【短編】“奇妙”な姉妹の、たったひとつの恋
【姉side】
今日もいい天気!
朝日に目を開けた私は、ナイトキャップを外して、絡まることなく現れた銀の髪が背に垂れる感触を感じる。
ナイトキャップをかぶった覚えはないけど、朝起きるといつもきれいに髪が仕舞われている。
ママがしてくれているのかしら。
それともお手伝いさん?
いえ、お手伝いさんが泊まりでない日もナイトキャップは付けてもらえてるから、きっとママね。
後でお礼を言わなくちゃ!
うーん、と伸びをした私は、ダイニングから漂ってくる美味しそうな匂いに、パジャマのままで誘われてしまう。
「おはよう! ママ!」
「おはようジェシカ、パンでいいかしら」
「いつもそれ聞くのね、ママったら。私はいつもパンよ」
「私がご飯だから、つい聞いちゃうのよ」
ママはふふっと笑って、美味しそうなスープと一緒に、私の前にパンを置いてくれる。
私はキッチンの流しで顔を洗うついでに、流しにある調理に使った色々を洗う担当。
ママはいつも「顔は洗面台で洗いなさい。スキンケアもちゃんとしないと」って言うけど、十四歳の私には、まだそんなの必要ないんですー!
スキンケアも、ヘアケアもろくにしたことないけど、私の肌も髪もいつもツヤツヤサラサラ。
私はママ似のこの顔も、綺麗な髪も大好き。
スキンケアもヘアケアも、学園に通い始めたら、周りの女の子にどうしてるか教えてもらって、やってみようとは思ってるけど。
「いってきまーす!」
「気をつけてね」
今日はお出かけ。
私の好きな小説の新刊が出てたって、お手伝いさんが教えてくれたから、それを買いに。
私が好きなその小説は、『海を行く。』っていうシリーズの本で、島国の海辺を一人の男の人が歩いて旅する話。
字ばっかりの本を読むのは苦手だったけど、この本だけは特別。
情景の描写がとっても綺麗で、挿絵まであって、本当にそんな国が実在するんじゃないかって思ってしまうんだけど、フィクションなんだって。
ママはそのシリーズを熱心に読む私を見て、私が読書に目覚めたと思ったのか、私の本棚には気づいたら小説が増えてたりする。
ちょっと見てみたけど、詩集くらいしか読み切れなかったな。
やっぱり私は、『海を行く。』だけが特別で、一番好きだなあ。
この間の巻では、今までで一番長くいた街をそろそろ出るっていう展開だった。
街には仲良くなった女の子がいて、きっと彼女は彼のこと好きだと思うんだよなあ。
お別れ、どうなっちゃうんだろう。
告白して、一緒に行くことになったりして!
天気のいい日に街を歩くのは大好き。
本屋さんまでは少し歩くけど、それも楽しい。
よく街を歩くから、お店の人にも顔見知りの人がちらほらいる。
あ、青果店のおばちゃんだ。
「あら、ジェシカちゃん、おはよう。今日はグリーンリーフが良いものが入ったよ!」
「もー、おばちゃんったら、私は葉っぱは嫌いよ」
「お姉さんと呼びな! でも、そうかい。前は好きだと言っていたと思ったんだけど、おかしいね」
「ふふ、誰と間違えてるの? また、私の【妹】?」
「ああ! そうかもしれないね! あんたたちはよく似ているから」
おばちゃんと笑い交わして、またねって手を振り別れる。
街を歩いてると、私の妹と間違われることがたまにある。
困りはしないけど、知らない人に親しげに話しかけられたときはびっくりしちゃったな。
私は、街を一人で歩き始めるまで妹の存在を知らなかった。
びっくりしてママに確認したら、実は私には双子の妹がいるんだっていうんだから、もっとびっくりしちゃった。
ママがパパと、私が小さい頃に離婚しちゃったのは覚えてるけど、私の双子の妹はパパのところに行くことになったんだって。
小さい頃の記憶ってあてにならないなって、本当にびっくり。
私と妹は、なんとかソーセージって言って、同い年で同じ顔なんだって。
街の人が知ってるってことは近くに住んでるんだろうな。
ママが嫌がるだろうから、パパのところにいる妹に会うことはないだろうけど。
気にはなるけど、覚えてもない妹なんて、他人と一緒。
私にとってはママのほうがずっと大切だから、いいのよ。
本屋さんに着いて、さっそく『海を行く。』の最新巻を手に取って会計に向かう。
「おじさん、これください!」
「はい。ジェシカちゃん良いことがあったのかな? 元気いっぱいじゃないか」
「そりゃあ、『海を行く。』の最新巻が読めるからよ! 早く、早くお会計してよ〜! そこのカフェテリアで読むんだから!」
