深夜の邂逅は、思いがけない話と共にやってくる。
「それではフィルリア様、失礼致します。」
パタン、と言う至極小さな音を立てて閉まった扉を見遣りながら、その所作は流石王宮の侍女だな、と余計な事に感心してしまった。
「まあ、現実逃避と言うのだけれどもね……。」
無意識に口を付いて出た言葉に、思わず室内に誰も居ない事を確認すると、安堵と呆れが入り交じった溜息が、口から零れた。
兄様の徹底ぶりは変わらない、とは思っていたけれども、まさかここまでとは。
溜息を吐きながらくるりと見回した室内に、特に変わった所は見受けられない。
清潔に整えられた、王城の名に相応しい室内は落ち着いた薄いブルーとペールグリーンを基調に誂られている。
他の人からしたら滞在する者に合わせて調度品を整えられたとしか思わないだろうし、私以外に違和感を感じる人物は多分居ないだろう。
実際私の好みに合わせられている事は間違いないのだ。ぴったりと私の好みに合わせられた室内は、まるでリンドノート邸にある私の部屋に居るようで落ち着く……と思わせようとしたに違いない。
…………実際の所、逆に落ち着かないのだけれども。
そう思いつつも内心溜息を吐いてしまった私は、きっと悪くないと思う。
白く柔らかな革張りのソファーも、窓際に掛けられたカーテンも、ベッドに掛けられた天蓋の色までも、全て私の記憶にあるリンドノート邸の私室と寸分違わず同じなのだから。
久々に見た筈の部屋の変わり具合に内心呆れつつ、案内してくれた侍女に話を聞いてみた所この部屋は最近大改修が行われており、壁紙からカーテン、リネンや調度品に至るまで全て兄様の指示で取り替えられたのだそうだ。更にそれだけでは無く、王宮に住む訳でも無いのに私の滞在に合わせる形で侍女の増員がなされたていた。………御丁寧に『リンドノート公爵令嬢付き』の侍女として雇い入れたと聞いて、思わず眩暈がするかと思った。
兄様がここまでした理由は、恐らくロセ様の婚約者として私を歓迎している事を城の人間に示す為なのだろう。行儀見習いとして召喚されたであろうリリーシア嬢と明確な差を付ける為だ。
「……用意周到と言うか……何と言うか……。」
思わず呆れが声に出た私の前で、ただ1つ違う点、兄様の指示で運ばれてきたであろう雛罌粟に良く似た花が、私の心境を嘲笑うかのように窓際で風を受けてふわふわと揺れていた。
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「悪い、遅くなった。……久しぶりだな、雛。」
あの後兄様の所から戻ってきたロセ様と共に夕食を済ませ、執務の為に自室へと戻って行くのを見送って数刻後。
城の中がしんと静まり返った深夜とも言える時刻に、ふっとベランダの窓から現れた兄様が、いつもの人を食ったような笑顔で笑いながらそんな声を掛けて来た。
その登場の仕方にも色々言いたい事はあるが、そんな所まで突っ込んでいては話が進まないだろう。そう判断して、兄様に向かってにっこりと笑顔を返す。
「ええ、久しぶりね。兄様も元気そうで何より。……で、色々と説明して欲しい事が沢山あるのだけれども?」
「ああ。俺も雛に聞きたい事も話したい事もあるんでな。取り敢えず入っても構わないか?」
私の言葉に思わず苦笑を浮かべた兄様を、どうぞ、と窓際のソファーへと促す。事前に用意してもらっていたお茶を入れて差し出すと、対面に座った兄様から思わず笑みが零れた。
「……お茶を入れる腕は雛の頃と変わらないな。美味い。」
「そう?王宮の侍女に比べたら数段味が落ちると思うけどね。まあ……お口に合ったなら何よりだわ。」
私の返答が予想通りだったのか、楽しそうな笑みを浮かべた兄様はもう一口紅茶を口にした後、さて、と一呼吸置いて本題に入った。
「まあ、まずは無事帰って来て良かった。ロセからの報告も聞いたが、中々大変だったみたいじゃないか。」
「……兄様は読んでいたのでしょう?大変な事になるであろう事態を。」
「いや?俺はカードを渡しただけたからな。実際にそのカードを活かして行動をするのはロセだ。流石に王太子を味方に引き入れるとは思わなかったさ。」
楽しそうな表情で語る兄様は、きっとそれも選択肢の中にあったに違いない。内心溜息を吐きながら話を進める。
「大体、今回の件に関しては全てロセに任せてあったからな。お前の動向によってはカラント自体が滅んでた可能性だってあった訳だ。」
「滅ぶって……そこまでの話なの?」
「父上の全権を委ねられると言う事はそう言う事さ。カラントの国内が思った以上に腐ってたのは報告で知っていた。今回お前の件も重大ではあったが、父上の頭の中にあの青写真があった以上、これ以上カラントに優位な状況を取らせるつもりは無かっただろう。温情を与えるべくもない程腐っていれば、お前の件を理由にカラントを滅ぼす事も厭わなかった筈だ。」
笑いながら話す兄様の言葉に、内心ひやりとする。
私が思っていた以上に綿密に立てられた計画の元に、今回のロセ様の訪問が成されていたと言う事だ。最悪のパターンと最善のパターンは既に決められており、その中で相手の反応を見ながら判断したのだろう。
そしてきっと、その中で1番穏便な方法を、ロセ様は取っている。
…………それが陛下の望み通りかどうかは分からないが。
「……私の件は陛下から見れば渡りに船、と言った所だったと言う事かしら。」
少しの呆れが混ざった表情でそう呟けば、それを見た兄様が更に可笑しそうに、笑う。
「正確には渡りに船ですら無かっただろうな。あの人がどの位先を見ているのか、俺でも分からない。恐らくお前をカラントに送る事になった当時からこの展開も頭の中にあったんだろう。」
「先読みにしても程があるでしょう。本当に……同じ転生者でもここまで違うのかしらね。」
「まあ、俗っぽい言い方をするならあの人の存在は『チート』って奴だ。比べるだけ無駄さ。」
「兄様から見ても?」
「勿論、俺から見ても、だ。あの人に勝てる気は一切しない。」
そう言って笑った兄様に、今日何度目か分からない溜息を吐く。
昔読んだ小説には、転生すると『チート』と呼ばれる能力、つまり他にとは比べられない位特別な力を授かる、なんて展開が沢山あった。
が、実際目の当たりにすると、とんでもない事だと言う事が良くわかる。私は転生したとはいえ何の能力も無い。強いて言うなら知識だけだが、転生者が何人も居るこの国では凄い事ではあっても特殊な事では無い、と言うのも理解している。
恐らく兄様もそうだろう。
まあ、兄様は前世でも割と何でも出来る人ではあったし、その時点でチート級だったのかも知れない。ただ、転生したからと言って能力が増えた訳では無い筈だ。そう言う意味では私と同じ、ただ転生しただけ、と言えるだろう。
「陛下だけが……何か違うのかしらね。」
「ああ。それも含めて、雛に聞いて欲しい……と言うか意見を聞きたい事があるんだ。まあ、俺自身も半信半疑だから話半分に聞いて貰いたいんだが……」
ぽつりと零した言葉に、今度は少し真面目な顔で兄様が反応する。その顔に冗談が混じってないのを見て、少し背筋を伸ばして話の続きを促す。
「…………昔、この国の成り立ちを何となく話した事があっただろう。創世記、女神の加護の話だ。」
少し決まりの悪そうな顔で話し始めた兄様の口から出てきた言葉は、そんな言葉から始まる、思ってもみない話だった。




