九
案の定遅くなりました。
感想いただいて少しだけ頑張ったので今回はちょっと長めです。
「英雄アルベルトの再来ね……」
学院の学生寮の一室。
一人で使うには広過ぎる二人部屋。
二段ベッドの下段に横たわり、俺は使用者のいなくなった上段のベッドを見上げていた。
分かっていたことだが、やはりいつも側にいた友人が急にいなくなると寂しいもんだな。
「ロイド……」
昨日の出来事で全てが変わってしまった。
俺とロイドは学院に到着し、入学手続きを終わらせた後、学生寮の部屋へと案内された。
新しい環境に馴染みやすいようにと、同郷の者同士が同じ部屋になるように割り振られているらしく、当然のように俺とロイドは同室であった。
部屋は一人で使うには広く、二人で使うには少し手狭な広さで、家具は勉強机と二段ベッド、服などが収納出来そうな籠のみととても簡素なものだった。
必要なものは各自買いに行っても良いようだが、平民の、しかも孤児院を出たばかりの俺たちに金の余裕などあるわけがなく、暫くはこのままだろうと俺は諦めた。
しかしそんな中でもロイドは明るく喜んでいた。
「すごい!俺たちの部屋だよ!自分の部屋が持てるなんて夢みたいだ!」
「お前はホント逞しいな」
「俺が上のベッドだからね!」
「好きにしろ」
子供が自分の部屋というプライベートスペースを持つことが出来た時の喜びなんて俺はとうの昔に忘れてしまったが、きっと小さい頃の俺もロイドのように喜んだのだろう。
ロイドのテンションが暫くして落ち着いた頃、俺は先程手続きをした時に渡された案内用紙に目を通し終えていた。
学院への手続きが終わればこの後に俺たちがやるべきことは大きく分けて三つ。
一つ、制服や教材など必要な物を受け取る。
一つ、入学式まで怪我や病気のないように体調管理に気をつける。
一つ、魔力測定をする。
最重要なのは最後の魔力測定。
手続きの受付をしてくれた人にも念を押されたし、何よりこれは入学前から知らされていたことだ。
各自五歳の時に地元で魔力測定を行い、その結果を王国に報告することによって学院の入学許可が下りる。
しかし毎年数人は結果を偽装して入学しようとする者がいるらしく、学院はそういった者を弾き出すため、学院に到着次第早急に魔力測定を受けることを義務付けている。
更に付け加えるならば、これによってクラス分けもされるらしい。
学院の所有する測定器は高性能で、魔力量の他に属性の適性も調べることが出来るとか。
火、水、風、土、雷の五つの属性は五大属性とされており、その汎用性、実用性が他の属性よりも高いことからそう呼ばれるようになったらしく、学院の測定器ではそれら属性の適性を色で示すのだとか。
俺とロイドはまず制服と教材を受け取り、自室にて真新しい黒を基調とした制服に袖を通してみた。
少し大きいが、十歳ということを考えればすぐにこれも小さく感じることだろう。
「アル!俺らもこれで漸く魔法士の仲間入りだな!」
「魔法士の卵って辺りが妥当だろ」
「ははっ!それもそっか!じゃあ早く測定行こう!」
「はぁ……」
孤児院を出てから何故そのハイテンションを維持出来るのか不思議でならないが、俺は先走るロイドの後をゆっくりと追いかけた。
測定会場へ至る廊下を走るロイドは段々と小さくなっていき、俺との距離がどんどん離れていく。
それはまるで今後起こり得る俺たちの関係の変化を表しているようで、俺はほんの少し寂しさを感じた。
「いでっ!?」
「いってぇな!?」
「……ん?」
そんな感傷に浸っていると、前方にいたロイドの声ともう一人子供の声が聞こえてきた。
俺は何事かと少し駆け足でロイドの元へ駆け寄ると、そこには廊下に座り込むロイドと男子生徒がいがみ合っている姿があった。
「ごめんって謝ってるだろ!」
「んなもん関係無いんだよ平民風情が!俺様が怪我でもしたらどう責任取るつもりだ!」
どうやら状況を見る限り、ロイドが男子生徒とぶつかってしまったようだが、その相手が少し面倒な奴だったみたいだな。
口振りから察するに相手は貴族のようで、制服の上着の胸ポケットに平民用の制服にはない国章の刺繍があしらわれていることからも確定のようだ。
ならば平民の俺たちでは太刀打ち出来ない。
