転生令嬢、9年振りに自国の王太子と相見える。
波の音が、聞こえる。
海の匂いと、波の音。
私が私で居られる、唯一の時間。
彼を待つ間の僅かな時間ではあるが、いつも通りなら、そろそろだろう。
ああ、でも今日彼は彼女と一緒なのだ。きっと此処には来ない。
今日学校で見掛けた光景に、胸がちくりと痛む。
『もう、帰らなきゃ。ひとりでも大丈夫。』
そう思って冷たいコンクリートから立ち上がった私の元に、うねる波が被さった。
そのまま足元を攫われて、くらいくらい、水の中に、沈む。
苦しい。
そう思ったのは、ほんの一瞬で。
――――そしてそのまま、私の意識も、沈んだ。
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「――――――リア。……ィリア?」
昔よし少し低くなった心地の良い声と共に身体を揺すられて目を開けると、目の前に綺麗な紫色の瞳が見えた。何だろう、何かとても大事な夢を見ていた気がするのだけれども、思い出せない。
また昔の夢だろうか、と思いながら思わずじっと目の前の紫色を見つめてみるが、不思議そうな表情が帰ってくるだけで答えは帰ってこなかった。
「フィリア?何かうなされてたみたいだけど大丈夫?」
「……鳩羽色……」
「え?」
心配そうな声を半ば無視した形で思わず口から出た言葉に、困惑した声が落ちてくる。
その声を聞いて一気に意識が覚醒した。
そうだ、此処は日本では無いし目の前の人は彼では無いのだ。
頭をゆるりと振って覚醒を促し、先程口にしたこの世界には無い言葉に内心しまったな、なんて思いながら、目の前の人物に笑顔を作って声を掛ける。
「……おはようございます、ロセ様。申し訳ありません、私寝惚けてたみたいで……」
そう恐る恐る口に出してみると、ロセ様はやっぱりね、と言う声と共に苦笑を浮かべた。
「何か良く分からなかったけど……まあ、大丈夫そうならいいよ。どの道もう直ぐ城に着く所だったからね、起こそうと思ってたんだ。」
「そうでしたか、ありがとうございます。王城も随分と久しいですね……。」
「そうだね。まあ……とは言え変わった所も殆ど無いけどね。俺の部屋も執務室もそのままだから、フィリアも迷わないと思うよ。」
僅かに考え込む様な仕草をしながら言われた言葉に、思わず苦笑が漏れる。まるでロセ様の部屋や執務室に居ることが自然、と言った口調だ。
「えっと……ロセ様のお部屋に私が1人で居る事も余り無いのでは無いかと思うのですが……?」
「ん?別にずっと居てくれて構わないけど?フィリアならなに触っても何処にいても怒らないし。」
「そう言われましても……」
口ではそう言いながら、さも当然、と言わんばかりの口調に内心笑みが零れる。まるで9年のブランクなんて無かったかのように接してくれるロセ様の言葉が、嬉しい。
「まあ、俺の部屋とか執務室の前に兄上の所だね。父上への謁見は明日予定してもらう様にしたから、先に会いに行こう。」
「兄様の所ですか?」
「うん、戻ったら2人で会いに来いって言われててね。まあ……報告もあるし、この時間だと執務室での対面になるから、ちょっと窮屈かもしれないけど。」
「成程……。」
そう口にしながら恐らく兄様に渡す書類であろう物を確認しているロセ様から視線を外して、ちらりと馬車の外を見遣る。
どんよりとした薄雲が張り付いている王都は、昔より彩りが薄いような気もするがきっと気の所為なのだろう。
目の前のロセ様が書類に集中し始めたのを横目に、僅かに車窓から見え始めた王城を見遣りながら、久々に会う兄様にさて何を言おうかと思いながら馬車の揺れに身を任せた。
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「やあ、フィルリア嬢。無事に戻れた様で何よりだ。元気だったかな?」
王城に足を踏み入れ、周囲の興味本位の視線に晒されながら兄様の執務室に入室した私に掛けられた第一声は、そんな兄様の声だった。
