閑話.君が手を伸ばす先にあるものは 6
「おい、さっさと手、動かせよ。そんなんじゃ何時になっても終わらねぇぞ。」
目の前の呆れた顔をした男が、そう言って俺の手元の書類を指差す。確かに一瞬手は止まって居たが、それにしても言い方が酷く無いだろうか。
そう思って一瞬睨みつけそうになるが、書類が出来上がらなければ困るのはお互い様だ。そう思い直して大人しく書類と向き合った。
あの日、不意打ちでリアにキスをして。
そのまま勢いで婚姻の承諾まで持ち込もうとリアの部屋に向かうと、目の前の男がリアを抱き抱えている所に遭遇した。
暗がりでリアを抱きしめるコイツに今まで感じた事の無い様な怒りを感じて威嚇すれば、逆に強力な魔力で威嚇されて。何も出来ず空を斬った俺の手を残して、あっと言う間にリアを連れ去っていったと思ったら、次に会った時にはもう既に彼女はコイツのものになっていた。
でも本当は、理解している。
9年前から既に彼女は彼のものだったのだろう。
そう素直に思える程、目の前の男のリアに対する激しい執着を見せ付けられ、そしてリア自身もそれを受け入れ、尚且つ彼女自身も無意識にコイツに依存している様だった。
過ごした時間は明らかに俺の方が長いのに、それでも彼女とコイツの間には何故か他の人間が入れない様な、触れる事の出来ない部分がある様で、それを理解した瞬間、どうしようもなく打ちのめされた。
それだけでも十分だったのに、更にこの国がクロージアに対して10年近く不遇を強いてきた事や国内外に対する貴族共の不正など次から次へと情報を詰め込まれ、あっと言う間に親父からクロージアに対する決定権を奪い、俺に譲渡してきた。
本当に、見事な手腕だったと思う。
素直に認めるのは悔しいが、謁見の間で堂々と親父やこの国の高位貴族と渡り合い、笑みを浮かべたまま全てを操る姿に、コイツには勝てないと思い知らされる結果となった。
そしてそのままあれよあれよと言う内に締結の為の書類を纏め上げ、今目の前で俺の事を罵倒しているのだ。
そんな罵倒を受けながら、胸の奥が重苦しく沈み込む。
コイツが来てから今日までずっと気が張っていた所為か、失恋のショックはあまり無かったのだが、謁見が終わって気が抜けた瞬間から実感としてそれが襲って来ていた。
一目惚れから始まり、9年間守るように、慈しむように育てて来た俺の初恋は、どうやら本当に終わったらしい。
ちらりと目の前の、その原因となった顔だけは嫌味な程整った男を盗み見ると、知らず溜息が漏れた。
その溜息を目敏く見咎めた男が、呆れた様な声を投げ掛けて来る。
「……溜息吐いてるって事は余計な事考えてるんじゃねえだろうな。書類はまだまだ有るって言うのに、余裕だな、オイ。」
その先程とは似ても似つかない遠慮のない言葉に、本気で二重人格を疑いたくなってくる。リア曰く実際は優しい性格だと言うが、その優しさはリアにしか適用されないんじゃ無いだろうか。
「さっさと手、動かせよ。お前がモタモタしてると俺がフィリアに会いに行く時間が遅くなるだろうが。それとも何か不備でも有ったか?」
そう言いながら俺の横に来て横から書類を眺める。そしてざっと書類を確認すると、不備なんて無いじゃないか、と面白く無さそうな顔で呟いた。
「別に不備があるなんて言ってないだろ。大体書類の枚数が多すぎるんだ。これだけの量を確認してサインしてるんだから、少し待てよ。」
「お前本気で多すぎるとか言ってんのか?同盟関係の書類を1から作り直したんだ、これでも少ない方だろうが。文句言う暇があるなら手を動かせ。」
少しでも抵抗を示そうと言った俺の言葉に、真っ当な意見が帰って来る。口はかなり悪いが、こう言う話をしている時のコイツは本当に有能すぎてタチが悪い位だ。逆らいたいのに文句すら言えない仕事運びで、俺の子供っぽい抵抗なんて物ともしない。
本当に、それすら気付かずにコイツがコイツであると言う理由だけで抵抗出来るほど子供なら、どれだけ良かっただろうか。
短い付き合いながら抵抗する事自体が無意味だと悟った俺は、1つ溜息を吐き出すと姿勢を正して書類と向き合った。
そのまま大人しく書類にサインし始めると、暫くの間夕焼けが近くなり僅かにオレンジに染まり始めた日が差し込む部屋に、さらさらとペンが走る音だけが響く。
どの位時間が経った後だったか、そんな俺の様子をじっと見詰めて居た彼が、徐ろに彼が口を開いた。
「……お前、本気で気合い入れ直した方が良いぞ。俺なんて父上や兄上の足元にも及ばない。俺が勝てない相手にお前は1人で対面するんだと言う事を、早いうちに理解して考え方を切り替えろ。」
ぽつりと口に出された言葉に、思わず手を止めて彼を見つめる。
「今締結した条件がかなり厳しい事はお前も理解してるだろう?お前が何も出来なければ、この国の民はじわじわと首を締められて行く事となるんだ。」
「……それは、理解してる。だからお前の国まで行って謝罪をするんだろう。」
全ての書類の作成が終わった後、徐ろに機密事項と言い置いて人払いをしたコイツが話したのは、親父達にはかなり厳しい条件を突き付けておいて、実際はクロージアに行った後に改めて条件を見直すと言う話だった。
1回目の外交で条件の見直しを図れれば、カラント国内における俺の手腕は高く評価される。実際の所は予定調和だとしても、それを国内に悟らせなければ今後俺の発言力がかなり高くなる、と言う寸法だ。
然し、当然ながらそれは全てが上手く行った時の話だ。
実際行ってみたは良いが、話をしたクロージア王やかなり発言力の高いと噂の王太子が俺の事を気に食わないと判断した場合、1度締結している以上今の条件で突き通される可能性だってあるのだ。
コイツが言っているのは、そう言う事だろう。
「……2人共私情で国を動かす様な人間では無い事は確かだが……それでも他ならないフィリアの絡んだ話だ。それにその謝罪だって何処まで求められてるのか読めない。現状余りお前にとって良い材料は無いと言っても良いだろう。」
溜息を吐きながら吐き出された言葉に、思わず眉を寄せる。
私情で国は動かさないが、リアが絡んでいるならそれも分からないと言う事だろうか。その話から読み取れるのは、あの国にとってリアは人身御供何かじゃなくて、信用に足る人物だからこそカラントにに来たのだと言う事だ。本当に9年間の勘違いを思い知らされる様だった。
「……本当に、勘違いしてたんだなぁ……。」
俺の口から無意識に出た呟きに、今度は目の前の彼が眉を顰めた。自国に敵ばかりの彼女を俺が守らなきゃ、なんて思いながら9年間過ごしてきたけど、実際は彼女を守る人間は別に居た。
俺は王族ではあるけれど、彼女を守る王子様なんかじゃ、無かった訳だ。
「……勘違いじゃ、ねえよ。」
自虐とも取れる響きを持った俺の呟きに眉を顰めていた彼が、重苦しく口を開く。この国で出会ってから1度だって聞いた事の無かった後悔の篭った声に、何故か胸騒ぎに近い物を感じた。
「……俺は1度失敗してるからな。現状、俺の周りはフィリアの敵が多い。お前の懸念は、間違って居ない。」
そう言って苦々しい表情を浮かべた彼は、俺の目を真っ直ぐ見つめると少し逡巡した後、次の言葉を吐き出した。




