閑話.君が手を伸ばす先にあるものは 2
俺が彼女に対する恋心を自覚して1年。
俺はあの日以来彼女にまとわりつく様になっていた。最初は訝しげな視線を向けていた彼女も、最近では俺がついて回っても何も言わない。それどころか俺の方が年上の筈なのに、剣術や勉強をサボって隠れていると必ずと言って良い程彼女が探しに来て俺を教師の所に連れていく、なんて事が日常茶飯事になっていた。
惚れた弱みだろうか、他の人間に言われたら腹が立つ事でも、彼女に言われるとすんなりと聞き入れられる。お陰で行儀見習いで来た筈の彼女は、すっかり俺の世話役の様な立場にさせられていた。
1度自分の行儀見習いの方は大丈夫なのかと聞いてみた事があったが、そもそも彼女は公爵令嬢として王宮レベルでのマナーがすっかり身に付いていたし、元々さほど教わる事も無かったのか暇を持て余している所に宰相直々に俺の相手をしてくれと頼まれたのだと、笑いながら教えてくれた。
「フィルリアは、それで良いのか?」
「それで…と仰られましても、宰相閣下直々にたのまれた事ですし…。それに王太子殿下が真面目に王太子としての勉強に励まれるにはこれしかないと言われてしまえば、断れませんわ。」
苦笑を浮かべながら言われた言葉に、こちらも苦笑を浮かべる。
しかし周りからはそんな風に見られてたのか、と思うのと同時に、周囲の大人からも一緒に居て良いと言われた事に、嬉しさが込み上げてくる。
そんな自分の心を隠して『わざわざお前に言われなくても勉強位やるのに』と憎まれ口を叩いた俺に呆れず笑い掛けてくれる彼女が、堪らなく愛しかった。
そんな事をしながら数ヶ月程すごしたある日、いつもの様に勉強をサボって彼女が迎えに来るのを待っていたが数時間経っても俺の所に現れない、と言う事があった。何かあったのだろうか、と探しに行くが書庫にも自室にもおらず、段々と焦燥感に駆られて城の中をあちこちと探し回る。
そうしてやっと見付けた彼女が居たのは、城の中庭の端の、誰も来ない様な茂みの中だった。
「…フィルリア?」
「王太子殿下…。」
僅かに目元が紅くなっており、それだけで泣いていたのだと分かる。近寄って座り込んだ俺から気まずそうに視線を逸らした彼女に苛立ちを感じて、思わず顔を両手でつかみぐいっと自分の方を向かせた。
「何で泣いてるんだよ。誰かに何かされたのか。」
苛立ちを隠さずそう問うと、彼女は俯いたまま小さな声でちがいます、と呟いた。いつもの凛とした彼女とは全然違う弱々しい態度に、そうさせた人間に対しての怒りが湧く。
「じゃあ、誰に泣かされたんだよ。」
「……泣かされた訳ではありませんわ。ただ、心細くなって勝手に泣いてしまっただけです…。」
俺の苛立ちに気圧されたのか、彼女は目線を逸らしたまま言い辛そうに口を開いた。彼女の言った言葉を頭の中で反芻し、その理由に思い至る。
先日自室でなにやら書いている彼女に何を書いているのかと問うと、婚約者への手紙だと言う答えが帰ってきた。今までにも何度かそんな事があったが、その時は何となく気になって、相手からはどんな返事が届くのか聞いたところ彼女は答えず、曖昧に笑うだけだった。
何度も書いているのに、返事の届かない手紙。
俺の耳にも入る、婚約者と彼女の噂。
こんなに心細そうに泣いているのに、何故ここまで放置出来るのか。政略的な婚約だから、構う必要は無いと言うことなのだろうか。
……俺なら絶対に泣かせたりしないのに。
そう思いながら目の前の彼女を見るが、言葉をぐっと飲み込む。
