その11 スイッチヒッター?
練習に集中している時は、すべての危惧を忘れられた。
今日は日曜に予定されている練習試合にそなえての紅白戦だった。
守備が終わってベンチに戻った僕にキャプテンは、
「俺が受けてた時より、速くないか?」
納得いかない目を向けた。
「変化球もキレがあるような気がするし」
受けていたのはキャプテンから正捕手の座を奪った亘一朗、2軍相手とはいえ、6回までパーフェクトピッチングだ。
「気付いたか?」
監督が冷ややかに言った。
それは言わないであげて! と僕は心の中で叫んだが、監督は容赦ない。
「お前が受けてた時は、全力投球じゃなかったんだよ、お前、捕れないしな」
「ガーン!」
監督の言葉はキャプテンのプライドを砕いた。続いて、
「気を使いすぎなんだ、有村!」
僕にも矢が飛ぶ、とばっちりだぁ。
「優しいって言ってやってくださいよ、監督」
亘一朗がフォローしてくれたけど……。キャプテンは惨めな気分になったのだろう、青ざめながらガックリ膝を落とし、両手をついてうなだれた。
「練習試合が楽しみだな」
消沈しているキャプテンをよそに、監督は嬉しそうな目を僕たちに向けた。
練習試合の相手は甲子園に出場したことがある強豪だ。亘一朗とバッテリーを組んでパワーアップしたピッチングの力試しには申し分ない。
亘一朗との相性は抜群、投球にグーンと幅が出た。心置きなく全力投球できるし、キャプテンが後逸していた変化球も難なく捕球する。強気で、それでいて繊細な彼のリードが力を120%に増幅する。亘一朗はとても頼りになる女房役だった。
亘一朗の加入は野球部全体の士気を上げ、キャプテンじゃないけど、甲子園も夢じゃないと思わせた。
そうなると僕の心はさらに揺れる。亘一朗とこのままバッテリーを組んで甲子園へ行けたらどんなにいいか、と……。
「やっぱり凰だ!」
その時、ベンチの横から大声がした。
そして、ズカズカと乗り込んできたのは、他校の制服を着た見知らぬ生徒。
「なんだお前は! 勝手に入るな!」
キャプテンの恫喝などスルーして、彼は亘一朗の前に立った。
次の打席はキャプテンはなので、不審者を気にしながらも仕方なく打席へ向かった。
「お前が復活したって聞いたから、見に来たんだ」
見知らぬ生徒を前に、亘一朗はキョトンとしたが、
「誰に?」
話を逸らして、コイツが誰なのか探ろうとしているのだろうか? 鳥居凰の昔を知っているようだ、きっと中学時代のクラスメートかチームメートだろうが……。まずい状況だ、亘一朗が彼を知っているはずない。
「お前のお祖母さんにバッタリ会ったんだよ、俺もこっちの高校に来てるから、俺のこと覚えててくれて、声かけてくれたんだよ」
「祖母ちゃんが?」
「お前がまた野球をはじめたって、嬉しそうに話してくれた」
「あのぉ、積もる話はあるだろうけど、練習中だし、鳥居、次だぞ」
僕は強引に割って入った。
「おお、そうか」
亘一朗はネクストバッターズサークルへ行った。
「さっきから見てたんだけど、凰の奴、左打ちマスターしたんだな」
ギクッ!
凰はもともと右打者だったのか、そりゃそうだよな、右利きなんだし普通は。
「君は鳥居の中学時代のチームメートか?」
部外者の侵入に怒りもせず、しばし黙っていた監督が言った。普段ならこんなハプニングなど許さない鬼監督、即刻追い出してるはずなのに変だと思ったら、凰のことを聞きたかったのか……突然現れた大型新人の力量を、まだ図り切れていないからなのだろう。
「はい、中学時代バッテリーを組んでいた高坂義一です」
ということは、彼は投手か、おかげで名前はわかった。
「鳥居は右でも打てるのか?」
「もともと右打者ですよ、力づくでガンガン飛ばす長距離打者だったんですけど、欲張りだから、スイッチヒッターになれば出塁率が上げられるって言ってたんですよ、あいつ俊足だから」
高坂はネクストバッターズサークルでしゃがんでいる亘一朗に目をやった。
「ほんとにマスターするなんて、器用な奴ですよ」
「そうか、あいつ右打者か」
監督は思案顔で腕組みした。
ここで右打ちを披露したことはない。なにか違和感を覚えたんだろうか?
「でも安心しましたよ、あのまま辞めてしまうんじゃないかと心配してたんですよ」
当然彼も凰が野球から離れた事情を知っているんだ。
「復帰するならまたバッテリーを組みたかったな、でも、今度の練習試合、対戦するのも楽しみです」
「えっ? 君の学校?」
「そうだよ、だから敵情視察ってわけだよ」
「君も1年だよな」
「でも、エースだぜ」
高坂は意味ありげな笑みを浮かべた。
「君のピッチング見てたよ、けっこう速いじゃないか、俺には及ばないけど」
「な……」
「ほう、有村より速いのか?」
監督が肩眉を上げた。
「速いです、負けませんよ、ま、顔は負けてますけど」
顔は関係ないだろ!
「それが本当なら、鳥居が有村の球を難なく受けられたわけだ」
「本当ですって、だから、日曜、楽しみにしておいてください」
なんだよ、この自信満々は、なんかムカつく。
でも、彼は凰に受けてもらっていたのか……なんかうらやましい。
「お帰り~」
そこへ亘一朗が戻ってきた。
「当たりはよかったんだけどな」
しゃべりながらもちゃんと見ていた高坂が笑顔で迎えた。
亘一朗の打球はレフトの真正面だった。
「お前、まだいたのか」
出塁したものの、亘一朗がレフトライナーでスリーアウトになり戻ったキャプテンが、まだ居座っている高坂を睨んだ。
「しっかり偵察させてもらってます」
軽いというか人懐っこい奴だ。
「偵察はかまわんが、いくら知り合いだからって、ベンチは厚かましいんじゃないか?」
「そうですね、すみません」
高坂は頭を下げながらベンチから出た。
「じゃあな凰、日曜、いい試合ができそうだ」
去り際、亘一朗に言った。
「ああ、楽しみにしてるぜ、ウサギ」
えっ? ウサギって誰? 亘一朗はなにを言ってるんだと焦ったが、
「ウサギって言うな! 高校生になってやっとそのあだ名から解放されたってーのに!」
彼のあだ名? かわいいけど……。
「ウサギはウサギ、ピョンピョン」
からかう亘一朗に高坂は真っ赤になった。
「テメーッ、日曜はみんなの前で呼ぶなよ!」
でも……なんで? 亘一朗は知ってたのか? お祖母さんに聞いたとか? それにこの会話、不自然なところはなくて、ほんとに元チームメートって感じだ。
高坂と鳳は元バッテリー、不審に思われなかったようでホッとしたが、守備につく前、どうしても気になった。
「ウサギって?」
「高坂のコウサと義一のギをくっつけて子ウサギ、ウサギとかウサちゃんって呼ばれてたんだ、本人は嫌がってたけど」
「なんで、知ってるんだ?」
亘一朗はフッと寂しそうに目を伏せた。
「鳥居凰の記憶が、ぼんやりだけど見えるようになってるんだ」
「どういうこと?」
「それはわからないけど、もともと脳みそも凰のものだからな、だからテストもクリアできただろ」
亘一朗は視線を合わせずボールを渡して、僕をマウンドに促した。
「……そのうち、俺の意識は追い出されるような気がする」
寂しそうな呟きが聞こえた。