学院の規則では身分など関係無い平等を謳ってはいるが、そんなものはこの制服の違いからも察せる通りあってないようなもの。
現実は貴族の子女が堂々と歩き、俺たちのような平民は隅を肩身狭く歩かねばならないのだろう。
しかし、この貴族も貴族で相手が悪かったな。
ぶつかったのが俺なら良かったのに、一番厄介なロイドにぶつかってしまった上に口論にまでなってしまうとは。
俺の存在など気にもかけない二人の言い争いを聞き流しながら俺はため息を吐く。
「ロイド、置いてくぞ?」
座ったままいがみ合う二人を横目で見下ろしながら俺はロイドに一声かけてから先に向かう。
それを見たロイドが素早く立ち上がり、俺の後を追おうとする。
「え?ちょ、ちょっと待ってよ!」
「なんだ、逃げるのか平民?これだから平民は弱っちいんだよ」
「なんだと!?」
貴族の少年も立ち上がり、俺を追うために走り出そうとするロイドに向かって挑発した。
こんな安い挑発に乗って欲しくはなかったが、流石ロイドと言うべきか即座に振り返って反応してしまった。
俺は足を止め、もう一度ため息を吐き、右手で軽く頭をかく。
これ以上面倒ごとになってしまうと相手の貴族が可哀想だ。
俺はロイドと貴族の元に戻り、深々と頭を下げた。
「申し訳ありません貴族様。うちの馬鹿が粗相をしでかしてしまったようで。私たちは今入学手続きの途中でありまして、早急に魔力測定に行かねばなりません。後日改めて謝罪をさせていただきたいと考えておりますので、無知な私に貴方様のお名前をお教えいただけませんか?」
「アル!?」
「へー、そっちの方は多少まともな頭してるじゃねーか」
敬語っていうのは苦手だ。
仕事上堅苦しい言葉を使う場面もなかったし、年を取るにつれて使う相手も少なくなって久しい。
朧げな記憶から引っ張り出した適当な言い回しをこちらの世界の言葉に当て嵌めた敬語ではあるが、取り敢えず貴族の少年の気を逆撫でするようなことはなかったらしい。
ロイドは突然俺が変な言葉使いになっていることか、もしくは貴族の少年に対して頭を下げたことか、はたまたその両方になのかは分からないが驚いており、貴族の少年は完全に俺を見下すような口振りで腕を組んで仁王立ちしていた。
「俺様の名はカール・スペンサー。スペンサー男爵家の嫡男だ!覚えとけ平民!」
カール・スペンサー、男爵家の嫡男……ね。
これはスペンサー家も今後が思いやられる。
他人の家に興味はないが、息子の教育方針を間違ったなスペンサーさん。
「平民じゃない!ロイドだ!」
余程平民呼ばわりされるのが気に障ったのかわざわざ訂正して名前を名乗るロイド。
これによって自然とカールにロイドの名前を印象付けられた。
別にカールをどうこうするつもりはないが、使えそうなカードはいくつ持っていても困らない。
平和な生活を求めているだけの俺にはあまり必要ないかもしれないがな。
「はっ!だっせぇ名前だな!」
「なっ──」
「──ストップ」
「ぐえっ!?」
名前を侮辱されて怒りがヒートアップしそうになったロイドの首根っこを引っ張り上げ、ロイドはカエルの鳴き声のように嘔吐いて取り敢えず止まった。
「ではカール・スペンサー様。また後程謝罪に伺わせていただきます」
「ふん、勝手にしろ」
「べー!」
今一度深く頭を下げた俺に対し、カールはそう吐き捨ててから立ち去っていく足音が聞こえた。
頭を上げた俺はカールがある程度離れたことを確認し、舌を出してカールを睨み付けるロイドに向き直る。
「ロイド、先に行っててくれるか?」
「えー、なんでだよー。てかアルさっきから変だぞ?」
「寮の部屋に忘れ物したんだ」
そろそろ脇役は出番が終わる頃合いだろう。
カールというイレギュラーはあったものの、ここから先はロイドだけでいい。
魔力測定が終われば、全てが一変する。
物語の序章が終わり、第一章が始まる。
そうなれば脇役が表舞台に上がってくることは殆どなく、上がったとしても台詞さえない背景としてだろう。
「ふーん、まぁいいや。先に行ってアルよりすげぇ記録出してやるよ!」
「んなもん前から知ってるよ」
恐らくお前より詳しくな。
「それもそうか!じゃあお先!」
「おう」