「はいはい、これだけ喜んでもらえたら、作家先生も嬉しいだろうさ」
おじさんは意味深にそう言って、ちらっと店の奥に視線をやった。
「?」
なんだろうと思いそちらを見ると、二十歳くらいの背の高い男性がいて、ペコリとこちらへ会釈してくれる。
私もよく分からないまま会釈を返しておく。
男性はこの本屋さんの天井が低く思えるくらい、スラリと背が高い。
黒のロングコートは仕立てが良くて、白のタートルネックと合わせて着ている姿はスタイルが良いのもあってとっても素敵。
だというのに、黒い髪はしばらく切っていないのか前髪が長くて目が隠れそうなくらいで、なんだかもったいない。
状況が分からなくて、本屋のおじさんを見ると、おじさんはいたずらっぽく笑っていた。
「『海を行く。』の作家先生だよ」
「え! え!? ええええええ!?」
私は、まさか、と思い手に持つ本と男の人を見比べてしまう。
男性が、少し恥ずかしそうに、その高い背を少し丸めて「お買い上げ、ありがとう」と言った。
+ + +
「ママ! ママ大変! 大変なのよ~!」
「あら、遅かったわね。どうしたの、一から話しなさい。はいはい、落ち着いて」
私は、街の本屋さんで『海を行く。』の最新巻を買ったこと。
そこに作者様ご本人がいらしていたこと。
サインをもらって、一緒にカフェテリアで一緒にお茶をしながら、最新巻を読んだこと。
直接、感想を伝えたことを勢い込んで話す。
夢みたい。
夢みたい。
なんて幸せな日なんでしょう。
作者様であるルーニー様は、本屋のおじさんに勧められるままにカフェテリアへ行ってくださって、私の話す『海を行く。』の感想を、恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに聞いてくださった。
思い出すだけでも本当に素敵だった。
ゆったりと、とても静かにお話しされる姿は、まるで『海を行く。』の主人公その人のようだった。
”こんな身なりも整えていない男が一緒で、君を不快にさせないだろうか。”
心配げに言ってくださったルーニー様。
ここしばらくは、最新巻の編集作業やらで、家に缶詰で髪を切る時間もなかったそう。
そうと分かった途端に、あの目にかかる黒髪だって、ミステリアスな大人の魅力に見えてきてしまうんだからずるい!
今日は発売したばかりの最新巻が店頭に並んでいる様子を確認しに、本屋に寄ったついでに、昔お世話になったっていう本屋のおじさんとお茶でもしようかと言っていたところだったんだって。
”目が悪くなる前に、切らなくてはね。”
そう言って、苦笑いしながら前髪を掻き上げる姿の、なんて、様になること!
当たり前みたいにお茶とケーキもご馳走してくれた。
もう、ずるい!
その日、私はママに急かされたって全然食事が進まず、最新巻だって読み込みたいのに、ドキドキして、数ページ読んではたまらなくなって、ベッドの上をゴロゴロ転がっていた。
素敵!
ああ、ルーニー様!
【妹side】
昨日は早くに寝たつもりでいたのに、なんだか今日は起き抜けから体がだるいような。
もうすぐ月のものでも来るのかも。
まだ月のものの感覚には慣れない。
いつか、慣れる日が来るのかな。憂鬱な気分。
起き上がってみれば、被って寝たはずのナイトキャップはどこかに行ってしまって、髪はぐちゃぐちゃ。
自力で見つけることもできないから、昼前に家に来て家事をやってくれるばあやに、シーツの洗濯ついでに探しておいてもらうよう、お願いしないと。
私の寝相は相当悪い。
髪が傷つかないよう被って寝るナイトキャップも、被ったまま起きられることはほとんどない。
寝ている間のことだから、私にはどうしようもないことだけど、なんだかやるせない気持ちになる。
もう十四歳になったし、少しでも可愛らしい女の子になりたくて、毎晩寝る前にはお母さんが買ってくれた化粧品を借りて、スキンケアもヘアケアもしているけど、こんなに寝相が悪くては、ほら、頬にシーツの跡がくっきり。
「はあ」
「なあに、鏡を見ながらため息ついて。 朝ごはん、そろそろできるけど、あなたはごはんにする?」
「お母さんおはよう。うん、でもごはんは小盛りでお願い」
「はい、おはよう。本当に食が細いんだから。私なんかほら、具沢山のパンよ」
私は洗面台で顔を洗って、化粧水をつけながらお母さんと一緒にダイニングへ向かう。
