「結婚しよう!」
「一目惚れしました。結婚しよう!」
そう私に言ってきたのは、王子様。
しかも第一王子様。
私の夢は、静かな田舎で農業でもしてゆっくり過ごして、そんなに苦しまないで、家族に囲まれて幸せだったなあって人生を終えること。
王子様相手ではとうていムリである。
「……ナシで」
きっと日頃の疲れで頭がおかしくなったんだろう。後で振り返って、この王子様の黒歴史になるに違いない。かわいそうに。
だから私はその時、その場からさっさと立ち去った。
それで終わりだろうと思っていたのに、王子様は翌日うちまでやってきた。
これでもうちは貴族のはしくれ。だけど、王子様がやってくるようなところじゃない。父も母も真っ青だった。
「結婚しよう!」
王子様という生物は、やはり世の中が自分中心に回っているのだろうか。
だから、私は言った。
「婚約者がいる方とはムリです」
この前、この王子様の婚約が発表されていた。
お相手は、国一番の品もお家柄も良い、素敵なご令嬢。誰もが納得のカップルである。
王子様は目を丸くしていた。
彼女って弟の婚約者じゃなかったのか、とかつぶやいて、なぜかにっこり笑った。
「じゃあ、婚約解消してこよう」
なにを言っているんだこの王子様は。
婚約という契約を簡単に解消なんかできないし、まして王子様の婚約なんてなおさらだって、私でもわかる。
しかも他の女に一目惚れしたから、なんて理由じゃあ、国王陛下にめちゃくちゃ怒られるに違いない。
風のように去っていった王子様を、もう二度と会うこともないだろうと見送った。
ところが二度目がやってきた。いや、三度目かな。
なんと、まさかの婚約解消がなされてしまった。
一体どうなっているんだ、と思うと同時に、これマズくないかなと気づいた。
今回の原因は王子様の私への一目惚れとしても、周りから見たら、私が王子様をたぶらかしたと思われてもおかしくない。だって、一目惚れなんてもので、あの素晴らしいご令嬢が婚約解消されたんだから。
そのご令嬢は、私に会いにきていた。
戦々恐々としていたら、彼女はハンカチを握って言った。
「あの方が選ばれたのなら、私は潔く身を引きます。あの方は、とても重いものを背負われておりますから、どうぞ、支えてくださいませ」
私ではダメでしたから、とはらはらと涙をこぼすご令嬢と、目の前の私。誰がどう見たって、私が悪者だ。
そんな胸の痛い私の気持ちなんてそっちのけで、王子様は笑顔だった。婚約解消してきたよって顔に書いてある。知ってる。
「結婚しよう!」
婚約者がいたらイヤと言うと、あっさり婚約解消してくる王子様。一目惚れとはいえ、なぜそこまでするのか全然わからない。
だから、私は言った。
「よく知らない人とはできないです」
「じゃあ、よく知ってもらおう」
とたん、良い笑顔でうちから引っ張り出された。
あっという間に連れてこられたのは、王子様の執務室。隣に立たされて、なぜかずっと王子様の仕事ぶりを見せられた。
さすがは王子様か、来客は多かった。そして、当然のことながら皆、私を誰だ、なぜここにいるという目で見てくる。
その時は、王子様が必ず紹介した。
「僕の奥さん」
「違います」
「じゃあ、結婚しよう」
「しません」
毎日引っ張ってこられては、このやりとりの繰り返し。王子様はとても楽しそうだった。
一方、私は楽しくなかった。
なぜなら、その時の私は王子様に求婚されて断るだけの、隣にいるだけでなにもしない女。さすがに居心地が悪すぎる。
そこで、王子様の秘書官をすることにした。お手伝いだ。
そう決めてやってみると、なかなか難しくて、けっこう忙しい。わからないことに悩んでいると、なぜか第二王子様や、いつのまにか彼の婚約者になっていた例のご令嬢があれやこれやと教えてくれた。理由はわからないけれど、素直に好意は受け取った。
そうして、求婚以外は王子様に従って。だんだん増えてくるいつものやりとりを繰り返して。
気づいたときには季節が巡っていた。
王子様の性格もわかってきて、一手先を読んで準備もできるようになってきた私は、現状に結構満足していたと思う。
そんな時、王子様が倒れた。
病気だった。しかも、余命宣告付き。
そう教えてくれたのは、第二王子様とご令嬢だった。
ちょうど私に会う前に余命を伝えられて、生きる気力を失っていたらしい。少しでも生きる糧をと、付き合いの長いご令嬢と婚約させてみても、変化なし。
