その二
六月の梅雨入り直後の空気は重くて心身ともにひどく気だるい。アパートに帰り就くまでに二人とも息を切らしてしまう程に疲労してしまった。
ろくに掃除もしていない一人暮らしの狭い八畳一間、辛うじて小さな台所と壊れかけたトイレと狭い風呂場のついている築年数五十年近い昭和のワンルーム。
十年ほど住み着いている我が家に帰ると、流石のタケさんも一瞬眉を潜めた様に思われたが、すぐに陽気に笑ってマスクを外すと指先に引っかけてくるくる振り回し、こいつは豪邸だねぇ、等とはしゃいでいた。
まぁまぁ、汚い所ですけど、上がってゆっくりして下さい。
苦笑しかない私に失礼しますと律儀に会釈して、タケさんは靴を揃えて部屋に上がった。
まずは乾杯だ。
私は汚れたグラスを二つ、ササッと流水で洗い清めて一つをタケさんに手渡し、買ってきた一升瓶を素早く開栓した。
トクトクトク。
タケさんのグラスに透き通った液体がなみなみと注がれる。
まぁまぁとタケさんが瓶を奪い取るように持ち、私のグラスにトクトクトクと酒を注いでくれた。
よし。
乾杯。
数秒間、二人の喉を鳴らす音だけが狭い部屋の空間を隙間なく完全に支配していた。
不快指数もメーターを振り切る勢いで上昇している狭い部屋で、たった一台の扇風機が、まるで太鼓持ちの老人みたいに苦し気な唸り声をあげながら壊れかけた首をガクッガクッと旋回させている。
兄さんまぁまぁ。タケさんこそまぁまぁ。
皆様経験した事は有るだろうけれど、飲み会の始めはどこかぎこちなく気まずいものである。
笑顔であぁ旨いなぁ等と言いながらも、どこか手持ち無沙汰なものである。
これが何処かの居酒屋ならば、店の雰囲気についてとか、お品書きのラインナップについてとか、話す種も有るのだけれど、家呑みはどうもそうにはいかない。
隙間を埋めてくれる存在が無さすぎるのだ。
結局は、呑むべし、という安直にしてそれ以外に最適解の見当たらぬ方向へと突き進むより無い。
面と向かって話す話題もなく、不思議に凝った心身を解きほぐさんと、互いのグラスに視線をやり、一寸減る毎にまぁまぁとなみなみ注ぐ。
やがて酔ってくる。
何もかも、どうでもよいというやや退廃的なニヒリズムにも似た空気がいつもの酔いにのせられつつ醸成せられてくるのであった。
気が付けば、私とタケさんは既に外気の暑さとアルコールのもたらす自身の熱との差異をも自覚できぬ程の酔っ払いになっていた。
こうなれば、もう怖いもの等無い。
箸が転がっただけでも、ゲラゲラと腹がよじれぬばかりに笑い転げてしまうのだ。
全くもって、酒は忌々しい猛毒である。
今時の、それこそ令和の若者達は 余り酒をたしなまないと聞くが、それは全くもって正解である。
ただ一時の悦びの為に身体や金銭の損失を代償にするのは断固として虚しい所業である。
けれども、一つ。
酒は弱者の心の親友である事だけは、間違いないと思う。
おじさん達はわざと偉そうにしてみても、その本質は大概弱いものであるから、どうしても酒を呑まなければやっていけないのである。
まぁ薄汚れた酒呑みの微かな世迷い言かも知れない。
呑まずに済むのならば、酒など呑まないに越した事はないのである。
すっかり夜も更けて、やがてゴロリと横になる。
蒸し暑さに寝返りをうちながら、気が付けば朝である。
つまみの皿やらグラスやらは既に台所に運ばれて、きれいさっぱり洗われていた。
タケさんはもういなかった 。
夢だったかなと首をかしげるほど、タケさんのいた痕跡は無かった。
ただ、台所にきれいに洗われて逆さまになっている二つのグラスだけが昨夜の宴をひっそりと証明していた。
一言くらい、有ってもいいだろう。
この部屋のよほどの汚さに辟易として、逃げるように出ていっちまったのだろうか。
私は部屋の窓ガラスに背をもたれて、ぼんやりとタバコを吸いながら一日無為に過ごしていた。
たまにテレビをつけてみても、コロナコロナで鬱陶しくなりすぐに消してまた横になったり、一寸パソコンに向かって仕事をしてみたり、どんよりとした空模様そのままに曖昧なまま一日は虚しく過ぎていった。
日が落ちて、明かりを点けようかと気だるく立ち上がったその時、玄関のインターホンが古ぼけた音を鳴らした。
出てみると、タケさんがニコニコ無邪気に笑っていた。
昨日は世話になったね。実はオイラは住む所がなくなっちゃったんだ。ここんところのコロナのせいもあってね。
迷惑はかけないからさ、ちっとばかしこの部屋の隅っこに置いて貰えないだろうかね。
荷物も、この手提げ鞄一つだけなんだ。どうかな、お願いします。
タケさんはなかなかしたたかであった。狡猾とでも言った方が良いかもしれない。
ペコリと小柄なごま塩頭を下げて、それからこれは昨日の御礼だよと言って一升瓶とビールを六缶、私にぐっと押し付けてきたのだ。