背を向け、廊下を懲りもせず走っていくロイド。
その後ろ姿が見えなくなった頃、俺はロイドとは逆方向へ歩き出す。
『英雄アルベルトと精霊王』において最も重要な場面の一つに虹色の魔力と呼ばれるものがある。
強くなると決めた少年アルベルトは町を救った男に弟子入りする。
その時に渡された魔力測定用の水晶に少年アルベルトが手をかざした時、水晶は虹色に光り輝いたという。
それが意味するのは全ての属性に適性を持つ証。
それ即ち、精霊王との契約条件也。
「ロイド、お前は精霊王に興味を持たれた時点で、適性が決まってるんだよ」
ま、本とか興味ないお前は知らなかっただろうけどな。
丁度廊下の角を曲がった時、少し大きめの独り言を呟いた俺の視線の先には見覚えのある後ろ姿が見えた。
「あれ?カール・スペンサー様じゃないですか。どうしました?」
歩みを止め、その場に立ち尽くしているカールの背中に向かって俺は先程より崩した丁寧語を用いて話しかける。
俺の声に反応し、カールはゆっくりと、まるでギシギシと音を立てながら開く建て付けの悪い扉のように振り返った。
「今……なんて言った……?」
「何のことでしょう?」
先程見せていた威勢は何処へ行ったのか。
呆然とした表情で振り返ったカールを見て俺は少し笑いそうになってしまう。
「さっきの!あいつが、精霊王にって!?」
もしあの場で直接こいつに言ってもこんな反応はしなかっただろう。
だがこいつは俺の独り言を聞いてしまった。
本来嘘というものは相手があってこそ成立するもの。
嘘を吐く相手がいない、嘘を吐く必要のない独り言において、その言葉の中に嘘は存在しにくく、限りなく本音に近いものとなる。
もし独り言で嘘を吐くような奴がいれば、少し精神的に病んでしまっている可能性があるので医者に診てもらうことをお勧めする。
俺は焦りを見せるカールに向かって笑みを浮かべた。
「まだ、間に合うかもしれませんよ?」
「う、嘘だ……もしそんなことがあれば……」
カールの言葉の後が容易に想像出来てしまう俺にとって、これ以上何かを言うつもりはない。
何より、そろそろ結果が出るはずだ。
頭を抱え、怯えた表情のカールに興味が無くなった俺はその場から立ち去ろうとした。
すると遠くの方から大勢の歓声と拍手が聞こえて来た。
「あ、あぁ……待って……待ってくれぇえええええ!!!!!」
奇声のような叫びを上げながら、カールは自慢であろうセットした栗色の髪が乱れるのも気にせずに俺の横を通り過ぎて魔力測定の会場へと走り去った。
「まるで少年アルベルトを平民と馬鹿にした貴族にそっくりだな」
「ジャック・ネルソン」
「っ!?」
気が付かなかった。
無様に走り去るカールに気を取られていたが、真横に人が近付いて来ているのに声がするまで分からないなんて。
横目で声の正体を確認すると、俺より確実に年上の女子生徒だった。
身長差が年齢差を物語っているし、何より制服のリボンの色が初等科の赤ではなく中等科の青だ。
つまり俺よりも二つ以上年上で、既に精霊召喚を終えている一端の魔法士……。
「もしそうなら、あの子は未来の英雄の好敵手になるわ」
「……そうですね」
長い銀髪に切れ長の目、青く透き通った瞳、白磁のような肌、目鼻立ちも良く、まるで漫画の世界の美少女ヒロインといった感じだ。
黒い制服に映える胸元の白い花弁のブローチも良く似合っている。
本当にこんな美少女が現実にいるなんてな……いや、現実といっても異世界だけど。
そんな風に女子生徒を観察していると、今度は俺に向けて質問が飛んでくる。
「その歳であれを読破したの?」
「え、えぇ……暇だったので……」
「そう」
こんな美少女を前に会話などしたことのない俺は先程から上手く舌が回らず適当な返事しか出来なかった。
そんな俺のつまらない回答に飽きたのか、興味なさげな相槌を打たれてしまった。
『何してんのソフィ!早く行くわよ!』
「っ!?」
「ごめんね、そんなに暴れないで」
急に誰もいないのに第三者の声が聞こえたことに俺は驚き、急いで辺りを見回すがやはり誰もいない。
しかしソフィと呼ばれた女子生徒はさも当然のように右肩の辺りに視線を向け、姿無き声に対して返事をした。
そこにいるのか……?