そこで偶然私に会って、一目惚れして、急に求婚して生きる目的を見つけたのだとか。
私と一緒にいて宣告された時期を乗り越えていたから、この調子ならと思っていたのに、と第二王子様もご令嬢もぼろぼろと泣いていた。
なにそれ、と私は思った。そんなこと、どうして今言われるの、と。
王子様はベッドで横になっている。日に日に弱っていくのがよくわかる。
どうして私は病気に気づかなかったんだろう。落ち込んで振り返ってみれば、答えはすぐにわかった。
具合が悪い時ほど「結婚しよう」と言っていたから。
今、弱ってみえるのは「結婚しよう」と一言も言わなくなったから。
王子様にとってその言葉は、いのちを奮い立たせる言葉だった。
「どうして、結婚しようと言わないのですか」
そう、ようやく私が聞けたのは、もう王子様がどうなってもおかしくない時だった。
よほどつらいだろうに、王子様はやっぱり笑って言った。
「今言うと、はい、と言われそうだから」
そうですね、と返すのに、息が苦しくて時間がかかった。
「今言われない限り、はい、と一生言いません」
そう言うと王子様は驚いて、困った顔をして。今までで一番弱々しく、自信なさげに呟いた。
「結婚しよう」
「はい」
うなずけば、王子様は大きく息を吐き出した。
「簡単にいかせてくれないね」
王子様は優しく微笑んでいた。
それから月日は流れ。なんと王子様は回復した。
医者が奇跡だと驚いて、ただし次に再発すると命はないとしっかり脅していった。
そうして、王子様と私の結婚式が行われることになった。
式は驚くほど壮大で、驚くほどたくさんの人に祝福された。
結婚しようしないのやりとりをいろんな人の前でやっていたことや、王子様の病気のこともあって、どうやらみんなの中では感動的なラブストーリーになっているらしい。
しかもこの日を迎えられると思っていなかったのか、第二王子様とご令嬢はもちろん、国王陛下や王妃様まで泣いていて、とても気恥ずかしかった。
一方で、ずっと隣にいる王子様はずっと笑顔で、これまでで一番輝いていたと思う。
こうして、王子様は旦那様になった。
さっそく、旦那様は病気の療養と理由をつけて、私を連れて田舎の領地に移り住んだ。
静かで、広大な領地は農業をするのにぴったりだ。あまりの理想の地に私は大喜び。旦那様がそんな私を見て笑顔で、ここでずっとゆっくり暮らそう、と言ってくれた。
旦那様との暮らしは、今までとそれほど変わらなかった。
「結婚しよう」
「もうしていますよ」
いつものやりとりは、私の返事だけが変わった。
こう返すと、旦那様は顔をほころばせて、うんと優しくなる。だから言ってくれるのが楽しみになっていたのだが、それは旦那様には秘密にしていた。
そうやって朝、昼、晩とゆっくりと二人で過ごしていっていると、私たちに子どもが生まれた。旦那様そっくりで、とてもかわいらしい。
旦那様は何度も感謝の言葉を言いながらぼろぼろと泣いていた。
五人目が生まれても変わらず、むしろより泣くようになった旦那様は、どうやら泣き虫のようだった。
みんなで朝起きて、夜に眠る。その時にそばに旦那様や子どもたちがいる生活が、とても心満たされて。こうやって毎日が延々と続けばいいなと心底思っていた。
それでも、別れはやってくる。
***
とめどなくあふれる旦那様の涙が、ベッドのシーツににじむ。
泣く旦那様は何も話さず、以前病気で倒れた時と同じで、私は心の中で苦笑した。
ぎゅっと手を握られるけれど、もう指を少し曲げることしかできない。
次に目を閉じれば、きっとそのままもう開けることはないと身体が不思議とわかっている。
だけど、身体はつらくない。気持ちも穏やかだ。
周りを囲む子どもたちもみな泣いている。すっかり旦那様そっくりになってしまった。まったく、私がいないとしめっぽくてかなわない。
旦那様は私を見て泣くだけで、やっぱりいつもの言葉は口にしてくれない。この人は自分がつらいときはいつでもそう。自分の思いをひかえてしまう。
こういうときだからこそ、聞きたかったけれど。
「……次も」
振り絞った声は嬉しいほどまともで、旦那様の耳に無事届いたらしい。目を見開いてさらに身を寄せてくる。
ずっとそばにいてくれて、私の夢を叶えてくれた旦那様。最期まで見守られて、まったく悔いはない。
来世が、女王様でも王女様でも平民でも、今度は私からあなたへ。
まぶたを閉じていきながら、私は一生に一度の言葉を口にした。