閑話.君が手を伸ばす先にあるものは 7
「クロージアに来れば気付くと思うから先に言っておく。……現状城の中ですらフィリアの事を便宜上の婚約者だと思ってる人間は多い。お前らの言う所の『愛妾』と呼ばれている奴がいるんだが……そいつが俺の婚約者に成り代わると実際に信じてるヤツも少なくない。お陰でこんな他国にまで噂が広がる程だ。」
溜息と共に吐き出された言葉に、思わず首を捻る。付き合いの殆ど無い俺ですら、コイツがリアの事をどう思っつてるのかなんて、見ていればすぐ分かる位なのに、クロージアの人間は何を見ているのだろうか。
俺の顔にそんな気持ちが如実に現れていたのか、俺の顔を見て僅かに苦笑を浮かべた彼が話を続ける。
「俺の近くに居る人間……まあ、王族だとかその周辺の人間に関しては、フィリアの事を誤解している人間は居ないんだ。ただ、それよりも下の人間……極端な話、王城に居る使用人ですらそいつと俺が婚姻を結ぶと思っている奴がいる位だ。」
「何でそんな……」
苦々しく語られる言葉に、思わず愕然とした声が出た。そんな話が他国にまで広がる程、コイツがリアに対して何かしたのだろうか。そう思い、ちらりと視線を向けると、俺の言いたい事が伝わったのか、彼は溜息を1つ吐き出した後少し逡巡しながら言葉を吐き出した。
「……16歳の頃、理由があってそいつの監視を命じられていた。その一環でフィリアとの婚約発表をした夜会で、ファーストダンスの後そのままもう一曲、踊ったんだ。」
「……え、それだけ…?」
思わず呆けた声が出てしまったが、仕方ないと思う。
夜会で1度、ダンスを踊った。確かに二曲続けてダンスを踊るのは婚約者か夫婦だけだと言う暗黙のルールがある。然し9年も前の夜会で、しかもたった1回踊っただけでそんな風に誤解が広まる物なのだろうか。
「俺がやった事としては、それだけだな。ただ、フィリアの状況や俺の状況、あとはそいつ自体が積極的に俺との関係を仄めかしてる所為で、どんどんと貴族の間に噂が広がって、収拾が付かなくなっている状態だ。」
「それは……そいつを不敬罪に問えないのか?」
積極的に王族との関係を嘯いていて、尚且つ対象となっている本人が迷惑に思っている。それだけでもう、王族に対する不敬罪が問えそうだと思うのだが。しかも相手はこの男だ。リアの事も絡んでいる所から見ても、相手が1番嫌がる方法で報復しそうな物なのに、それもせずに放置しているなんてこの男らしくないと言うかなんと言うか。
「問おうと思えば確実に問えるが……まあ、色々と事情があって、な。今そいつが城で飼われてるのも、全て兄上の思惑だ。それ自体に文句は言えない。」
歯切れの悪い、やはりこの男らしくない言い回しで吐き出された言葉に思わず眉を顰める。
俺はコイツがリアの事なら何を置いても優先するような男だと、勝手に思い込んでいた。どんな邪魔が入ろうが、どんな思惑に晒されようが、それは揺るがないと思っていたのに、今こいつが告げた言葉は俺のそんな意識を根本から塗り替える様な物だ。
そんな彼に瞬間的に怒りが湧いて、思わず厳しい口調で問い掛ける。
「お前……それでクロージアにリアを連れて帰ってどうするつもりだ。そいつがお前の周りをウロウロしている以上、リアに嫌な思いをさせないとは言い切れないだろう。そんな状況に追いやる為にリアを俺から奪って行くつもりか。」
思わず口を付いて出た言葉に、目の前の彼が顔を歪める。
本当に、何故、と思う。
自信満々に連れ去るなら、最後までそうしてくれれば良いのに。それなら悔しいけどコイツに任せようと思えた。それなのにこんな風に弱さを見せられてしまうと、どうしても素直に諦められなくなる。
その弱さにつけ込んで、俺の方を向かせる隙がまだあるんじゃないか、なんて考えてしまうのだ。
「……その点については、もう手は打ってある。まだ完全にとは言えないし、戻ってフィリアに協力して貰う事も出てくるとは思うが……それでも、俺が出来る総てを持ってフィリアを守るつもりだ。同じ轍は二度と踏む気は無い。」
やがて重苦しく、それでもきっぱりとした口調で目の前の男が口を開く。その言葉に籠る意志の強さに、心臓がどきりと音を立てた。真剣な眼差しを向けてくるその紫の瞳に、彼の本気が現れている様だった。
「……確実に、守ると言えるのか?」
確実にと言うのが本気かどうかなんて、こいつの眼を見ればよく分かって居たけど、それでも少し抵抗したくてわざと確認の言葉を投げ掛けた。しかし俺のそんな言葉にも、彼の真剣さは揺らがなかった。
「当たり前だ。俺はな、この9年間、お前の横でフィリアが笑ってる間もずっと、後悔し続けてきたんだよ。それはこの国に送り出した事自体も含めてだ。……だから、どんな事があろうとフィリアが俺を許容してくれている限り……いや、許容してくれなくなったとしても、手放す事は無い。」
「リアが嫌だと言ってもか?」
「嫌がらせるつもりなんて毛頭無いが、それでも手放せないだろうな。……彼女は生まれる前から、俺のものだ。」
恐らく俺に対しての牽制も含まれて居たのだろう。
多少行き過ぎた感のある台詞を真剣な表情で語る彼に、昼間見た余裕の様な物はもう見えない。
親父や高位貴族とだって余裕で渡り合える彼が、彼女の事でだけは余裕が無くなる。その事実が、彼の本気を表していた。
「生まれる前って……お前リアに聞かれたら流石に呆れられるんじゃないのか?」
これ以上彼の真剣さに付き合って居ると彼の感情に当てられて余計な言葉を口に出しそうで、わざと軽口を返す。そんな俺を見て目の前の男は溜息を1つ落とした。
「阿呆。この程度で呆れられる様な関係じゃねぇんだよ。舐めるな。」
先程の真剣な眼差しは消え、俺の軽口に相手も軽口で返してくる。しかし何故だか先程の真剣な眼差しが忘れられなくて、胸が締め付けられた。
「……おい、書類部屋に持ち帰ってやっても良いか?一応中身を細部まで読み込みたいから、時間が欲しい。」
「しょうがねぇな……明日朝までに完成させろよ。文官を先に返す手前、それ以上は待てない。」
「分かった。……お前、リアの所に行くなら、行けよ。」
そう言った俺に彼が訝しげな顔を向けてくる。俺がリアを譲るような発言をした所為なんだろうが、もうそこ迄気を使う事が出来なかった。追いやるように手を払う仕草をすると、結局は何か感じ取ったのか無言のまま彼は出て行った。
誰も居なくなった部屋に、俺の溜息だけが響く。
「……相思相愛、か。羨ましい限りだな……。」
9年間揺らぐ事が無かった彼女も、恐らく9年間揺らぐ気すら起きなかった彼も。きっと他には必要無くて、そして他では満たされる事は無いのだろう。
そこに俺が入り込む隙間は、1ミリだって存在しないのだ。
それを理解した瞬間、急に涙が零れた。
完全にオレンジ色に染まった会議室に1人蹲った俺は、何年かぶりに嗚咽を漏らしながら、暫くそこで1人泣き続けた。