先にダイニングを通ってキッチンに行ったお母さんが、野菜やお肉をはさんだパンを見せてくる。
朝からあんなに食べられるなんてすごい。
「お母さん、本当にパンが好きよね。私だけのために、毎朝白ご飯を炊かせちゃってごめんね」
「何言ってるのよ、夜のうちにジェシカが洗ってくれるから、私は米に火を入れるだけよ」
「とりあえず、スープ仕上げちゃうね」
私はキッチンでエプロンを付けると、お母さんの隣に並ぶ。
今日の分を温めながら、残り少なくなったスープのストックを見て、あとで作り置きをしておこうと決める。
私の家では、お手伝いのばあやを雇っていて、家事はある程度彼女がしてくれる。
昼前に来てくれるので、洗濯や掃除はもちろん、昼と夜のご飯はばあやにおまかせだ。
朝ごはんだけはお母さんが作ってくれていて、私は朝のスープ担当。
数日に一度、まとめてたくさん具を切って小分けにしておいて、だしもポットにまとめて作り置きしておくから、朝はその中から二人分を温め直すだけだ。
私は、昼間は部屋で仕事をしているお母さんと、一緒にキッチンに立ってたわいない会話ができるこの時間が結構気に入ってる。
朝食を終え、数日分の作り置きを用意してから、私は自室で本を読むことにした。
「あ、買ってくれてる」
昨日は気づかなかったけど、本棚に『海を行く。』の最新巻が増えていることに気づいた。
お小遣いで買おうか迷っていたけど、お母さんが買ってくれていたみたい。
もうすぐ発売だって、本屋に行ったとき店主さんに教えてもらっていたけど、もう出ていたんだな。
後でお母さんにお礼を言っておかないと。
私は早速手に取って読み始める。
『海を行く。』は、新進気鋭の若手小説家が書いた小説だ。
登場人物の心象の描写が丁寧で、主人公が旅の先々で出会う物や人が、まるで共に旅をして目にしているように感じてしまうほど、緻密で繊細な文章で綴られている。
私小説かとも思ったが、作者を知っているらしい本屋の店主さんいわく、作者は若くて、そんなあちこち旅をしてきた人物ではないらしい。
私の部屋の本棚を見ればわかるが、普段の私はミステリー小説や哲学書をよく読み、あとはたまに詩を読むくらいだ。
だけど、お母さんが買ってきた『海を行く。』を読んで、これからはこういったジャンルの本にも手を出してみようかなと思い始めている。
これを読み終わったら、また本屋へ行ってみようかな。
本屋の店主さんは、私が前にお小遣いの残りをにらみながら買う本を吟味していたら、「中古本のコーナーなら、立ち読みしてから決めればいい」って言ってくれた太っ腹な人。
昔から、小説家志望の学生さんなんかにそう言ってやっていたんだって、前に教えてくれた。
私は小説家志望じゃないんだけどって言ったけど、「読んでいつか作者本人に感想を言ってやればいい、そうすれば次の本が出る」って言って笑ってくれた。
本当にいい本屋さんなんだ。
だから私、たくさん勉強して、大人になったらいい仕事に就いて、そしたらあのお店でたくさん本を買おうって決めてる。
待っててね、店主さん。
がっぽがっぽ儲けさせてあげるからね。
「最新巻も読みました。あのシリーズは本当に良いですね。作者のルーニー・ルークは、過去作は出していないんですか?」
私は、読了後の充足感をそのままに、本屋へやってきていた。
お母さんは最新巻をまだ読み終わっていないと言っていたから、ネタバレを避けるためにも、語るならここが一番だ。
今は店内にお客さんもいないようだし。
「うちじゃあ扱ってないな。自費出版した分だけだろうしな」
「では、出版社から出たのは、これが処女作?」
「ジェシカちゃんはたまに渋い言葉を使うな、ハハ。そうだな、処女作だな」
店主さんは何がおかしかったのかアハハと笑っている。
そういえば、さっき帰りに買おうと思って、本屋への道中の青果店で野菜を見てたら、店員さんに「ジェシカちゃんは、苦手な葉っぱは克服したのかい?」なんて言われてしまった。
誰と勘違いされているのやら。
私はいつもあの青果店で野菜も果物もたくさん買っているのに。
もしかして、あれかな。
”もう一人のジェシカ”。
この街にはどうやら、私とよく似たジェシカちゃんがいるらしいのだ。
まあ、私は会ったことがないし、お店の人が背格好の似た私とその子を混合するくらいで、私としては特に困ったこともないんだけど。
名前だって、お店の人がお客さん全ての名前を覚えてるわけじゃないだろうから、その子が本当に”ジェシカ”なのかも分からないし。