9年振りだと言うのに全く変わらない様子で此方に言葉を投げ掛けて来た兄様の対外的な笑顔に、思わず自分の頬が引き攣るのを感じる。横でロセ様も同じ様な表情をしているのだろう。内心ため息を吐いてはみたが、此処が兄様の執務室で文官の皆様の食い入る様な視線に晒されている以上、下手な対応は出来なかった。
口から出てきそうになった文句をぐっと飲み込み、此方も9年間で培った笑顔を貼り付けると、より綺麗に見えるように意識したカーテシーで兄様に向けて礼を取った。
「ルカ様に置かれましては、ご機嫌麗しゅう。此度は急な訪問に対応、謁見の許可を頂けました事、大変嬉しく思っております。私事で恐縮ですが、フィルリア=アルフリア=リンドノート、カラントへの留学から本日戻らせて頂きました事をご報告させて頂きます。」
視線をむけながらそう口にすると、兄様の笑みが更に深くなる。ああ、碌でもない事を考えて居る時の顔だ、とも思わなくも無いが、そこにツッコミを入れる勇気は、ない。
「報告ありがとう。声や姿から察するに元気そうだ。」
「ええ。ルカ様にも御心配頂いてた様で、面目御座いません」
「いや、問題ないよ。フィルリア嬢はロセの婚約者だ。将来の義妹を心配するのは当然だからね。」
「恐れ多いお言葉です。ルカ様にそう仰って頂けるなんて、思いもしませんでしたわ。」
なるほど、周囲への手っ取り早い周知の為に、わざわざ『婚約者』と『義妹』と言う表現をしたのだろう。
どんな機会も余すこと無く利用する兄様の言葉に内心溜息を吐きたくなるが、それを飲み込んで笑顔をむける。そんな至極楽しそうな兄様の表情とは裏腹に、私の僅かな変化を読み取ったのであろうロセ様がため息を吐きながら、私と兄様の間に割って入るかのように立った。
「兄上。フィリアも長旅で疲れて居りますから、その辺で。私からの報告もありますので、1度フィリアを下がらせてもよろしいですか?」
「……ああ、そうだったね。私との話はいつでも出来る。フィルリア嬢は先ずは疲れを癒すと良い。以前使わせていた部屋を用意してある。先ずはそちらで長旅の疲れを癒してくれ。」
笑ってる筈なのに何処か薄ら寒い笑顔でロセ様が兄様にそう問い掛けると、更に楽しそうな顔の兄様が、そう答える。
その言葉に、ああ、また兄様の悪い癖だ、と内心思ったが顔には出さない。巻き込まれるのを回避すべく笑みを浮かべて、無難にありがとうございます、とだけ返した。
「フィリアは先にそちらで休んでいて。私は兄上に報告が終わり次第後から向かうから。」
「分かりました、ロセ様。……それではルカ様、御前失礼致します。」
言外に席を外せ、と言われて居るのだろう。それであれば長居は無用だ。
そう思い、そのまま兄様とロセ様に向けて礼をして踵を返した所で、兄様のああ、と言う声に呼び止められる。
何だろう、と思いながら振り返ると、視線の合った兄様がにこりと笑みを浮かべた。
「そう言えば、フィルリア嬢は雛罌粟の花が好きだっただろう?後で届けさせるから、部屋にでも飾ってくれ。……その方が、よりゆっくり出来るだろうからね。」
そう言ってにこりと笑う兄様に、今度こそ苦笑いを浮かべそうになった。
勿論、この世界に『雛罌粟』なんて花は存在しない。見た目そっくりな花は存在するが、あれは違う名前だった筈だ。
要するに兄様は『雛』に用があるのだ。昔、前世の話をする時は雛と呼ぶから、と言われた事を思い出しながら、言葉の裏を思う。
『後で雛に用事があるから、部屋でゆっくり話をしよう』
要約すればそんな所だろう。
「……お気遣い痛み入りますわ。雛罌粟は月光の好きな花です。ベランダ近くにでも置けば、きっとより綺麗ですわね。」
にこりと笑いながらそう返してやると、兄様の瞳の奥がより楽しそうな色に染まる。きっと言葉の裏も伝わっただろう。
ベランダの鍵だけ開けておかなきゃなぁ。
そんな事を考えながら今度こそ2人に礼をすると、兄様の執務室を後にして、案内の侍女に連れられながら昔星祭の時に泊めてもらった部屋へと向かった。




