拶ありがとう?」
疑問形になってしまった。またちょっと不思議そうな顔をされた。
「あー、えー、アンネヘルゼです。こちらこそ、よろしく」
いや、貴族生活は久々すぎるし、外の人と初対面でどうすべきかとかわかんないんだよ。
「弟ができるだなんて思っていなかったから嬉しいわ」
おっと、口が滑った。仲良くなっちゃ、お姉様が悲しむのに。
「ありがとうございます?」
私につられたのかルーウェンも疑問形になっている。ふふっなんだかおかしくなってきた。完璧な貴族の仮面を被っているように見えたけれど、自分を偽って取り入るためにそうしているわけではなさそうだ。
あー、やめようやめよう。もう、どうにでもなれだ。
私の知りたいって思いが無意識的に強すぎたのか、彼の不安や恐怖、悲しみの感情が強すぎたのか、そのペンダントで抑えきれない感情が伝わってきてしまう。こんな幼い子が、それでもその感情を見せることなく貴族の仮面を被っている。それを見て見ぬふりするのは、ちょっときつい。
「ルーウェン、私のことはアンネと呼んでちょうだい」
私は何も読んでないよー、能天気なおバカさんだよー、あなたに害を与えないよー、って笑顔を意識する。
「いつか、お姉様って呼んでくれたら嬉しいな」
もう一度、驚いた顔。そのまま数秒の沈黙。
……引かれてないよね?1歳差だし、おかしなことではないよね??
ちらっと、後ろのシャネルを見る。「いいんですか、さっきのお姉様とのお約束は」って顔してる。うん、そうなんだけどさー。
「あ、いや、無理にってわけではないし、その、ほら、初対面だから、あなたがどうしてうちに来ることになったのかも、私あまりよく知らないのだけれど」
やばいやばい、焦りすぎていらぬことを言ってしまった。
ついに俯いちゃったよ。うおー、私のばかぁ。
「あなたは私の弟になったわけでしょ?それならもう家族なんだから」「家族なのにそんなに他人行儀な顔をされたら、少し寂しいわ」「少しずつでもいいからあなたにとってここが安心できる場所になったらよいなっていうか」「私もしばらく家族と一緒に住めなかったから、こんな大きなお屋敷で、公爵家でってなると緊張しちゃうのも分かるし、いい子にしなきゃってなるのもすごーく分かるんだけど、あ、いや、きっと私よりもずっとルーウェンのほうが不安よね」
あわわわわ。
「……アンネ様」
「はーい?」
「ありがとう、ございます」
さっきまでの美しい笑顔のまま、その瞳からは涙が一筋。
あわあわわわわ。
「えっと」
とりあえず、さっきのお姉様としたみたいに、恐る恐る近づいて抱きしめてみる。8歳と9歳なら、異性でもまだいいよね?
抱きしめた一瞬、腕の中でルーウェンの体が強張ったのを感じる。
「アンネ様、服が汚れてしまいます」
ちょっと鼻声で、ちょっと抵抗しているけれど、なんだか今、彼に一番必要なのは人の温もりな気がする。根拠はないけど!
もうちょっとぎゅっとしてみる。まったくお父様も、お姉様もひどいわ。こんなにかわいい子にどうして「おとうさま」「おねえさま」って呼ばせてあげないのかしら。
あー、いつかお姉様と呼んでくれるかしら。でも、そうするとお姉様になんて言い訳すればよいのかしら。うん、……どうにかなる、きっと!
◆◆◆
その間、存在感を消して壁の一部と化していたシャネルは、「ルーウェン様は声も出さずに涙を流されていて、泣いていることをお嬢様には気づかれないようにされておりました。お嬢様はぷんぷんと音がしそうなお顔のまま、ルーウェン様の頭をよしよしと撫でられていて、まるで本当のご姉弟のようでしたわ」、とその夜、メイド長に報告した。
メイド長はこれを執事に報告し、さらにその報告を受けた公爵は静かに頷く。
リアス王国では、女でも家督は継げる。だが、ほとんどの場合は長男が跡を継ぐし、娘しかいなければ分家から婿養子か養子を迎えている。
では、公爵がルーウェンを養子にとったのはなぜか。
それは、ルーウェンが、リヴァルウェン家の正統な後継者にふさわしい見た目と能力を持っているから、というだけではない。才能ある可愛い我が子たちが最も輝くように、かつ、公爵家に利があるように、と考えた結果なのだ。
ルーウェンを抱きしめたまま、長旅の疲れから寝てしまったアンネはまだ知らない。
ルーウェンルートの悪役令嬢も、義姉のローゼリアである。通常、最大の恋敵であるはずの婚約者の名は、攻略本にはない。
しかし、公爵家の後継者として迎えられた彼には、裏設定として婚約者が存在した。
その名は、アンネヘルゼ・リヴァルウェン。
その魔力の特殊性と強さから嫁ぎ先が限定された愛娘の相手として、公爵はその血を公爵家直系にとどめることを望んだのである。そうして選ばれてしまったのが、公爵家の血が先祖返りで強くあらわれながらも、血縁的には遠く、かつ、近い祖先に精神魔法の使い手がいない彼だった。
だが、このことはまだ公爵家の一部の者しか知らない。仲良くソファで眠ってしまったルーウェンとアンネがこのことを知るのも、まだ先の話である。
お読みくださりありがとうございます。
次回は12月3日(日)22時に投稿します。