きっと一緒くたに覚えられているんだろう。
私は、もう一人のジェシカと間違えられるたびに、私とは正反対の子だろうなと思う。
その子に比べると、私は大人しく見えるらしいから。
私は普通なんだから、たぶんその子が元気すぎるのだ。
家が近いのなら、学園に通い始めれば会うこともあるかもしれないが、それだけ性格が違えば友達になることもなさそうだなあ、なんて。
私が考え事をしながら、本屋から帰っていた、その帰り道。
「キャッ」
「すまない」
すれ違いざま、背の高い男の人とぶつかってしまった。
当たった勢いはさほどでもなかったけど、ぶつかった拍子に私が手を放してしまって、私の持っていた買い物袋が地面に落ちてしまった。
青果店で買ったものが入っている袋だ。
黒いロングコートのその男の人は、すぐにかがんで、買い物袋を拾って渡してくれた。
「中身は無事だろうか、おや? ジェシカさん?」
「え?」
見覚えのない男の人にまっすぐ顔を見て名前を呼ばれ、緊張する。
わ、格好いい人だ。
知的で涼しげな目元のその人は、すごく高い背を丸めてこちらをのぞき込んでいる。
一生懸命記憶を探るけど、こんな人知ってたら忘れないと思う。
「あ、そうか。昨日あのあと髪を切ったから、雰囲気が変わっただろう。昨日会ったルークだ。ルーニー・ルーク」
「え、ルーニー・ルーク、さん、えっ? えっ??」
知っている名前だ。
けれど、記憶にはあるその名前と、見知らぬ男性の正体に、すぐには思い至らない。
そして、男性が不思議そうにこちらを見つめている中、私はあることに気づいて、そろりとカバンから一冊の本を出す。
うまく動かなくなってしまった自分の体を叱咤し、その本の背表紙に『海を行く。』と書かれた題字の下、作者の名前を見る。
”ルーニー・ルーク”
「え? え? え?」
私は、壊れた人形のようになってしまった。
「ほら、その本。昨日読んでくれた、だろう? ジェシカさん?」
それから、お互いに状況を理解するのに、しばらく時間がかかった。
これまで、時々私に些細な不便さを感じさせていた”もう一人のジェシカ”は、とんでもない幸運の女神だったようだ。
彼女は、なんと『海を行く。』の作者、ルーニー・ルーク氏の知り合いだった。
こんなに嬉しい人間違いがあるだろうか。
いや、ない!
そして、そのルークさんはとにかく穏やかで優しい人だった。
若くて格好いいし。
人違いをしてしまったのと、ぶつかってしまったお詫びをと言って、すぐそこのカフェテリアで飲み物をご馳走してくれた。
ま、ま、まるでデートみたい。
「本当にそっくりだ。実は、昨日あちらのジェシカさんともこのお店に来たんだ。さすがに頼むものは違うんだね」
ルークさんはすっかりこの状況がツボに入っているようで、すごく面白そうに笑っている。
普段あまり笑わないのか、少しだけ笑顔がぎこちなく控えめなところも、なんだかグッと来てしまう。
ルークさんいわく、「事実は小説よりも奇なり」らしい。
「わ、私、『海を行く。』のファンで、今日も、作者さまの執筆された他の本がないのか本屋さんに聞いていまして」
「そうだったんだね。すごく嬉しい。サインでもしようか? って、自分から言うのは変か」
「い! いえ! そんなこと! いいんでしょうか」
言いながらも、私は本を差し出す。
「あれ?」
ルークさんが不思議そうな声を出す。
彼の視線を追い、彼の手元、私の出した『海を行く。』の最新巻の裏表紙をめくった位置には、なぜかすでにサインが書かれていた。
+ + +
「お母さん、ルーニー・ルークに会っちゃった」
「ええ! 本当!?」
この反応、間違いない。
あのサイン入りの本は、お母さんが手に入れてきたものだ。
ルークさんいわく、発売日にこの街含めて何か所かの本屋に卸す本には、サインをしたものが何冊かあったそうだ。
先着で買ってくれた人へのサービスだって。
お母さんがそこまでルーニー・ルークのファンだったなんて知らなかった。
サインのサービスは、最近の若手小説家の間で流行っていると、ルークさんから教えてもらった。
私も、好きな本がサイン付きで手に入るなんて知ったら本屋の開店前から並んでしまうかもしれない。
今日会って、私は小説家ルーニー・ルークの大ファンになってしまったから、今後サイン会なんかがあれば、並んででも行ってしまうだろう。
