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その4 水の色さえ違うはず

 入部以来、僕は初めて練習をサボった。


 リトルリーグ時代から神童と呼ばれた天才投手、高校入学と同時に一年生ながらエースの座を勝ち取った。それも曽祖父の厳しい指導の下、血の滲むような努力を重ねて成し得たものなのだ。その僕が貴重な練習時間を棒に振った。


 叔父のクリニックから一人で飛び出した亘一朗を方々捜して、やっと発見したのは西日が傾く時刻だった。彼は河原で草むらに埋もれるように膝を抱えて、静かに流れる川面を見つめていた。


「捜したよ」

 近付いた僕に振り向きもせず、亘一朗は夕陽を映してオレンジに煌く波をじっと見ていた。


 亘一朗がカルチャーショックを受けているのは一目でわかった。無理もないだろう、なにもかもが、水の色さえ違うはずだから。

「俺のことは放っておいてくれ」

「そうもいかないよ」

「催眠術で消すつもりなんだろ」

「……」


 もちろん、そのつもりで捜していた。なんとしても元の凰に戻さなければならない。

 しかし亘一朗の背中がとても淋しそうだったので、僕の心は揺らいだ。亘一朗が川面に投げた小石の波紋が、僕の戸惑いとシンクロするように広がった。


「もっと野球をやっていたかった。戦争が俺の夢を、すべてを奪ったんだ」

 ギュッと膝を抱きしめる。震える肩が痛々しく、僕は……、僕も彼の横に腰を下ろした。


「俺が甦ったのは、神様がそんな俺を哀れんで、もう一度、機会をくれたんだ。そうでなきゃ、こんなこと、起こるはずない」

 そうなのだろうか?

 これは彼に与えられたセカンドチャンス?

 でも……。

「それじゃ、消えてしまった鳥居凰はどうなるんだ? このまま人生を奪われてしまうのか?」

 僕の言葉に亘一朗は肩をビクッとさせた。


「現在生きているはずの鳥居凰を犠牲にして、それでも平気なの?」

 残酷かもしれない、でも言わずにはいられなかった。その時の僕は、まず鳥居凰のことを思った。いいや違う、エゴイストな僕は自分自身のことを考えたんだ。彼を失いたくないという自分の気持ちが一番大事だったんだ。


 亘一朗はショックを受けたらしく、しばらく沈黙していた。

 やがて、

「……生まれ変わった俺は、どんな奴だ?」

 と顔を上げた。


 その悲哀を浮かべた瞳にドキッとした。人格は違っても、そこにいるのは紛れもなく鳥居凰だ。こんなに間近で話したことはなかったけど、意外とまつ毛が長いんだ。僕は一瞬、返答を忘れて見とれた。


「なんだよ、ジロジロ見て」

「あ、ゴメン、つい……、そうだな、いつもふざけてばかりの口が悪い奴だけど、なんとなく憎めない、キラキラした瞳を持ってる、不思議な魅力のある奴だよ」

「どう言う関係なんだ?」

「ただのクラスメートよ」

 そう、ただのクラスメート、親しく話をしたことはなかった。


「ただのって眼差しじゃなかったよな、さっきのは」

 僕の心を見透かしたように、意味ありげな視線を送る。

「気のせいだろ、僕は別に」

「隠さなくてもいいじゃないか、男が男に惚れることも珍しくないさ、昔からな」

「……」

 そうハッキリ言われると、どう反応していいかわからない。困って俯いた僕を亘一朗はマジマジと見つめた。


「お前、志摩に似てるな」

 亘一朗は唐突に言った。

「シマって?」

「昔の知り合い」

 そう呟いた亘一朗の顔は、とても優しくて、でも切なかった。まるで遠い昔に――実際そうなんだけど――別れた恋人に思いを馳せているようだった。


「で、クラスメートってなんだ?」

 そうか、横文字はダメか。

「同級生のことだ、特別な関係じゃないよ」

「ただの同級生か、ま、そう言うことにしとくか、その方がこっちも気が楽だし」

 亘一朗は悪戯っぽく肩をすくめた。

「どう言う意味?」

「問題ないだろ、その鳥居凰がしばらく消えても」

「そう言う訳にはいかないよ、彼が別人になってしまったら、色々と問題が……」

「問題って?」

 亘一朗は無邪気に小首をかしげたが、問題山積なのは間違いないところで。


「野球だけやってられる訳じゃないんだぞ、他のことはどうするんだ、80年近くの年月が流れてるんだ、なにもかもが戦前とは違うんだよ。それに、凰の家族もいるんだし、バレたらどうするんだ?」

「……そうだよな、家族がいるんだ、それに恋人だっているかも」

「それはない!」

 即否定した僕を、亘一朗は意味ありげに見て、ニヤッとした。

 なんだよ、その不敵な笑みは。


「ちょっとの間なんだから大丈夫だよ、この体、しばらく拝借したい」

「僕に言われても、勝手に承諾できないよ」

「じゃ、目を瞑っててくれ」

「ええっ!」

 あわてふためく僕を尻目に、亘一朗は立ち上がり、さっさと歩き出した。


「なにも一生なんて言わない」

「どこ行くんだ」

 追いかけようとした時、チラリと振り返った彼の表情は、言いようもなく哀愁を漂わせていたので、僕はまた、なにも言えなくなってしまった。


「帰る」

「どこへ? 鳥居凰の家、知ってるのか?」

「知らん」

「そうだろうな、どうすんだ? そのまま帰ったら、家族に怪しまれるぞ」

「なんとかなるさ」

 かまわず歩き出す亘一朗。


「なんとかなるとは思えないけど……」

 しかし、姿形は間違いなく凰なのだ。前世の人格を宿しているなどと、誰が思いつく? 変に思われるかも知れないが、真相に気付く者はいないだろう。そう願いたい。


 僕は歩きながら、今の時代の情報をかいつまんで話した。とは言っても、とうてい説明しきれるものではない。

 日本が戦争に負けたと知り、亘一朗はショックを受けていた。そして昭和、平成を経て、今は令和になっていること、戦前とは飛躍的に科学が進歩していること、凰の家まで送り届ける間に、すべてが変わってしまっていることは理解してもらえたとおもう。そして、とりあえず、僕以外の人とは極力会話を避けるようにとお願いした。


 そして眠れぬ夜を過ごしたことは言うまでもない。


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