困惑するしか出来ない俺を見てソフィは小さく笑った。
「ふふっ、今年の新入生は面白いね」
「え?」
「また、入学式で会いましょう」
そう言い残すと、ソフィは瞬きする間に何処かへ消えてしまった。
「精霊か……」
恐らくあのソフィという女子生徒の契約精霊。
姿は見えなかったが、確かにそこにいたのだろう。
まるで白昼夢でも見ていたのかと錯覚するような一時であったが、ふんわりと香る柑橘系の匂いが確かにそこに誰かがいたことを証明してくれていた。
☆
「疲れた……」
部屋に戻ってきた俺は今日一日ロイドが騒ぎまくっていたのに付き合ったせいか、どっと疲れが押し寄せてきた。
どうせ今日はロイドの話で持ちきりになり、魔力測定の会場もてんやわんやしていることだろうし俺は明日行けば良いだろう。
入学式は五日後、まだ全然余裕がある。
俺は制服にシワが付くのも気にせずそのまま下段のベッドに横になった。
すると直ぐに眠気が襲って来る。
恐らくロイドはもうこの部屋には戻ってこない。
英雄と同じ適性の魔力を持つロイドが平民の一般生徒扱いのままな訳がない。
これからいろんな貴族どもがロイドに気に入られるためにあれやこれやと策を練ることだろう。
娘を持つ貴族ならば躍起になってロイドと交際させようとするだろう。
そうしてロイドの周囲にはロイドの力を求める亡者どもが集まって……。
「少し、可哀想だな……」
そこまで思考して漸く俺はロイドの境遇があまり良いものではないことに気付いた。
近寄る者全てがロイド自身ではなくロイドの力、もしくは二年後契約を結ぶであろう精霊王の力を求めてやってくるクズばかり。
誰も一人の人間としてロイドを見ず、ただの魔物との戦いにおける戦力、もしくは最終兵器とでも言うべき存在として見ることだろう。
女は女で優秀な遺伝子を自分の家系に混ぜ込もうと必死になってロイドに擦り寄っていく。
恐らくそこに愛などは存在しない。
そう考えると、ロイドはこのまま進んだとして、幸せなのだろうか。
もしかするとロイドこそあの孤児院でひっそりと、貧しいながらも騒がしく、愉快な生活を送るべきだったのではないかという気がして来る。
──コンコンッ。
乾いたノックの音が部屋に響き渡る。
いつの間にか寝てしまっていた俺はムクリと起き上がり、ドアの近くへ移動する。
「……はい」
寝惚け眼のままドアをゆっくりと開け、外にいる人物を確認するとそこには数人の大人が立っていた。
「ロイド様の荷物を全て渡せ」
「……」
あぁ、もう来てしまったのか。
この命令を聞けばもう俺とロイドを繋ぐ物は無くなってしまう。
そして俺がロイドに近付くことも今後不可能となるだろう。
こんな気持ちになるくらいなら、もう少しちゃんとしたお別れをしておくべきだったな。
後悔先に立たず。
年老いても、これだけはどうしても追い越せなかったな。
「あの……」
「なんだ?」
「伝言をお願いしても、良いですか?」
「良いだろう」
どうせ伝える気なんて鼻からないくせに。
伝言などと言ってみたが、俺は今更ロイドに何を伝えれば良いのだろうか。
自然と口を突いて出てしまったが故に止まれなかった。
だからきっと、心の何処かに俺は何かをロイドに伝えたいと感じているのだろう。
でも、その言葉が見つからない。
それはきっと俺が直接ロイドに言わなければいけないからだろう。
だから今俺の口からその言葉が出てこない。
しかし折角大人達が体裁を繕い、子供の言うことを聞いてくれると言う。
ならば伝わっても伝わらなくても良い言葉を送ろう。
「……ごめんって言っておいてください」
「分かった」
「荷物、用意します」
こうして俺の部屋からロイドの荷物は無くなり、二人部屋が広くなった。