彼と会った私のことを、気になっていそうなお母さんに、私は少し自慢げにしてしまう。
お話したことや、そのいきさつは晩ご飯を食べながら、ゆっくり話そう。
そういえば、もう一人のジェシカのこと、お母さんは知ってるかな。
そこからお話しないとな。
「またお茶したいって言ってくれたし……」
私は独り言ちる。
ルークさんは、私ともう一人のジェシカのことに、興味があるって言っていた。
もう一人のジェシカに会った翌日に、私と偶然会って、こんなの、小説の次の題材にしたいくらい不思議で興味深い出来事だって言ってくれた。
買い物袋を、キッチンにいたばあやに預けて、私は荷物を置きに部屋に戻る。
「ルークさん、素敵だったな……」
正面に座ってお茶を飲む仕草は、あんまり洗練されていなかった。
けど、それが小説家さんって感じで、すごくいい。
外見は王子様みたいにスラっとしていて、切ったばかりだという髪はすっきりして彼の涼しげな表情によく似合っていた。
それなのに、「おしゃれなカフェテリアのカップは持ち手が小さいね」なんて、難しそうに持ち上げているんだもの。
ペンダコのせいだって言い訳するみたいに言っていたのもなんだか可愛らしかったな。
話し方は知的で、落ち着いた大人の雰囲気で、本当にデートしているような気分だった。
「ジェシカー! そろそろ、ご飯にするわよ」
「すぐ行くー!」
部屋でぼーっとしていたら、お母さんに呼ばれちゃった。
今日の寝る前のケアは、いつもより念入りにしよう。
また、ルークさんに会うかもしれないし。
私は、荷物を置いて、本棚にしまうために、カバンから『海を行く。』の最新巻を取り出す。
ルークさんが触れていたのを思い出して、少し顔が熱くなるのが分かった。
私はそっと、裏表紙をめくる。
そこにあるルークさんのサイン。
「あ、ルークさんったら、いつの間に!」
そこにあるサインには”ジェシカさんへ”の文字。
書いている素振りなんてなかったのに、一体いつの間に。
私はその素敵なサプライズが嬉しくて、思わず本を抱きしめてしまった。
私、ルークさんのこと、好きになっちゃったかも。
【母side】
私の娘、ジェシカは二人いる。
同じ体に、二人のジェシカ。
「おはよう、ジェシカ。今日は、パンにする? ごはんにする?」
ジェシカが眠りにつくと、その中身が入れ替わってしまう。
入れ替わらない日もある。
それに規則性はない。
昨日は”妹”で、おとといは”姉”だった。
彼女たちが十四歳だった秋の日、大好きだった父親が死んでしまった。
そのショックで生まれたのが二人のジェシカ。
あれから三年。
あの子はいつまでも、学園入学まで間もなくだった十四歳のジェシカのまま。
はじめは、寝て起きると前日にあったことを忘れてしまっていた。
ジェシカは、死んでしまった父親の記憶がないと言い、彼が遠い昔に出て行ったのだと思い込んだ。
それから徐々に、性格が分化していって、やがて私はジェシカが二人いることに気づいた。
元のジェシカがどちらかなんて、もう分からない。
彼女たちは、自分の入れ替わりに都合の悪いことは理解できず、忘れてしまう。
日付や年齢の話は、彼女を混乱させ苦しめてしまうため、我が家にはカレンダーも置いていない。
それを知っているのは、私と、毎日手伝いに来てくれる亡くなった夫のお母さん。
それから、彼女たちが一人で向かうことの多い本屋の店主にも事情を話して日付の話や、入れ替わりの矛盾を指摘しないようお願いしている。
彼女たちは、連日で作家のルーニー・ルークに会ったと嬉しそうに話していた。
どうか、その出会いが、ジェシカの止まってしまっている時を、動かすきっかけになってくれますように。
私も、夫のお母さんも、ジェシカの幸せだけを願っている。
亡くなった夫、彼だってきっと。
「いってらっしゃい、ジェシカ」
「はーい! 行ってきます! 私、なんだか今日はお肌ツヤツヤなのよ! またルーニー様に会えないかしら」
「まったく。迷惑かけちゃだめよ」
「はーい!」
今日は”姉”のジェシカを見送る。
今日も、あの子にとっていい一日でありますように。
そっと、いつも持ち歩いている手帳から、彼の映る家族写真を取り出して、口づける。
いつか、彼の愛してくれた、大好きな家族の写真が、またこの家の中いっぱいに飾れる日が来ることを願って。
つたない文章を、最後までお読みくださりありがとうございました。
ブックマークや評価など、いただけましたら大変嬉しく存じます。