流石に他国の王族の婚約者と銘打って来た彼女に表立って想いを伝える事は出来ないが、それでも自分の好きな子をこの状態で放置なんて出来なかった。
「なあ、俺には良く分からないけどさ…ここに居る間は、忘れとけよ。そんな顔しててもどうしようもないんだろ?だったら悩むだけ無駄じゃないか。」
「……忘れる事が出来たら、良いのでしょうけど。」
そう言って寂しそうに笑う様子に、苛立ちが募る。さっさと忘れて、楽しい事だけで心を埋めて。そして、最初に見た笑顔を、また俺に向けて欲しい。
そんな事を考えながら無理やり向かせていた自分の手を彼女の頬からそっと外すが、もう彼女は俺から顔を逸らそうとはしなかった。
「…わっかんねーなー…。」
思わずぽつりと出た言葉に、彼女が苦笑を浮かべる。
それ以上何を言うでも無く黙り込む彼女に、何か話しかけなくてはと思うが上手く会話が繋げない。ようやく出てきた言葉は自分でも何故今ここで言うのか、と突っ込みたくなる様な、なんの脈絡もない言葉だった。
「なあ、名前。」
「え?」
何を言われたのか分からずきょとんとした顔を向けてくる彼女に、失敗したかな、と思いながらも表には出さず会話を続ける。
「…俺の名前、分かる?」
「えっと、エドワード様、ですよね?」
当たり前の事を何故聞くのかと言わんばかりの顔を向けてくる彼女に、苦笑を向ける。勿論知らないなんて思ってないけど、いつまでも王太子、と呼ばれて距離を取られて居る事がずっと気になっていた。
「何だ、知ってるんじゃん。…次から王太子、じゃなくて名前呼べよ。」
「そう言われましても……」
「その口調もさ、何とかなんない?…お前のその堅苦しい口調の所為で、俺が王太子らしくないって文句言われるんだよな。」
言いがかりも甚だしいとは思うが、理由なんて何でも良い。
彼女に名前を読んで貰って、今よりもっと親しくなる為だったらどんな言いがかりだろうが、構わなかった。
「……何ですか、その理由は…。」
くすくすと笑う彼女に、内心安堵する。どんな理由だろうが、さっきみたいな顔をしているより余程良い。
「姉上は俺をエドって呼んでたんだよ。…だからお前もそう呼べよ。」
「エド、ですか?」
「どうせ暫く此処にいるんだろ。そしたらお前は俺の妹みたいな物じゃないか。」
「妹……。」
本当は妹だなんて全く思っていないけど、どんな理由でも彼女が此処に居やすくなるのであればそれで構わない。どうせ告げる事の出来ない想いなのだとしたら、身内として近くに居たい。
「で?お前は何て呼ばれてるんだ?」
「え?」
「呼ばれ方だよ。俺だけエドでお前がフィルリアじゃおかしいだろ。」
「えっと…親しい者は、フィリアと呼んでおりましたが…」
少し考える様な所作でそう言う彼女に、じゃあ、と言おうとしてふと思い至る。親しいかどうかは分からないが、婚約者もそう呼んで居たのだろうか。
「それって、お前の婚約者もそう呼んでたのか?」
「ええ…そうですね。」
「じゃあ却下。そうだな……フィルリア、だからリア、とか」
リア、と言った瞬間、何となく複雑な顔を向けられた気がしたが、直ぐに困った様な笑い顔に変わる。この呼び方が気に入らない訳では無さそうで、内心安堵しながらにっ、と意識して笑った。
「じゃあリア。俺の事はエドって呼べよ。兄上からの命令だからな。」
胸を張ってそう言ってやると、その様子がおかしかったのかリアがくすくすと声を出して笑った。
「……本当に、しょうがない兄上ですね。」
そう言って笑う顔に先程までの暗い表情は見えなくなっていて、俺は心からの安堵と共に改めて彼女を守る事を胸に誓ったのだった。




